物語後半で色濃く表われる貧困。伊藤雄之助が見せる哀愁の凄み――春日太一の木曜邦画劇場

2025年5月20日(火)19時0分 文春オンライン


1953年(98分)/東宝/3300円(税込)


 この数か月、本連載は小池一夫、梶原一騎、カラテ映画といった具合に、一九七〇年代に作られたバイオレンス映画ばかり扱ってきた。さすがにそれではマンネリかもしれない。そこで今回は全く異なる雰囲気の作品を取り上げたい。


 それが『プーサン』。若手時代の市川崑監督による、軽妙なタッチの風刺喜劇だ。


 主人公は、補習学校(予備校)で数学を教えている野呂(伊藤雄之助)だ。この男、とにかくお人好しで引っ込み思案で、何事も自分で判断し切れずに流されてしまう。そんな性格のため、野呂は次々にトラブルに巻き込まれ、その度に満足な主張ができずに相手に押し切られ、置かれた状況はどんどん悪化していく。ここのところ取り上げてきた作品に登場したタフな主人公たちとは、対極的な人間である。


 そうした野呂を際立たせるかのように、周囲の人間たちは皆、とにかくアクが強く、たくましく我が道を貫く者ばかり。そのため結果として、野呂はひたすら彼らに利用されるハメになる。中でも、予備校だけでなく病院も経営し、双方で従業員から搾取しまくる校長(加東大介)は業突張りな人間で、徹底して野呂の気弱さにつけこんでいく。


 元軍人の五津(菅井一郎)も強烈だ。当初は公職追放の身だったが、戦記小説がベストセラーになったことで表舞台に復帰、政治家に上り詰める。だが、今度は選挙違反で逮捕されるという波乱万丈ぶり。それでもラストでは獄中記が売り出されることが伝えられており、その厚顔無恥なまでのサバイバルに驚く。


 また、本筋と関係のない脇のキャラクターたちもそれぞれにユニーク。患者を全く見ることなく、手首をケガした野呂に服を脱ぐよう急かす医者(木村功)は特に印象深い。


 ただ、本作は不景気による貧困が物語の背景にあり、その影が物語の進行につれて濃くなっていく。それは、野呂が学生に誘われるままメーデーに参加し、暴動に巻き込まれたために職を失う後半になって如実に表われる。


 この段階になり、伊藤の演技が凄みを発揮するのだ。何もやることがないため自室でキャベツを頭にのせて遊びつつ「気がちがったら楽だろうな……」と呟く場面や、恋心を抱いていた下宿先の娘(越路吹雪)に恋人がいる上に野呂を軽蔑している本心を知った際にしょんぼりと家を出てハーモニカを吹く場面。こうした場面で見せるペーソスに満ちた表情が抜群で、切ない感情を掻き立てられる。


 ここのところコッテリと強い主人公の作品ばかり観てきただけに、こうした人間らしい弱さに触れると、どこかホッとするところがあった。


(春日 太一/週刊文春 2025年5月22日号)

文春オンライン

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