『しあわせは食べて寝て待て』病気で退職した38歳ヒロインが引っ越し先の団地で見つけた身近な幸せ 高堀冬彦
2025年5月20日(火)12時30分 婦人公論.jp
(『しあわせは食べて寝て待て』/(c)NHK)
桜井ユキ(38)が主演を務めるNHKの連続ドラマ『しあわせは食べて寝て待て』。健康や仕事、将来設計などを失った、38歳独身女性の麦巻さとこは団地に引っ越すことに。薬膳との出会いや団地の人たちとの交流を通じて身近な幸せに気づいていく物語だ。放送コラムニストの高堀冬彦氏が解説する。
* * * * * * *
癒やされるだけのドラマではない
NHKの連続ドラマ『しあわせは食べて寝て待て』(火曜午後10時)の主な舞台は築45年の団地。主人公・麦巻さとこ (桜井ユキ)はその一室を借り、1人で暮らしている。
居住者に高齢者が多いこともあって、団地には昭和の人間味や風情が色濃く残っている。流れている時間も心なしかゆっくりしている。
ただし、観る側をノスタルジーに浸らせるだけの癒しドラマではない。登場人物たちが観る側に生きるヒントを与えてくれる物語である。
麦巻は38歳の独身女性。建設会社で働き、賃貸マンションで暮らしていたが、どちらも第1回で失った。膠原病に罹ったことが発端だ。
この病気は人によって症状が違うが、麦巻の場合は寒いとたちまち風邪をひいてしまう。疲労やストレスなどにも弱い。
療養のため、麦巻は会社をしばらく休んだ。復職後は後輩社員・吉澤里奈(矢野優花)がサポート役に付いた。多くの会社が同じような復職制度を設けているはずだ。
ところが、吉澤による陰湿な嫌がらせが始まる。吉澤はまず社内で陰口を叩いた。
「麦巻さんは時短出勤。私は休日出勤。まともに働けないのなら、来るなっていうの」
さらに吉澤は麦巻のパソコンに大量の迷惑メールを送る。暗に転職を迫ったのである。
残念なことだが、病を得た者への冷遇も多くの組織であることだろう。1990年代後半から広まった成果主義などにより、会社の一家意識は薄らいだ。一方で自己責任意識は社会全体で高まるばかり。生きづらさを感じる人は少なくないはずだ。
麦巻は吉澤と戦わなかった。「元気だったころは理不尽な扱いに立ち向かえる人間だった」。体が弱ると、心も弱る。麦巻は会社を辞めた。
鈴と司との出会い
転職先は従業員4人のちっぽけなデザイン事務所。週に4日勤務するパートだった。給料は安いが、体のことを考えると、無理は出来ない。
麦巻の試練は終わらなかった。賃貸マンションが更新期を迎える。更新料は11万円。家賃もあるので今の麦巻には支払うのが難しく、引っ越しを決意する。
「この部屋を出るのはマンションを買うときだと思っていたんだけどなぁ」
兄と暮らす母親・惠子(朝加真由美)には助けてもらえない。それどころか叱られてしまう。
「なんで引っ越すの。だから会社を辞めないほうがいいって言ったじゃない」
麦巻は孤独感を深めていった。遠い世界の話のようで、誰もが同じような立場になりかねないのではないか。
転居先を探し始めた麦巻が不動産屋から紹介された物件が、家賃月5万円台の団地である。内見に訪れたところ、その日は風邪で頭が痛く、喉も腫れていた。
そんな麦巻を見て「あら大変」と心配したのが、隣室に住む大家・美山鈴(加賀まりこ)である。自室に飛んで帰った。風邪薬でも持って来るつもりか——。
麦巻は鈴の振る舞いに顔をしかめる。不動産屋に「大家さんが隣ですか。人との距離が近い生活はちょっと・・・」と訴えた。
自己責任社会を生きる現代人は他人の干渉を嫌うから、麦巻がこの部屋を避けようとしたのは不思議ではない。まして麦巻は身近な後輩に裏切られたばかりなので、余計に他人と距離を置きたかったのだろう。
麦巻が次の物件の内見に移ろうとしていたところへ鈴が戻って来る。手にしていたのは風邪薬ではなく、大根の切れ端。鈴は麦巻にそれをかじるように促し、効用を得意げに説いた。
「大根は喉の炎症を和らげるでしょう。鼻の辺りにも効いて、頭痛が治っちゃうの」
だが、麦巻は不動産屋に促され、その場を立ち去ろうとする。鈴は大根を手にしたまま、悄然と立ち尽くす。見ていられなくなった麦巻は大根をかじる。やさしいのだ。これが人生の岐路になる。
気がつくと消えた孤立感
麦巻の頭痛は治った。鈴によると、大根をかじることは薬膳の一種なのだという。薬膳とは、食材の持つ効能を生かして体調を整える食事のことである。
鈴(加賀まりこ)と麦巻さとこ(桜井ユキ)(『しあわせは食べて寝て待て』/(c)NHK)
鈴は90歳になるものの、今も心気充実。居候の青年・羽白司(宮沢氷魚)が用意する薬膳が効果をもたらしているらしい。少しでも体調を良くしたい麦巻も薬膳を始める。団地暮らしも決めた。
それまでの麦巻は自分の人生を「ずっと曇でときどき雨が降るような人生」(第2回)と思っていた。砂を噛むような日々である。
だが、薬膳という体へのメリットもある趣味が生まれたことにより、暮らしに楽しみが生まれた。家での食事はもちろん、職場に持参する弁当も薬膳にした。
それより大きかった変化は鈴、司との交流である。気がつくと孤立感が消え、毎日の生活に潤いがもたらされていた。司は薬効があるというトウモロコシのヒゲのお茶などをお裾分けしてくれた。麦巻も梅シロップなどを分けた。賃貸マンション暮らしのころは考えられなかった。
鈴にすき焼きなどをご馳走になることもあった。その誘い方がうれしい。遠慮する麦巻に対し、鈴は「すき焼きは大勢で食べたほうがおいしいじゃないの」と笑い、気を使わせない。
「新しい自分になった」
同じ第2回。別の場で麦巻が我が身の不運に打ち明けると、鈴はこう言う。2人で蒸したサツマイモを食べながら、ミルク紅茶を飲んでいたときである。
「これまでの自分と比べるから、しんどいんじゃない? こう考えたらどうかしら。新しい自分になったんだって」
生きるヒントに違いない。建設会社より規模が遥かに小さくなった新しい職場も新しい麦巻には合っていた。代表の唐圭一郎(福士誠治)は恬淡としているが、スタッフには気を使う。麦巻が薬膳を実践していることを知ると、薬膳カフェでの歓迎会を企画した。今や絶滅寸前の社員旅行も催した。第3回のことである。これもスタッフへの配慮である。
このドラマの大きな特徴の1つは登場人物たちが病人である麦巻を特別視しないところ。同時代を生きる仲間の1人として見ている。
団地の面々に限ると、それぞれがハンデや傷を負っているせいでもあるだろう。鈴は高齢である上、1人になることを恐れているようだ。司は赤ん坊のころに父親が蒸発したため、自分にも無責任な血が流れていると信じ、家庭を持つことに臆病になっている。
司(左、宮沢氷魚)と友人の八つ頭(西山潤) (『しあわせは食べて寝て待て』/(c)NHK)
第1回から出ていた司の友人・八つ頭仁志(西山潤)は過去に5年間の引きこもり生活を送った。今も人と接するのが大の苦手だ。八つ頭とファミレスで出会い、やがて結ばれる反橋りく(北乃きい)も家族関係に悩んでいた。
このドラマはそんな個々のネガティブな状況をことを深刻に見せない。まるで当たり前のことのように淡々と描く。観る側だって大なり小なりハンデや傷を背負っていると考えているからだろう。
「いい条件が重なったから」
第7回。職場での嫌がらせとは違った現代の悪意が描かれた。ネットのアンチコメントである。
ウズラ役の宮崎美子さん(『しあわせは食べて寝て待て』/(c)NHK)
麦巻はデザイン事務所で知り合った友人の書籍編集者・青葉乙女(田畑智子)とウズラ(宮崎美子)と称する60代の団地住民と会う。ウズラはスーパーの特売品を素材にして、堂々たるイタリア料理をつくり、それをSNSに載せていた。人気があった。
青葉は「50代からの女性の1人暮らし」という本の出版を計画しており、ウズラを取材したいと考えたのである。しかし答えはノー。過去、SNSにアンチコメントを書き込まれ、傷つき、抗うつ剤を飲んでいた時期があるためだ。
麦巻は「ネットの言葉はきつく感じられますからね」とつぶやいた。ウズラは首を縦に振ったあと、こう口にした。
「今は苦手なことは避け、1人静かに暮らしたいので」
そもそもウズラは孤独を恐れていない。ウズラは過去を静かに語り始めた。
「私、若いころはロック少女だったんですよ。それも異端な感じのバンド。そのせいで、どこにも属さない人間がカッコイイもんだと擦り込まれていて。だから1人でいることを憐れんだりする今の風潮は苦手です」
これも生きるヒントの1つに違いない。共感した人や勇気付けられた人は多いのではないか。
この第7回、麦巻はあることを思い出す。第1回とは違う機会に風邪をひいた際、大根をかじったが、効かなかったのである。それを聞いた鈴は、最初の大根に効果があった理由について「いい条件が重なったからよ」と笑った。
人生もそうなのだろう。出会いなどでいい条件が重なると、満ち足りた日々を送れる。ただし、どうすればいい条件が重なるかは誰にも分からない。大根を風邪に効くようにするにはどうしたらいいのかが定かではないのと同じである。
運が巡るときのために
タイトルの『しあわせは食べて寝て待て』の意味は第2回に鈴がぼんやりと暗示していた。
「果報は寝て待てって言うでしょ? だから運が巡ってくるときのために、少しでも元気になっていないとね」
いい条件が分からないのと同じく、幸せになるための処方箋もない。なるべく元気でいるしかないのだろう。
原作は水凪トリ氏による同名人気漫画だが、ドラマはメインライターである桑原亮子氏の脚本が抜群に光る。誰かが傷つきそうなセリフを極端なまでに排除し、隅々にまで心優しい言葉を並べている。
秀逸な脚本を桜井、加賀、田畑らが演じているのは贅沢なこと。3人はいずれも制作者から極めて高い評価を受けている。
四季を丁寧に描く演出も凝っている。物語は冬に始まり、春夏秋冬と過ぎ、第7回では再び桜咲く春となった。
文:放送コラムニスト 高堀冬彦
関連記事(外部サイト)
- 『あんぱん』は朝ドラ史上に残る名作になるのではないか。中園脚本の緻密さと深さが鮮明になった<パン食い競走>が表現したものは…
- 河合優実さんが第33回橋田賞新人賞受賞。NHKドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』で天才ぶりを発揮。「幸せとは何か」を静かに問い掛ける話題作
- 桜井ユキが<膠原病で生活が一変した38歳独身女性・麦巻さとこ>を演じて好評の『しあわせは食べて寝て待て』。あの3人が集う特番が放送決定!桜井「感謝の気持ちでいっぱい」
- 膠原病で生活が一変した38歳独身女性役、桜井ユキ「がんばることが全てじゃない。自分を甘やかすことも必要」NHKドラマ『しあわせは食べて寝て待て』
- NHKドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』で河合優実が天才ぶりを発揮。「幸せとは何か」を静かに問い掛ける話題作