「ベトちゃんドクちゃん」弟ドクさん、手術繰り返し「もう長くないかも」…兄のため「平和訴えることが使命」

2025年4月30日(水)5時0分 読売新聞

ベトナム・ハノイでの映画公開記念の試写会で、ベトさんへの思いを語るドクさん(2月28日)=竹内駿平撮影

ベトナム戦争終結50年

 約300万人が犠牲となったベトナム戦争の終結から、30日で50年となる。戦争当事者らにとって、半世紀前に終わった戦争の傷は、今も癒えていない。

 ベトナム最大の経済都市ホーチミン。高層ビルが林立し、昨年末には国内初の地下鉄も開業したこの街は、かつて南ベトナムの首都サイゴンと呼ばれていた。

 50年前の1975年4月30日、「東洋のパリ」とも称されたサイゴンは北ベトナムによって陥落。ベトナム戦争は終結した。

 「自分は戦争を経験していない。でも、当事者だ」

 戦争で米軍が散布した枯れ葉剤の影響とされる結合双生児「ベトちゃん、ドクちゃん」の弟グエン・ドクさん(44)は28日、ホーチミン市内の自宅でこう語った。

 7歳の時に受けた分離手術で、下半身が結合していた兄と脚と腎臓を分け合った。右脚と2本の松葉づえで歩き、三輪バイクで15歳になる双子の子供の送り迎えもこなす。ただ、腫瘍などの手術を繰り返し、「この先もう長くないかもしれない」とも感じている。

 それでも、各地で戦争被害を伝える講演活動を続ける。今年2月には、自らの半生を描いたドキュメンタリー映画がベトナムで公開された。タイトルは「ベトのために」(邦題「ドクちゃん フジとサクラにつなぐ愛」)だ。

 2007年に26歳で人生を終えた兄のためにも、「戦争の当事者として、今も続く戦争の理不尽な被害を伝え、平和を訴えていくことが自分の使命だ」と信じている。

「傷痕」癒えぬまま…ドクさん 平和の尊さ訴え続け

 ベトナム戦争の終結から約6年後の1981年2月、米軍が枯れ葉剤を散布したベトナム中部の農村で下半身が結合した状態で生まれてきた双子は、戦争の「傷痕」の象徴そのものだった。

 結合双生児の弟グエン・ドクさん(44)は、物心がつく頃から世間の注目を浴び続けてきた。兄ベトさんの急性脳症の治療で86年に来日すると、日本でもその様子が連日報道され、10年以上前に終わった戦争の被害が続いていることを人々は思い知らされた。

 88年に分離手術を受けた後、寝たきりの兄を残して一人学校に通った。「兄への申し訳なさで、毎日つらかった」と振り返る。ただ、この頃はまだ、自分の境遇にあまり関心がなく、戦争やその被害について自らを当事者だと思うようになったのは、高校生ぐらいになってからだった。

 2004年から分離手術を行ったホーチミンの病院で事務の仕事に就き、06年には知人の結婚式で出会った女性と結婚。09年にはベトナム語で「富士」を意味する息子フーシー、「桜」を意味する娘アンダオの双子を授かった。2人は健康に育っているが、「兄のように急に体調を崩すのではと心配な時もある」と気にかける。

 自分のことを話すのは苦手だったが、07年の兄の死後、考え方が変わった。「平和の尊さや家族の大切さを伝えたい」と思うようになり、講演やSNSなどで発信を続ける。

 米軍は戦争中、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が潜む密林を破壊するため、大量の枯れ葉剤を散布した。被害者協会によると、480万人が枯れ葉剤を浴び、その子や孫の代なども含めた約300万人が奇形やがんなどの疾病に苦しむ。

 ベトナム政府は散布地域にいた人や奇形など特定の障害・疾病を持つ人などを「第1世代」、ドクさんら同様の症状がある次世代を「第2世代」とし、計30万人超の被害者に給付金を支給している。

 しかし、それに次ぐ第3、4世代は対象外だ。米側は人的被害に科学的な因果関係はないとの姿勢を維持している。「経済的に自立できず、悲惨な状況にある人もいる」とドクさんは戦争被害者の実情を訴える。

 ウクライナや中東など世界各地で争いが続いていることにも心を痛める。「戦争は人々や子供たちに、精神的にも肉体的にも損失と苦痛をもたらすだけだ」

 ベトナムは2045年の先進国入りを目指し、急速に成長を続けている。戦後も根強く残った南北の国民の分断も「融和が進んでいる」と、ドクさんは言う。

 ただ、こうも感じている。「私のような後遺症を持つ戦争の当事者は今もなお極めて困難な生活を送っている。戦争の記憶が薄れることは、決してない」

東西冷戦下の「代理戦争」…犠牲者300万人 不発弾や地雷今も

 1954年のジュネーブ協定により南北に分断されたベトナムで、米国の支援を受けた南ベトナムと、社会主義陣営の北ベトナムや南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)との間で起きたベトナム戦争は、東西冷戦下の「代理戦争」と位置づけられる。

 当初、直接的な介入を避けていた米国は、ベトナムが共産化すれば東南アジア全域に波及するとの「ドミノ理論」を展開。軍事顧問団を派遣するなど徐々に介入を強化し、米艦船が北ベトナム軍から攻撃を受けたとする64年8月の「トンキン湾事件」を機に全面的な軍事介入を始めた。

 米軍は65年2月から北ベトナムへの大規模爆撃作戦「北爆」を開始する。空爆や枯れ葉剤の散布は、北ベトナム軍の補給路となっていた隣国のラオスやカンボジアにも広がった。

 しかし、激しい抵抗やゲリラ戦を前に、米軍の敗色が濃くなっていく。68年1月の旧正月の奇襲攻撃「テト攻勢」で大打撃を負い、同年3月には米兵が無抵抗の村人を虐殺する「ソンミ村事件」を起こす。現地の惨状が報道で明らかになると、反戦運動は米国内だけでなく世界中に広がった。

 「名誉ある撤退」を模索する米ニクソン政権は73年1月、パリ協定に署名し、同年3月に米軍は撤退した。その後も内戦は続き、75年4月30日、サイゴン陥落で南ベトナム政府は崩壊。長きにわたる戦争が終結した。

 戦争によるベトナム側の犠牲者は、南北合わせて約300万人に上り、米軍側の死者は約5万8000人とされる。米軍が北爆を行ったエリアなどでは大量の不発弾や地雷が残り、一般市民への被害は今も続く。

 米国が懸念していたインドシナ半島での「ドミノ」は、ベトナム、ラオス、カンボジアへと広がり、迫害を恐れた難民144万人が「ボートピープル」などとして他国に逃れた。

 ベトナム戦争は戦後の世界秩序にも影響を与えた。泥沼化した戦争による国際的な信用の低下や経済的な打撃もあり、資本主義陣営の旗手だった米国の覇権は揺らいだ。米国にとってベトナム戦争の失敗は今もトラウマとなっている。

 社会主義陣営も中ソ対立が激化し、世界は米ソの二極対立から多極化の時代へと移行した。米国は中国との関係改善を図り、ソ連とは核軍縮交渉を開始するなど緊張緩和(デタント)に向けて動き出した。日本でも、こうした国際環境に見合う防衛力整備などの議論が始まった。

米敗北 軍事判断教訓に…独協大教授 水本義彦氏

 共産主義勢力の拡大阻止という大義を掲げてベトナム戦争に全面介入した米国にとって、戦局の泥沼化や完全撤退は、初めて経験する戦争の敗北だった。この経験は今日に至るまで、米国が対外軍事関与を判断する際の重しとなっている。

 ベトナム戦争が米国に残した教訓は二つある。一つは、対外軍事関与には慎重な姿勢を取るべきだという教訓。もう一つは、戦争に介入する際は明確な目的を定め、迅速かつ完全な勝利を達成する必要があるという教訓だ。

 米国は5万8000人の米兵を失った。戦況が報道により明らかにされ、国民の政府不信を高めた。国際社会における米国の威信の相対的低下は、中東やアフリカ、アジアでのソ連の勢力拡大を招き、米国の軍事プレゼンスの縮小を懸念する日本などの同盟国は、防衛力整備の議論を加速させた。

 国際紛争への関与を避ける「ベトナム症候群」にさいなまれる中、湾岸戦争(1991年)で米国が多国籍軍を組織し、クウェート解放という明確な目的を持って短期に終結させたのは、ベトナム戦争敗北の教訓があったからだ。

 その後のアフガニスタン進攻(2001年)やイラク戦争(03年)も短期決戦だった。しかし、占領統治の長期化が進むと、やはりベトナム戦争と比較され、撤退を求める声が高まった。

 現在、内向き傾向を強める米国は同盟を軽視し、ベトナム戦争のような介入による泥沼化が起こる気配はない。ただ、米国には、自ら築いてきたリベラルな世界秩序の維持という役割も期待されている。軍事的なリーダーシップをどのように発揮していくか、今後問われるだろう。

「米国神話」回帰を懸念…米南カリフォルニア大教授 ヴィエト・タン・ウェン氏

 1975年3月、北ベトナム軍が生まれ故郷の町を占領した。4歳になったばかりの私は家族に連れられて町を脱出し、5月に米ペンシルベニア州の難民キャンプにたどり着いた。

 米国で育った私は成長とともに、難民やアジア系としての自分の立場を強く意識するようになった。大学時代の講義で、最も影響を受けた映画作品について語るよう言われ、思い浮かんだのが「地獄の黙示録」(79年)だった。私は米兵がベトナムの民間人を虐殺するシーンを回顧しながら、怒りで震えていた。

 ハリウッドが生み出すソフトパワーの影響力は絶大だ。ベトナム戦争が題材の多くの映画が「米国は地球上で最も偉大な国で、永遠に無実である」という「米国神話」の教義を繰り返し伝えてきた。

 植民地化と奴隷制が米国を現在の姿にしたが、神話を信じる米国人は残虐行為の歴史に目を背けてきた。ベトナム戦争も、その歴史の延長線上にあったが、その残虐行為が世界に可視化され、反戦運動につながった。神話からの決別を象徴する動きだった。

 しかし、この10年ほどの間、決別したはずの神話を取り戻すような組織的な動きが起きている。トランプ政権や一部の米国人による、「米国は謝罪する必要はない」という米国的な正当性の感覚、「アメリカ・ファースト(米国第一)」だ。

 米国は征服の歴史の上に築かれた国である一方、自由と民主主義の国でもあるという矛盾を抱える。ベトナム戦争で生じた米社会の分裂が、その矛盾を象徴していた。最近のアメリカ・ファーストの動きは、その矛盾を称賛すべきだと言っているように聞こえてならない。

 ※ハノイ支局・竹内駿平、ロサンゼルス支局・後藤香代が担当しました。

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