米民間企業が挑んだ月面着陸 - 着陸機「オデュッセウス」が紡いだ叙事詩

2024年2月28日(水)10時59分 マイナビニュース

●米ベンチャー「イントゥイティブ・マシーンズ」による月面への輸送サービス
米国が、月面に足跡を最後に刻んだのは、1972年のアポロ計画最後のミッション「アポロ17」だった。以来、米国は月面に人間はおろか、無人の探査機すら送り込むことはなかった。
それから約半世紀、米国はついに月面に帰還した。だが、その内容も陣容も意義も、かつてとは大きく異なっていた。成し遂げたのは「イントゥイティブ・マシーンズ」というベンチャー企業であり、アポロでは主役だった米国航空宇宙局(NASA)が今回は”顧客”となり、そして人類が月へ帰還するための前哨戦となるものだったのである。
イントゥイティブ・マシーンズの「オデュッセウス」
イントゥイティブ・マシーンズ(Intuitive Machines)は、米国テキサス州ヒューストンに拠点を構える宇宙企業で、NASAのエンジニアだったスティーヴン・アルテマス氏や起業家のカム・ガファリアン氏らによって2013年に設立された。
同社は、月面や月周回軌道への物資や機器の輸送、月周辺や地球と月間の通信をはじめとする、月ビジネスを進めている。
NASAはかねてより、欧州や日本など国際共同で有人月探査計画「アルテミス」を進めており、その一環として2018年に「商業月ペイロード・サービシズ(CLPS)」プログラムを立ち上げた。これは、月を民間企業に開放するという方針のもと、月探査機や月着陸機の開発や運用、月資源の探索、その資源の開拓や利用などを、民間企業に担わせることを目的としたもので、民間の宇宙ビジネスの振興だけでなく、NASAはサービスを購入する顧客に徹し、浮いたリソースを有人火星探査などに向けた研究・開発に注力できるという狙いがある。
イントゥイティブ・マシーンズは、こうしたNASAの方針に応えた一社だった。
その同社が開発した最初の月着陸機が「ノヴァC (Nova-C)」級である。ノヴァCは高さ4.3m、直径1.5mで、ちょうどミニバンを縦にしたくらいの大きさである。底部には直径4.6mの6本脚の着陸装置を装備している。打ち上げ時の質量は1931kgで、その3分の2ほどは推進剤で占められている。
電力は太陽電池でまかない、月の夜を越える機能はない。
ノヴァCの最大の特徴がエンジンで、推進剤に液化メタンと液体酸素を使う。これまで月面に着陸した探査機はすべてヒドラジンを使っていたが、確実に着火できる利点がある一方で、毒性があり、性能もやや低いという欠点があった。一方、メタンは地上での取り扱いがしやすく、安全性も高く、そしてなにより性能が高いことから、次世代のロケット燃料として注目されている。月着陸機への採用はノヴァCが史上初めてである。
今回のミッションは、「IM-1」、もしくは「TO2-IM」と呼ばれており、またこのミッションで使われるノヴァCの1号機には「オデュッセウス(Odysseus)」という愛称が与えられた。
IM-1では、CLPSの契約に基づき、6つのNASAのペイロードが搭載された。契約額は1億1800万ドルに上る。
○ROLSES
月面近傍の低周波電波観測を目的とした機器で、月面の電子プラズマ環境を測定するほか、月面から太陽・惑星電波源の観測、月面近傍の帯電ダスト(塵)の検出を目指している。
月には地球のような磁場がないため、太陽風、銀河宇宙線、太陽フレアからの荷電粒子が月面まで到達し、それによって塵が浮遊することがある。プラズマ環境を測定することで、月面を歩く宇宙飛行士の健康管理や、着用する宇宙服、探査機や機器の設計などに役立つと期待されている。また、太陽、惑星、銀河からの電波放射、さらには地球の電波ノイズの測定は、将来月に電波天文台を設置する際に役立つデータとなる
○LRA
8つの約1.3cmの反射板からなる機器で、月を周回する探査機から発信されたレーザー光を反射することで、月面上の自身の位置を正確に決定するために使われる。また、今後月へ送られる他の着陸機にもLRAを搭載することで、それぞれが基準点として機能し、月着陸船が自律的かつ安全に、正確に着陸することを可能にできると期待されている
○NDL
レーザーを使用したLIDARで、降下時に正確な速度と距離のデータを提供する。なお、NDLは実験装置であるため、着陸機のシステムから独立してデータを収集するようになっており、今回のオデュッセウスの着陸には別に装備したLIDARを使う(——予定だったが、後述のとおり予想外の働きをみせることになる)
○SCALPSS
月面を撮影するステレオカメラで、オデュッセウスが着陸する際のエンジンの噴射ガスが、月面に当たったときからエンジンが止まるまでの間、動画と静止画を撮影し、月の土がどれくらい舞い上がるかなどの研究に役立てる
○LN-1
将来の着陸機や探査車、軌道上での自律航法技術を実証する
○RFMG
推進剤タンク内に設置される機器で、低電力RF信号を使用して、液面や液体構成を監視する
また、NASA以外の研究機関や企業などからもペイロードの輸送を受託している。
○コロンビアのオムニヒートインフィニティ
アウトドア登山用品のコロンビアとのコラボレーションで、同社製のジャケットにも使われているオムニヒートインフィニティという耐熱素材を推進剤タンクに取り付け、保温に使用している
○イーグルカム(EAGLECAM)
エンブリー・リドル航空大学の宇宙技術研究所が開発したカメラで、オデュッセウスが降下する際、高度約30mで分離され、オデュッセウスが着陸する様子を外から撮影することを目指している
○ILO-X
国際月面天文台協会(ILOA)が計画している月面天文台のための試験機器で、月の表面から天の川銀河の中心を初めて撮影することを目的としている
○ジェフ・クーンズ氏の『MOON PHASES』
芸術家ジェフ・クーンズ氏による、史上初となる月面アート作品
○ギャラクティック・レガシー・ラボ
エッチングされた金属製の記憶装置で、探査機「ボイジャー」のゴールデン・レコードのように、地球に関する情報が記録されている
●着陸は果たすも横倒しに、それでも実証された“月を民間に開放”の方針
着陸は果たすも横倒しに
オデュッセウスは2月15日15時05分(日本時間、以下同)、フロリダ州のNASAケネディ宇宙センターからスペースXの「ファルコン9」ロケットで打ち上げられた。オデュッセウスは直接月へ向かう軌道に投入された。
ロケットからの分離直後には、探査機の航法システムが、恒星センサーからのデータを受け付けていないことが判明したものの、ソフトウェアをアップデートすることですぐに解決した。
16日と20日には、メタン・エンジンに点火して軌道を修正し、21日には月を回る軌道に入った。
当初、着陸は23日6時24分に予定されていたが、着陸の際に高度を測るのに使用するLIDARのレーザーが出ない問題に見舞われた。調査の結果、レーザーを発振しないようにするための安全スイッチがONのままになっていることが判明した。レーザーは人間の目を傷つける恐れがあることから、地上での作業中には出ないようにしていたが、打ち上げ前にスイッチをOFFにするのを忘れていたのである。しかも、このスイッチは物理スイッチだったため、地上からの操作でOFFにすることもできなかった。
運用チームは対応を考えた結果、NASAのペイロードとして積んでいたNDLを利用することを思いついた。前述のように、NDLはあくまで実験機器であり、オデュッセウスのシステムからは独立していた。そこで運用チームとNASAは協力し、NDLからのデータを、オデュッセウスのコンピューターに送れるように改良した。そのためのソフトウェアの改修はわずか2時間で行われた。
そしてオデュッセウスは、予定から約2時間遅れで月面への降下をはじめ、そして2月23日8時23分、月の南緯約80度の南極域にある「マラパートA」と呼ばれるクレーターの近くに着陸した。
ところが、着陸直後のオデュッセウスの状況はよくわからなかった。着陸から約15分後、オデュッセウスからの信号が地球に届き、「着陸に成功」と伝えられた。しかし、通信になんらかの問題が起きていることがわかり、機体の状態や、着陸前後の画像などは発表されなかった。
丸一日経ったあと、NASAとイントゥイティブ・マシーンズは記者会見を開き、オデュッセウスが横倒しになって着陸していることを明らかにした。また、その結果アンテナが地球のほうを向いておらず、通信が難しいことも明かされた。ただ、機体は原型を保っており、動作もしており、画像などのデータを地球に送る努力を続けているとされた。
横倒しになった要因として、オデュッセウスが着陸時、本来ならまっすぐ下に降りてくるはずが、実際には横方向の速度が秒速1mほどあったことから、着陸脚が地面に引っかかって倒れてしまったというシナリオが考えられるという。また、着陸地点の地形を分析したところ、約12度の傾斜があったことから、脚をすくわれた可能性もあるとしている。
同社はまた、ミッションがまもなく終了するとも述べている。オデュッセウスは太陽電池で稼働するため、着陸地点が夜の期間に入れば機能を停止してしまうからである。また、地球と月の位置関係も関わってくるため、同社では米国時間で27日の朝まで、オデュッセウスと通信を続ける見込みだという。
また、オデュッセウスには月の夜を越える「越夜」機能はないが、同社は次に太陽電池に日が当たるタイミングを見計らい、通信を試みるとしている。
民間企業にとって大きな一歩
オデュッセウスは、史上初めて月面に軟着陸した民間企業の月探査機となった。民間による月面着陸をめぐっては、2019年にイスラエルの民間団体「スペースIL」が、2023年には日本の宇宙企業「ispace」が、さらに今年1月には米企業「アストロボティック・テクノロジー」が挑んだが、いずれも機体が破壊されるなどの失敗に終わっている。
また、米国の探査機が月に降り立ったのは、アポロ17以来約52年ぶりとなる。さらに、これまでで最も月の南極に近いところに着陸した着陸機にもなった。
もっとも、オデュッセウスの着陸が“成功”かどうかは議論が分かれるところだろう。CLPS契約に基づきペイロードの輸送を依頼したNASAは、オデュッセウスの成果を称えた。バイデン大統領も祝福するメッセージを送っている。
一方、株式市場の反応は正反対で、着陸後に横転したことなどが明らかになると、インテュイティブ・マシーンズの株価は35%近く下落した。
技術的な観点から見ると、横倒しになったとはいえ、機体は原型を保っており、かろうじて通信もできていることから、少なくとも完全な失敗とは言えないだろう。
もっとも、NASAなどから受託したペイロードの輸送や月面での実験の達成率は半々と言えよう。たとえば、コロンビアのオムニヒートインフィニティや宇宙アート、ギャラクティック・レガシー・ラボなどは、壊れずに月面まで運べた時点で成功といえる。また、NDLが予想外の活躍を果たしたことは特筆すべき成果である。
しかし、ROLSESやSCALPSS、ILO-Xなどは、実験や観測ができなかったり、実施できていてもデータを地球に送れなかったりという状況にあり、イーグルカムも現時点では展開できていないなど、目的を達成したとは言い難い。これらの機器にしてみれば、「精密機器在中」と書いていたのに無茶苦茶な状態で届けられた宅配便、あるいは乗っていた飛行機が不時着したようなものであり、CLPSの目的である“月面への輸送サービス”としては落第点であろう。
だが、なにより重要なのは、民間企業が開発し、運用する月探査機が、月面に到達できることを証明してみせたこと、そしてNASAによる「月を民間企業に開放する」という方針が実を結びつつあることである。
そしてまた、オデュッセウスの冒険もまだ終わってはいない。今後、着陸の前後に得られたデータの分析が進めば、なにが起きたのかをより良く理解することができる。イントゥイティブ・マシーンズはすでに2機目のノヴァCの製造も進めており、今回のミッションを通じて得られた教訓を活かし、改良されることになる。さらに、もしかしたらオデュッセウスが月の夜を耐え、復活する可能性もある。
オデュッセウスの叙事詩は、まだ紡がれ始めたばかりなのだ。
○参考文献
・IM-1 | Intuitive Machines
・IM-1 Press kit
・NASA Tech Contributes to Soft Moon Landing, Agency Science Underway - NASA
鳥嶋真也 とりしましんや
著者プロフィール 宇宙開発評論家、宇宙開発史家。宇宙作家クラブ会員。 宇宙開発や天文学における最新ニュースから歴史まで、宇宙にまつわる様々な物事を対象に、取材や研究、記事や論考の執筆などを行っている。新聞やテレビ、ラジオでの解説も多数。 この著者の記事一覧はこちら

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