【インタビュー】小久保玲央ブライアン「2年前の選択は間違っていなかった」
2021年1月22日(金)18時0分 サッカーキング
取材・文=三島大輔
写真=SL Benfica、Getty Images
取材協力=Pedro Barata(Empower Sports)
なぜ育つ? 強豪ベンフィカ育成の秘訣
ーーまずはベンフィカへ移籍することになった経緯と理由から教えてください。
小久保 2018年の1月に開催された『アルカス国際カップ』に柏レイソルU-18のメンバーとして出場しました。その大会の準決勝でベンフィカと対戦し、PK戦の末に勝つことができたのですが、そこで僕に目をつけてくれたみたいです。柏でトップチームに上がるという選択肢もありましたが、「海外に行きたい」という気持ちが強かったので移籍を決めました。
ーーU-19チームからのスタートでした。ベンフィカはどういったチーム編成になっているのでしょうか?
小久保 U-19、U-23、Bチーム、トップチームという編成になっています。U-19からのスタートだったので「トップチームまでの道のりは長いな」と思いましたが、自分を追い込むというか、ビッグクラブの厳しい環境でやってみたかったので。2年前の選択は間違っていなかったと思っています。
ーー小久保選手の現状についても教えていただけますか?
小久保 今の所属はBチームです。ただ、昇格してからまだBチームでの試合には出場できていなくて、実戦の場はU-23という感じです。Bチームも相当レベルが高いのでまずはBチームに定着・出場して、将来的にはトップチームに入っていくことを目標にしています。
ーーポルトガルでの生活についてはいかがですか?
小久保 ベンフィカのスタッフはすごく手厚くサポートをしてくれますね。まだ免許を持っていないので、スタッフにお願いして一緒に買い出しに行くこともあります。
ーー語学の面はいかがでしょう?
小久保 ポルトガルに来た当初は全然で……。めちゃくちゃ難しくて、一時期は「本当に諦めようかな」と思ってしまうほどでした(苦笑)。ただ、語学面はクラブのサポートもあって、今では翻訳機を使わなくてもコミュニケーションを取れるようになってきました。
ーーベンフィカはサッカーファンなら誰しもが知るビッグクラブです。「ビッグクラブだな!」と感じる瞬間や出来事はありますか?
小久保 クラブの施設は本当に立派ですね。最初の半年間は寮で生活していたのですが、その寮もまるでホテルのようでした。もし他のクラブに移籍したら「そのギャップに苦しむんじゃないか?」と考えてしまうほどです。
ーーベンフィカは強いだけではなく、ジョアン・フェリックス(アトレティコ・マドリード)を筆頭に多くの若手選手がさらなるステップアップを果たしています。“ベンフィカで育つ理由”、一体何だと思いますか?
小久保 JリーグのクラブにはU-19、U-23、Bチームがないので、若手選手の実戦経験の場はルヴァンカップくらいですよね。先ほども話した通り、ベンフィカは複数のカテゴリーで構成されています。なので、年間の試合数が確保されています。ポルトガルに来た当初から試合に出場できていましたし、自分以外のGKの選手も出場機会を得ていました。平等とまでは言わないですけど、試合に全く出ないという期間がないんです。またレベルが同じくらいの選手が2人いた場合、より若い選手を起用するという傾向もある気がします。それが“ベンフィカで育つ理由”ではないでしょうか。
「練習でも諦めるな!」 権田修一の言葉
ーー昨年末のU-19日本代表候補合宿には海外組として唯一招集されました。
小久保 “海外組”として見られるので、吸収したものを還元しないといけないというプレッシャーは少しあります。飛行機での長距離移動も伴うのでコンディション面の難しさも感じますけど、日の丸を背負うということに対しては特別な感情を抱いています。呼んでいただけることは素直に嬉しいですし、今回もすごくいい経験ができました。ポルトガル語でコミュニケーションを取れるようにはなってきましたが、日本語だともっともっと細かい部分も追求できるので。久々に同世代の選手たちとプレーできたことも良かったと思います。
ーー世界を見渡せばトップレベルで活躍している若い世代の選手たちも年々増えてきた印象があります。
小久保 そもそもサッカーにおける“若手”という言葉はなくなっても良いと思っています。日本には海外に比べて上下関係という文化があるので、なかなか若い選手がガンガン行くというイメージは持ちづらいかもしれません。ただ、ピッチの中に入れば年齢は関係ないですからね。
ーー「日本代表入り」が目標だと公言されていますよね。その日本代表で活躍しているGK権田修一選手(清水エスパルス)との出会いについてお聞きします。一緒に食事にも行ったようですが、何か印象に残っている言葉はありますか?
小久保 権田さんとは一度だけ食事に行かせていただきました。「練習でも諦めるな!」という言葉がすごく印象に残っています。以降は練習でのシュートに対する意識は徹底しています。シュートを見送ることは簡単ですけど、食らいついていけば、いつかは触れるようになる。その言葉が当時の自分に刺さって、練習からも諦めずに食らいついていくということを権田さんから学びました。一度だけではありましたが、すごく有意義な時間でした。
ーーその権田選手と入れ替わるような形で、柏の先輩でもあるGK中村航輔選手がポルティモネンセに加入しましたね。
小久保 柏時代のコーチを介して連絡は取りました。航輔くんが代表活動などで抜けた際にトップチームの練習に呼ばれることが多かったので、意外とすれ違いで……。なかなか密にコミュニケーションを取るという感じではなかったですけど、航輔くんのストイックな姿勢は自分も見習いたいと思っています。
トップチームで試合出場 そして日本代表へ
ーー海外挑戦は3季目に突入します。伸び盛りのタイミングで世界的ビッグクラブのベンフィカに在籍しているという事実、改めてご自身の中でどう受け止めていますか?
小久保 羨ましがられることもありますけど、この2年間は決して簡単ではありませんでした。18歳でポルトガルに来たという選択は、今振り返ると本当に良かったと思っています。伸び盛りかどうかはわからないですけど、この年齢だからこそできることがあると思っています。
ーー小久保選手にとってのクラブ・代表での最終目標を教えてください。
小久保 まずはベンフィカのトップチームで試合に出場することが一番の目標です。次のステップはまたその次と思っていますが、いずれは日本に戻って家族、応援してくれる方たちの一番近くでプレーしたいという気持ちはあります。将来に関しては本当にどうなるかはわかりませんけどね。ただ、日本でプレーしてから現役を引退したいという考えは持っています。代表での目標はワールドカップに出ることです。そのためにまずは代表に招集されるようになって、ワールドカップメンバー入りを果たしたいです。
ーーでは最後に、その目標を達成するため2021年はどんな年にしていきましょう?
小久保 まずはいち早くベンフィカのトップチームで試合に絡むということを念頭に置き、そこから逆算して「自分は何をすべきなのか」をより明確にしてピッチ内外をもっと充実させていきたいです。体だけではなくて頭も鍛えて、いい選手になっていきたいと思います。