鹿取義隆氏 明大野球部時代の仰天経験「僕らの代は日本刀はなかった」も「木がたまたま頭に...」
2025年4月10日(木)20時21分 スポーツニッポン
巨人、西武でリリーフとして活躍した鹿取義隆氏(68)が8日放送のBSフジ「プロ野球 レジェン堂」(火曜後10・00)に出演し、明大野球部時代の驚きの経験を明かす場面があった。
高知商から「先輩が3人ぐらい行っていた」と明大に進学し、“御大”と親しまれた名物監督・島岡吉郎さん(1989年死去、享年77)の指導を受けた。厳しくも愛ある島岡さんの熱血エピソードはこれまで番組でもOBによって語られており、高田繁氏は「優勝を逃すと日本刀を振り回した」、広澤克実氏も「全員切腹しろと言われた」と証言。鹿取氏は“切腹”については「それはちょっと盛り過ぎてるかも」と話した。
「日本刀は実際に…」と聞くMCの同局・遠藤玲子アナウンサーに、「僕らの代はなかったです。僕らの時はノックバットです」と鹿取氏。フリーアナウンサー徳光和夫が「それも凄い」と驚くと、「木ですから。刀じゃなくて木ですから。殴るっていうか…たまたま頭に落ちた感じ。当たった、みたいな」と遠回しの表現で笑いを誘い、「僕じゃないです。僕の横の選手に“カツン!”、うわっマジか、みたいな」と振り返る。鹿取氏は「木ではなく愛のムチ」を受けたと言い、徳光が「手の平で?」と確認すると「愛のムチです」と笑みを浮かべて繰り返した。
週末に試合がある東京六大学野球。土曜に登板して負けると帰ってから300球を投げたそうで、鹿取氏は「300球は普通の球数」とことも無げに話す。ある時、オープン戦で初回KOされた時には激怒した島岡さんから「1000球投げて来い!」と仰天指令が。「ブルペンに行って、キャッチャー3人代わったんですけど。後輩は立って先輩にボールを返さないといけないので、(捕手は)300回ずつスクワットしなきゃいけない。だから、お前たち立たなくていいからっていうことで」と振り返り、「せっかくだから1000球投げるからって」と何と1000球を投げ切ったことを明かした。
巨人時代の87年には抑えの切り札としてリーグ最多63試合に登板し、“鹿取大明神”と呼ばれた鹿取氏。徳光から「その後の活躍は明大時代の1000球にあったんですね」と聞かれると、「多分その辺で培われたんじゃないかと思いますね」としみじみと話していた。