【欧州CL】下馬評を覆し旋風を巻き起こしたクラブ5選

2025年4月11日(金)18時0分 FOOTBALL TRIBE

写真:Getty Images

UEFAチャンピオンズリーグ(CL)の準々決勝が火ぶたを切った(4月9〜17日)。8強に残ったクラブは、5月31日にドイツ、ミュンヘンのアリアンツ・アレーナで行われる決勝へ向けて一戦必勝で臨み、名勝負が生まれてくる期待感に包まれる。


今回8強に残ったのは、アーセナル(プレミアリーグ)、アストン・ビラ(プレミアリーグ)、ボルシア・ドルトムント(ブンデスリーガ)、バイエルン・ミュンヘン(ブンデスリーガ)、バルセロナ(ラ・リーガ)、レアル・マドリード(ラ・リーガ)、インテル(セリエA)、パリ・サンジェルマン(PSG/リーグ・アン)。


7クラブがUEFAクラブランキング10位以内である中、同ランキング47位のビラが異彩を放っている。ビラはリーグフェーズでの組み合わせに恵まれた印象もあるが、バイエルンを破りノックアウトフェーズへのストレートインぎりぎりの8位で突破すると、決勝Tラウンド16ではクラブ・ブルージュ(ベルギー・プロリーグ)を2戦合計6-1で一蹴。既に国内リーグ4連覇を決めているPSGとの準々決勝を戦っている。


ビラは現在、プレミアリーグでも欧州カップ戦出場圏(6位)から勝ち点差2の7位につけているとあって、難しいチームマネジメントが求められるが、そこは経験豊富なスペイン人指揮官ウナイ・エメリ監督の手腕に注目だ。


過去のCLでも下馬評を覆して旋風を巻き起こしたクラブが存在し、世界のサッカーファンを驚かせた。ここではそんなクラブを、大会前の予想やクラブの規模、歴史的実績、活躍した選手などを挙げながら紹介していきたい。




内田篤人 写真:Getty Images

シャルケ04(ドイツ)2010/11CLベスト4


シャルケには2010/11シーズン当時、元日本代表DF内田篤人が所属。元スペイン代表MFラウル・ゴンザレス、ドイツ代表GKマヌエル・ノイアー、元オランダ代表FWクラース・ヤン・フンテラールなどを擁し、DFBポカールでも優勝した。


CLではグループステージを2位で通過。決勝Tラウンド16ではバレンシア(ラ・リーガ)を破り、準々決勝では前回王者のインテルを2試合合計7-2で圧倒。特にサンシーロでのアウェイ戦で5-2という衝撃的な勝利を収めた。


準決勝でマンチェスター・ユナイテッドに2戦合計1-6で敗れたが、ブンデスリーガで優勝経験のないクラブの快進撃は大きなサプライズと見なされると同時に、日本人選手がビッグイヤー(CL優勝トロフィー)に最も近付いた大会として記憶されている(2019/20CL決勝では当時バイエルン所属の元日本代表MF宇佐美貴史がベンチ入りしたが出場機会はなかった)。


時は東日本大震災直後。翌日の2011年3月12日に行われたリーグでのアイントラハト・フランクフルト戦後に、内田は「日本の皆へ。少しでも多くの命が救われますように。共に生きよう!」という手書きでユニフォームに書かれたメッセージを、中継カメラを通じて世界に届けた。


この試合でシャルケは2-1でフランクフルトに勝利。後半39分の決勝ゴールは、GKノイアーが蹴ったロングボールから決まったものだった。ノイアーは試合前に内田がシャツにメッセージを書いている姿を見て、内田が「負けたら見せないけど、勝ったら見せる」と伝えると、ノイアーは「俺が勝たせる」と言葉を返し、有言実行したエピソードが残されている。快進撃の裏にはチームの一体感があったことを裏付けている。




フアン・カルロス・バレロン 写真:Getty Images

デポルティーボ・ラ・コルーニャ(スペイン)2003/04CLベスト4


スペインのガリシア州にある一地方クラブに過ぎなかったデポルティーボは、2003/04シーズンにCLベスト4に進出。準々決勝で前回王者だったミラン(セリエA)を相手にアウェイの第1戦で1-4で敗れながらもホームの第2戦は4-0で破り、2戦合計5-4という歴史的な逆転劇を演じたことで「スーペル・デポル」と呼ばれた。


“スペインのジダン”の異名を取った元スペイン代表MFフアン・カルロス・バレロン(現カナリア諸島代表監督)を中心に、元スペイン代表DFマヌエル・バブロ、元ブラジル代表MFマウロ・シルバ、元ウルグアイ代表FWワルテル・パンディアーニといった玄人好みの選手を起用し、実にスペイン国内10クラブで指揮を執ったハビエル・イルレタ監督が志向する攻撃サッカーで一時代を築いた。


ミランを破った直後に同監督は「私が監督になって以来、最高の試合」と選手たちを絶賛。今ではスタンダードとなった【4-2-3-1】のフォーメーションを定着させた戦術家でもある。準決勝で後に優勝することになるポルト(プリメイラ・リーガ)に2戦合計0-1で敗れ去ったが、大会ナンバーワンのインパクトを与えた好チームだった。


一時はセグンダ・ディビシオンRFEF(3部)にまで降格し、現在セグンダ・ディビシオン(2部)を戦うデポルティーボだが、ガリシア地方を代表するクラブであることには変わりなく、まずは同じガリシア州のライバル、セルタ・デ・ビーゴとのガリシアダービーの復活が待たれる。


ロビー・キーン 写真:Getty Images

リーズ・ユナイテッド(イングランド)2000/01CLベスト4


日本代表MF田中碧が加入したことで日本でもおなじみとなったリーズ・ユナイテッド。現在、イングランド2部のEFLチャンピオンシップで優勝争いを繰り広げており、2022/23シーズン以来のプレミアリーグ復帰も現実味を帯びてきている。


そんなリーズはプレミアリーグでは優勝経験もなく、プレミアリーグ創設前のイングランドリーグでは優勝3回を誇るものの、欧州での実績は乏しかった。しかし、1971/72シーズンのFAカップを制し、欧州カップ戦でも、1970/71シーズンをもって消滅したフェアーズカップ最後の優勝クラブとなった。1990年代にはプレミアリーグでも上位争いの常連に。1997/98から2001/02まで5シーズン連続で1桁順位となる。


CL2度目の出場となった2000/01シーズンは、デビッド・オレアリー監督の下、元アイルランド代表FWロビー・キーン、元オーストラリア代表FWハリー・キューウェル、元イングランド代表FWアラン・スミスといった強力な攻撃陣に加え、元フランス代表MFオリヴィエ・ダクール、元イングランド代表MFリー・ボウヤー、元イングランド代表DFリオ・ファーディナンドといった若手とベテランの融合で、レアル・マドリードやラツィオと同居したグループリーグを2位通過すると、準々決勝ではデポルティーボを破り4強進出。準決勝でバレンシアに敗れた(2戦合計0-3)が、同大会の台風の目となった。


しかしその後、大型補強がたたって財政難に陥ったリーズは、2007年には約84億円の負債を抱えて破産。これに伴いEFLリーグ1(3部)へ降格する。クラブは何度も買収や売却を繰り返すも財政難は変わらず、これが解消されたのは、スポーツメディアグループ「イレブン・スポーツ」の創業者でイタリア人実業家のアンドレア・ラドリッツァーニ氏がオーナーに就任してからのことだ。


ラドリッツァーニ氏は2018/19シーズンを前に、“エル・ロコ(変人)”と呼ばれる稀代の戦術家でもあるアルゼンチン人監督マルセロ・ビエルサ氏(現ウルグアイ代表監督)を招聘。就任2年目の2019/20シーズンに2部優勝とプレミアリーグ昇格を成し遂げ、古豪復活を印象付けた。


2022/23シーズン、19位で再降格の憂き目に遭うが、以前のような身の丈に合わない大型補強とは無縁の堅実経営に徹した。前述の田中碧や、2018/19シーズンに所属した元日本代表MF井手口陽介(現ヴィッセル神戸)の獲得は、その延長線上によるものだ。


仮にプレミア昇格を果たしたとしても、欧州カップ戦出場権を得るまでには相当長い道のりが待っているだろう。しかし、ド派手な黄色のユニフォームを着用し、攻撃サッカーを繰り広げる黄金期のリーズに魅せられた日本のプレミアリーグファンは多い。今季“超”の付く古豪のノッティンガム・フォレストが欧州カップ戦出場権争いを繰り広げていることから、再びリーズが欧州の舞台に戻ってくる日もそう遠くないのではないのか。日本のファンは首を長くして待っている。




ディエゴ・フォルラン 写真:Getty Images

ビジャレアル(スペイン)2005/06CLベスト4


人口約5万人の街をホームとする典型的地方クラブだったビジャレアルを一躍有名にしたのが、4強に進出した2005/06シーズンのCLだろう。グループリーグを1位で突破すると、決勝Tラウンド16でレンジャーズを、準々決勝でインテルを破り、街は燃えに燃えた。


当時の監督はチリ人指揮官のマヌエル・ペレグリーニ氏。この大躍進で翌シーズンにはレアル・マドリードに引き抜かれた。セレッソ大阪(2014-15)でも活躍し、現在はプロテニス選手に転向した元ウルグアイ代表FWディエゴ・フォルランと元スペイン代表FWホセ・マリの両エースと、トップ下には元アルゼンチン代表MFフアン・ロマン・リケルメを配し、その両脇を元スペイン代表MFマルコス・セナと元アルゼンチン代表MFフアン・パブロ・ソリンが固め、中盤の底には元イタリア代表MFアレッシオ・タッキナルディを置く攻撃サッカーを披露し、快進撃を演じた。


準決勝でアーセナルに2戦合計0-1で敗れ、CL決勝進出はならなかったビジャレアル。しかし、毎シーズン欧州カップ戦に出場し続け、今季もCL出場権を得られるチャンスが残されていることで、再び旋風を巻き起こす可能性もあるだろう。以前と異なるとすれば、既に欧州カップ戦の常連となっていることで、上位進出したとしてももはやサプライズではないといった点だろうか。




ジョゼ・モウリーニョ監督 写真:Getty Images

ポルト(ポルトガル)2003/04CL優勝


この2003/04シーズンのCLは、優勝したポルトというクラブよりも、後に世界的名将となるジョゼ・モウリーニョ氏(現フェネルバフチェ監督)を有名にした大会といっても過言ではないだろう。


下馬評では“アウトサイダー”という評価だったが、グループリーグを2位突破すると、決勝Tラウンド16ではマンチェスター・ユナイテッドを、準々決勝でオリンピック・リヨンを撃破。準決勝のチェルシー戦では2戦合計5–3という壮絶な撃ち合いを制し、その勢いで決勝でモナコを3-0で完勝して優勝している。


ポルトとしては1986/87シーズン以来の快挙であり、世界中を驚かせた。このシーズン以降、欧州5大リーグ以外からCL優勝クラブが出ていないという事実が、いかに大仕事だったかを物語っている。


モウリーニョ氏は元々、ボビー・ロブソン氏(2009年死去)が1992年にスポルティングCP監督に就任した際の通訳としてスタッフ入りし、翌1993年にはアシスタントコーチに昇進。ロブソン氏とともにポルト、バルセロナで通訳やアシスタントコーチを務め、ロブソン氏がバルセロナを去った後も、次期監督のルイ・ファン・ハール氏のアシスタントコーチを任された。当時のバルセロナには、後に不俱戴天の仇となるジョゼップ・グアルディオラ氏(現マンチェスター・シティ監督)も所属していた。


モウリーニョ氏の監督デビューは2000/01シーズン、いきなりポルトガルの強豪ベンフィカだった。しかしクラブ内のゴタゴタに嫌気を差し辞任。2001/02シーズン、ウニオン・レイリアの監督を経て、2002年1月、またも名門のポルトからオファーを受ける。当時不調に喘いでいたチームを立て直し、3位フィニッシュさせると、「来年はチャンピオンにしてみせる」とビッグマウスを炸裂させた。その言葉はメディアの冷笑を買ったが、翌2002/03シーズンには国内リーグ、国内カップ、UEFAカップの3冠を達成し、批判的なメディアを実力で黙らせた。


モウリーニョ氏のチームは【4-3-1-2】のフォーメーションを敷き、鋭いカウンターを武器としたが、ポゼッションを放棄したわけではなく、後にビッグクラブへと移籍していく元ポルトガル代表MFデコやセルジオ・コンセイソン、コスティーニャ、マニシェといったテクニックと運動量を併せ持った選手も多く揃っていた。


後にモウリーニョ監督のアシスタントとなり、チェルシー(2011-2012)、トッテナム・ホットスパー(2012-2013)、ゼニト(2014-2016)、上海上港(2016-2017)、マルセイユ(2019-2021)の監督を歴任したアンドレ・ヴィラス・ボアス氏(現FCポルト会長)も選手として在籍していた。


当時は監督も選手も有名なわけではなかったが、その後の活躍ぶりを見ると、この優勝がフロックではなかったと納得させられる。




これらのクラブはいずれも大会前の予想を裏切り、卓越した戦術やチームワークで上位進出を果たした。こうした事例は欧州CLの魅力でもある予測不能性を象徴しているといえるだろう。

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