「初代タイガーマスク」佐山サトル、“過激な仕掛人”新間寿さんへささげた「弔辞」【全文】…「まだ別れたくないです」
2025年4月30日(水)13時39分 スポーツ報知
弔辞を読み上げる佐山サトル
今月21日に90歳で亡くなった“過激な仕掛人”とうたわれ、アントニオ猪木さんと共に昭和の新日本プロレスで黄金時代を築いた元新日本プロレス専務の新間寿さんの告別式が30日、新宿区の感通寺でしめやかに営まれた。
式には、親交のあった経団連の十倉雅和会長、初代タイガーマスクの佐山サトル、藤波辰爾、大仁田厚、ジャガー横田、中嶋勝彦、Sareee、マリーゴールドのMIRAI、力道山の妻・田中敬子さんら多数のプロレス関係者が参列した。
弔辞は、新間さんが1981年4月にプロデュースし登場した初代タイガーマスクの佐山サトルが読み上げた。メニエール病で闘病中の佐山は、椅子に座ったまま、用意した文章を読み上げる形ではなく、そのままの言葉で祭壇へ「父親のような人」と明かした恩人へ「新間さん、悔しいです」と切り出し、言葉を詰まらせながら思いをささげた。
◆弔辞全文
「新間さん、悔しいです。新間さんが最後まで『佐山頑張れ!』って応援してくれて。『(ストロングスタイルプロレスの)6月(の後楽園ホール)は2人でリングに立つぞ』…。
僕は新間さんがこんなに悪いなんて知りませんでした。
僕は声も出せない状態でベッドに寝ていて…。新間さんの言葉を聞いて本当に頑張んなきゃな…。
この20年間、新間さんと毎日のように会って、(帝国ホテルの中華料理店の)『北京』で食事したり、全国いろんなところを旅して歩いたり、温泉に行きたいなぁって…温泉に行こうぜ…そういう約束をしたのに…。
新間さんが亡くなった時、絶対に新間さんに会いにいかなきゃ…自宅にお伺いした時、なぜか実感が湧かなくて…佐山、頑張れ!そう新間さんが言ってくれてるんだなぁと思いました。
その日からなぜか不思議なんですけど、僕、声が出るようになりました。
新間さんが僕を新日本プロレスにいれてくれて、タイガーマスクとしてデビューさせてくれて…新間さんの過激な仕掛人、その仕事ぶりは知ってても若いころの自分は、雲の上の存在で。晩年になって新間さんの真の姿を見ることができて、この20年間、何の仕事も『動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとく』この言葉がぴったりの新間さんだと思います。全国のみなさんもそう思っています。
でも実際の新間さんはすごく温かく、家族思いで…優しいことは、ここにいらっしゃる皆さんも知っていると思います。
プロレス愛、非常に強い方でした。新間さんがプロレス愛を語る時、どうも私があまり反応しないので…それを毎回、応援してくれてるようで…新間さんの温かい優しい心、プロレスに対する愛情、今そこで眠ってらっしゃる新間さん、僕もそこにで頑張ってみようと思います。
愛情を込めて藤波(辰爾)さんたちと一緒になってプロレス界を盛り上げていきたいな…そういう気持ちになりました…。
新間さんまだ別れたくないです。
必ず成功するので見守ってください。私たちはやります。あなたが願っていたごとく…そこに集中して頑張っていきます。またいつか、その大成功の報告をしたいと思います。
今までありがとうございました。
新間さんありがとうございました」