日本球界に新風を巻き起こした「日系2世」と日本初のスイッチヒッター「赤い手袋」…背番号物語「7」

2025年5月1日(木)6時0分 スポーツ報知

巨人に新風を吹き込んだ与那嶺要(1957年撮影)

 「7」は、まず俊足のイメージをかきたてる番号だ。

 51年シーズン途中、日系2世の与那嶺要が入団して「7」を背負い、併殺を防ぐ激しいスライディングで日本球界に新風を巻き起こした。

 52年には1番・中堅のレギュラーとなり、打率・344、38盗塁。54、56、57年には首位打者を獲得した。

 外野手の高林恒夫、捕手の大橋勲らを経て1番・中堅に「7」が戻ってくるのは70年の柴田勲になる。

 V9時代のリードオフマン、赤い手袋の柴田。法政二で2度甲子園優勝投手になり62年に鳴り物入りで巨人入り。投手としての入団だったため、最初の番号は「12」だった。

 しかし「肩の調子も悪くて、1年目に投手失格の烙印(らくいん)を押された自分が、スイッチヒッターになったおかげでレギュラーになれた」と昨年、スポーツ報知の「G九十年かく語りき」で語ったように、俊足を生かし日本初のスイッチヒッターとなってから才能が開花。63年から1番・中堅に定着し、66年に初の盗塁王に輝く。「12」を8年つけた後、70年から「7」を12年間。81年に引退するまで6度の盗塁王を獲得。セ最多記録の通算579盗塁をマークした。

スポーツ報知

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