突き抜けた排気量で“1年勝負”。秘密裏に進められたトヨタ・スープラV8NA化計画【スーパーGT驚愕メカ大全】

2020年5月25日(月)12時34分 AUTOSPORT web

 1994年に始まった全日本GT選手権(JGTC。現スーパーGT)では、幾多のテクノロジーが投入され、磨かれてきた。ライバルに打ち勝つため、ときには血の滲むような努力で新技術をものにし、またあるときには規定の裏をかきながら、さまざまな工夫を凝らしてきた歴史は、日本のGTレースにおけるひとつの醍醐味でもある。


 そんな創意工夫の数々を、ライター大串信氏の選定により不定期連載という形で振り返っていく。第4回となる今回は、あまりにも有名な「規定の穴」をついたエンジンについて。そこにはしたたかさに加えて、「覚悟」もあった。


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 初期のJGTC、スーパーGTの車両規則は、生産メーカーが同一である限りエンジンをベースモデルと関わりがない型式のものに換装することを許していた。できる限り改造コストを抑制して競技車両の高性能化を実現する「緩和特則」であり、世界のGTレースを見ても特に珍しい規定ではなかった。


 たとえばトヨタは、A80型スープラでJGTCを本格的に戦い始めるとき、市販モデルが搭載していた直列6気筒エンジンではなく、量産ラインアップには存在しなかった3S-GTE型直列4気筒ターボ過給エンジンに換装している。


 たしかに3S-GTEは軽量コンパクトでしかもレーシングエンジンとして長年にわたり熟成されてきただけに競技車両に適してはいたが、使われたエンジン自体はグループC時代に使用していた個体そのもので、TRDアメリカの倉庫からホコリを払って引っ張り出したものだったというから、あえていうならば「廃物再利用」によるコスト削減策でもあった。


 レーシングテクノロジーに関わる技術者たちは、改造範囲を規定する車両規則を隅から隅まで読み、そこにヒントが隠れていないか考える人々である。場合によっては明文化されていない、いわゆるグレーゾーンを見つけ出し、そこへ突撃してライバルを出し抜こうとさえする。傍観者にとってはこの、ちょっとひねくれた知恵比べが楽しくてしかたがない。


 3S-GTEを持ち出したスープラ開発陣は2003年にも結構な荒技を繰り出している。それがスープラV8化作戦だった。後から聞けばじつは1996年、JGTCにマクラーレンF1 GTRが登場してシリーズチャンピオンをさらったときから、当時の車両規則では大排気量エンジンが有利であることに気づいていたのだという。


 当時の車両規則では排気量によって吸気リストリクター径が決められており、排気量が増すに従って吸気量が制限されて最大出力が抑制される仕組みになっていた。


 競技専用のレーシングエンジンは、まず排気量規定があってそれに合わせて開発されるものだが、GTで用いられるのはすでに量産車用に開発されたさまざまな排気量の既存エンジンである。これらの性能をそろえ、広く流用しながらデッドヒートを実現するために考えられたのが、排気量区分で吸気を制限する当時の規定だった。


 基本的には、排気量をいくら増やしても制限が厳しくなって決して有利にはならないように定めてあるはずだった。


 ところが開発陣がよくよく排気量区分とリストリクター径を規定するテーブルを読み込んでみると、3.5リッター以上の自然吸気エンジンについては吸気リストリクター径が一定となり、排気量が増せば増すほどエンジンの単体性能という面では有利、つまり自然吸気大排気量エンジンが有利な設定になっていることが見えてきた。


 なぜエンジン規制にある意味こうした抜け道があったのかは不明だが、おそらくは自然吸気大排気量エンジンを搭載するアメリカ車を日本のシリーズへ誘致するための措置だったのではないか。アメリカの市販エンジンならどんなものが来てもそれほど脅威にはなるまい、いろんなのが来たらレースがおもしろくなるはずだよね、という読みもあったに違いない。


 だが、スープラの開発陣はこの規定に正面から突撃した。

デビュー前年、02年10月の富士でのテストを報じたauto sport誌面。この5号前でのスクープでは3UZエンジン使用の可能性に触れてはいるものの、排気量についてはまったくつかめていなかった。


■パイプフレーム化もきっかけに


 それまで使ってきた3S-GTEは長年にわたってチューニングが積み重ねられた結果開発の余地がなくなる一方、コスト抑制のためにエンジンライフを延長しなければならなくなって苦しい状況に陥っていた。


 それならば、思い切って大排気量の自然吸気エンジンを投入しよう、と思い立った開発陣が白羽の矢を立てたのが、セルシオ用の排気量5.2リッター自然吸気V型8気筒エンジン3UZ-FEだった。大排気量自然吸気エンジンならば最大パワーだけではなく3S-GTEが課題としていた低回転時のトルクも充分ある。


 発想自体は以前からあったという。しかし直列エンジン用に開発されたスープラのエンジンルームにV型エンジンを詰め込むには無理があって、実現には踏み切れないでいた。


 ところが、以前にこの連載でも触れたように、2003年は車両規則が改定されキャビン前後のフレームは自由に設計したパイプフレームに置き換えて良いことになる。つまりV型エンジン用のフレームを作ればスープラにV型エンジンを組み合わせられる。機は熟したのである。


 しかも、ライバルのホンダもニッサンも、5リッターを超える領域でレーシングチューンを施せる大排気量エンジンを持っていなかった。スープラ開発陣の発想は、周囲の意表を突くものだった。


 もっとも、規定の上に書かれた数字を改定して大排気量自然吸気エンジンの利点を潰すことは容易である。規定改定の際、多数決になれば勝ち目はない。


 興味深いのはスープラ開発陣自身、このアイデアを明らかにすれば吸気リストリクターの規定が見直されてせっかくの利点は失われてしまうだろうと予測し、せめて1年はこの抜け道を確保して戦いたい、勝負は1年限りだと覚悟していた点だ。


 規定を定めるJAFテクニカル部会が会議を開いて翌年のリストリクターテーブルを決めるのは8月。スープラ開発陣は2002年初めから極秘のうちにV型8気筒エンジンを搭載したスープラのテスト走行を重ねてパフォーマンスの目処をつけながら8月を切り抜け、2003年シーズンにマシンを投入した。


 V8スープラは期待通りの性能を発揮し、シリーズチャンピオンを獲得することはできなかったが、シーズン3勝を挙げた。


 そして当然ながら2004年のリストリクタテーブルは書き換えられ、2003年ほど大排気量自然吸気エンジンの利点はなくなってしまった。


 だが、スープラ開発陣は新しいリストリクタテーブルを解析、最適化のため排気量を5.2リッターから4.5リッターへ縮小して新しい条件に備え、改めて大排気量自然吸気エンジンの戦いが始まることとなった。文字で書かれた規定の抜け道を通り抜けた驚愕の裏技は、こうして“表技”となったのだった。

03年型スープラで2勝を挙げた脇阪寿一/飯田章組。第3戦SUGOは、ファイナルラップ・最終コーナーでの逆転劇としてあまりにも有名だ。


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