日本人初のサファリラリー優勝者、藤本吉郎が語るセリカGT-FOURでの挑戦/WRC

2021年6月17日(木)12時41分 AUTOSPORT web

 2021年シーズンのWRC世界ラリー選手権では2002年以来、19年ぶりにサファリラリーが復活する。アフリカ・ケニアを舞台に行われるラリーは2020年にWRCイベントとして開催される予定だったが、新型コロナウイルスの影響で開催がキャンセルされ、今季改めてカレンダー入りが叶った形だ。そんなサファリラリーで日本人として初めて優勝を果たした藤本吉郎がWRC公式サイト『wrc.com』のインタビューに答えている。


 市販車およびモータースポーツ競技車両用サスペンションの製造、販売を行う株式会社テインを起こし、現在は同社の代表取締役専務を務める藤本氏。彼は1995年にST185型トヨタ・セリカGT-FOURを駆り、日本人ラリードライバーとして初めてサファリラリーで優勝し歴史にその名を刻んだ。


 当時はWRCとは別の2リットル世界ラリー選手権としての開催だったが藤本氏はこの年の大会で、2位につけた篠塚建次郎(ミツビシ・ランサー・エボリューションIII)を40分以上も引き離して勝利を飾り、トヨタにサファリラリー4連覇をもたらしている。


 そんな藤本氏がwrc.comのインタビューに応じ、当時の話や来週6月24〜27日開催される『サファリ・ラリー・ケニア』への思いを語った。


* * * * * * *


Q:ご自身のことや1990年代のキャリアについて少し教えてください。


「私は1985年にテインを設立しました。私がドライバーで、ビジネスパートナーがコドライバーでした。当時、我々は日本で多くのラリーに参加していましたが、良いサスペンションは見つかりませんでした。そこで自分たちで作ることにしました。それが1985年の会社設立のきっかけでした」


「私たちは『利益を上げ、それをWRCのラリー活動に役立てよう』という野心がありました。一歩一歩、私たちは成長し、1993年の終わりにトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)に参加する機会を得ました」


「1993年から1996年まで、私たちはテイン・スポーツと呼ばれる当社独自の活動を行っていました。そこではWRCアジア太平洋ラウンドを行いました。その後1994年と1995年にTTEに参加する機会があり、トヨタは1998年まで私たちをサポートしてくれました」

藤本吉郎がドライブしたST185型トヨタ・セリカGT-FOUR 1995ラリーサファリ


■マシンが横転も、マサイ族に救われた


Q:1995年の優勝以前に、フルルートを8回ドライブしたというのは本当ですか?


「そうですね。1995年、トヨタは私に「ケニアに行き、5カ月間滞在してくれ」と言ってきました。そのため、私は1月の初めに現地に飛び、そこでたくさんのテストをしました。当時、私たちはいわゆる“高速テスト”と呼ばれるものを実行していました。ケニアの道路ではグループAカー、つまり適切なラリーカーですべてのコースの確認できました」


「私は8回にわたるレッキを行いました。つまり、2万4000km近くをラリースピードで走ったことを意味します。とはいえ、ケニアのラリースピードはスプリントラリーよりも少し遅いのです。なぜならクルマが耐えきれないので」


Q:当時のサファリラリーは他の選手権とどのように異なっていましたか?


「サファリは、モンテカルロ、GB(イギリス)、サンレモなどの他のラリーとは完全に異なっていました。道路は閉鎖されていなかったので、チームのヘリコプターで道の先に何があるかを教えてもらう必要がありました。地元のバスが来たとか、キリンが来たとか、そういった場合にはスピードを落とさなければなりませんでした」


「6速全開の状態でクレストを超えていたとき突然、反対側からクルマが来ることを想像してみてください。だからこそ追加のサポートが必要だったんです」


Q:イベントで何かミスはありましたか?


「3日目に、選択の余地があったために間違いを犯しました。ミシュランの新しいタイプのアンチパンクチャータイヤを使っていたのですが、そのタイヤがグリップ力が少し劣っていました。その影響で私はクルマを滑らせ土手にぶつかってロールしてしまいました。しかし、それは非常にゆっくりとした転がり方で、見た目だけのダメージで済んだのが幸運でした」


「私とアルネ(・ヘルツ、コドライバー)がクルマの外い出ると、突然3、4人のマサイ族がやって来ました。私たちはクルマを道路に戻しふたたびラリー続けました」


Q:それはラッキーでしたね! ラリーで優勝した時はさぞホッとしたでしょう


「はい! ロールした後、すぐに私のラリーが終わったと思いました。でも、コースに戻ったとき、『ああ、私はついている。今は勝つチャンスがある』と思いました。私たちはサービスですべてを修復し、完璧なドライビングが可能になりました」


「その時点で私と(篠塚)建次郎のギャップは20分くらいでした。20分はまだキャッチすることが可能だったと思いますが、彼もまたいくつかのダメージを受けて遅れていました。そのため、私はリラックスしてクルージングしていました」

レストアを受けるセリカGT-FOUR


■勝田貴元に必要なのは経験。将来の表彰台獲得も可能


Q:レストアされたセリカはとてもきれいですね。それはあなたが優勝したときのクルマとまったく同じもおのですか?


「はい、そうです。私たちが優勝した後、トヨタ自動車は記憶に残るクルマだと判断し、日本に持ち込みました。最終的には自分で作り直すことにしたので、今は日本に戻っています」


Q:最近はグループAセリカが少なくなっています。パーツの調達は難しかったですか?


「レストアはドイツで行いましたが、元TTEの人間はまだたくさんいます。世界にはまだ古いセリカのファンがたくさんいるので、彼らは多くのレストアを行っています。そのなかでリビルドされたパーツもあれば、まだ市場で買える部品もありますし、自分たちで作ったパーツもあります」


Q:サファリラリーがWRCに復帰することについてどうお考えですか?


「それは非常にユニークで、とてもやりがいがあるものだと思います。WRCイベントがケニアに戻ってくるのですから、とてもうれしいですね。ケニアは私の第二の故郷のひとつであり、そこにはたくさんの良い思い出がありますから」


Q:今年トヨタ車をドライブしている別の日本人スターがいます。勝田貴元の躍進について、どのように感じていますか?


「彼とは以前、何度か話をしたことがあります。当時、彼はよくクラッシュしていました。それは彼がF3からラリーに転向してきたので、どこでもコースを覚えることができると信じていたためです。しかし今、彼はラリーをよく理解しています」


「ラリーでもっとも重要なことは経験です。この競技ではサーキットレースではありませんので、すべての場所を覚えるのは簡単なことではありません。それだけにペースノートは重要です。トップレベルになるには、WRCで最低でも3〜4年の経験が必要です。なぜなら、それぞれラリーは非常に異なる性格を持っているためです」


「(勝田)貴元はよくやっていると思います。あとはフィニッシュし続けること、速く走りすぎないこと、そしてさらに経験を積むことが重要です。そうすれば彼はトップレベルの舞台で表彰台を手にすることができるでしょう」

TOYOTA GAZOO Racing WRCチャレンジプログラムに参加し、トヨタ・ヤリスWRCでシリーズ全戦に出場している勝田貴元

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