チェルシーに背番号「9」の呪い…ルカクはジンクスに打ち勝てるのか?
2021年8月19日(木)15時27分 サッカーキング
昨シーズンまで在籍したインテルでは、スクデット獲得に貢献し、リーグの最優秀選手にも選出。在籍2年間で公式戦95試合出場64得点と結果を残し、「世界屈指のストライカー」と呼ばれるまでに成長を遂げた。
だが、サポーターの期待を一身に背負う男には、いやなジンクスが立ちはだかる。ロマン・アブラモヴィッチ氏がオーナーに就任して以降、チェルシーでは“背番号9”を付けた選手が長く活躍できていないのだ。
ルカクは、この忌まわしきジンクスに打ち勝つことができるのか。イギリス紙『ザ・サン』は、チェルシーの歴代9番を特集。ここでは、アブラモヴィッチ政権発足以降に背番号9を着用した選手たちを紹介する。
▼マテヤ・ケジュマン(元セルビア代表FW)
“エールディヴィジ得点王”という肩書を引っさげて、2004年にチェルシー入り。アブラモヴィッチ政権発足後、初めて“背番号9”を着用した。だが、チームがプレミアリーグ初優勝を果たす一方で、ケジュマンは4ゴールと不発。わずか1年で、アトレティコ・マドリードに放出された。
▼エルナン・クレスポ(元アルゼンチン代表FW)
2003年に加入し、ケジュマン退団後に背番号9を継承。2005−06シーズンのプレミアリーグでは10ゴールを記録するなど、まずまずの結果を残したが、当時世界トップクラスのストライカーと評された選手にしては物足りない数字に終わった。その後はインテルへ貸し出され、再びチェルシーのユニフォームに袖を通すことがなかった。
▼ハリド・ブラールズ(元オランダ代表DF)
2006−07シーズンに背番号9を託されたのは、なぜかDF登録のブラールズだった。ハンブルガーSVから加入するも、センターバックコンビを形成していたジョン・テリーとリカルド・カルヴァーリョの牙城を崩せず。チェルシーでは公式戦23試合に出場にとどまった。
▼スティーヴ・シドウェル(イングランド出身MF)
2007年、レディングからフリートランスファーで加入すると、中盤センターを本職としながら、背番号9を授かった。とはいえ、フランク・ランパードとマイケル・エッシェンが君臨するなか、バックアッパーの域を出ず、アストン・ヴィラへ移籍。背番号9はまたしても“空き番”となった。
▼フランコ・ディ・サント(元アルゼンチン代表FW)
背番号9が再びストライカーに託されたのは2008年。10代でイングランド上陸を果たしたディ・サントが重責を担うことになった。だが、やはり荷が重く、2008−09シーズンは16試合に出場したものの、1ゴールも奪うことができず。大きなインパクトは残せなかった。
▼フェルナンド・トーレス(元スペイン代表FW)
2011年1月、リヴァプールからチェルシーへの電撃移籍を果たし、背番号9を着用。しかし、3年半の在籍中にプレミアリーグで記録したゴール数は「20」。2012年にはチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げたが、5000万ポンド(現レートで約75億円)とも言われる移籍金に見合う結果を残したとは言い難い。
▼ラダメル・ファルカオ(コロンビア代表FW)
背番号9の呪いの“最大の被害者”とも言われるのが、ファルカオだ。2015−16シーズンに1年のレンタル契約で加入するも、プレミアリーグでは先発出場数と得点数がともに「1」と散々な結果に。度重なるケガに見舞われ、存在すら希薄だった。
▼アルバロ・モラタ(スペイン代表FW)
2017年に当時のクラブ史上最高額となる移籍金でチェルシーに加入。プレミアリーグ開幕戦から得点を挙げるなど順調なスタートを切り、最終的には11ゴールを記録したが、終盤はベンチスタートが続いた。すると2年目には、背番号を「29」に変更。自身の双子の誕生日(7月29日)をマイナンバーに選んだ。
▼ゴンサロ・イグアイン(元アルゼンチン代表FW)
アルゼンチンが生んだ点取り屋は、2018−19シーズン途中にユヴェントスからのレンタルでチェルシーに加入すると、背番号9を着用。“恩師”マウリツィオ・サッリ監督のもとでシーズン後半戦を戦ったが、公式戦18試合出場5得点の記録を残して、退団した。
▼タミー・アブラハム(イングランド代表FW)
ルカクとの入れ替わりで退団したアブラハムが、背番号9の前任者だ。アストン・ヴィラへの武者修行を経てチェルシーに復帰すると、2019−20シーズンはプレミアリーグで15得点を記録。チェルシーの9番としてのプレッシャーを克服したかに思えたが、昨季はトーマス・トゥヘル監督就任以降に出場機会が激減し、先日、ローマへの完全移籍が発表された。
(記事/Footmedia)