20年連続シードを達成した東洋大の原動力、最後の箱根を走れなかったエースの思いと『ヴェイパーフライ』後継モデル
2025年2月2日(日)6時0分 JBpress
(スポーツライター:酒井 政人)
最後の箱根駅伝を走れなかった4年生
石田洸介と梅崎蓮。鉄紺のエースたちは最後の箱根駅伝を走ることができなかった。彼らはどんな状況だったのだろうか。
石田は12月に入って右アキレス腱を痛めて、うまくトレーニングが積めていなかったという。それでも酒井俊幸監督は淡い期待を込めて石田を1区に登録した。
「11月26日の小江戸川越ハーフマラソン出場後の走り込みで思うようにいかなくなったんです。1区にエントリーしていただきましたが、12月18日に走れないことを監督に伝えました。すぐに気持ちを切り替えるのは難しかったですけど、走るメンバーをサポートしていくなかで、少しずつ気持ちが和らいでいきました。彼らが頑張る姿を間近で観て、徐々に前向きな気持ちになったんです」
一方の梅崎は12月29日の「区間エントリー」で2年連続となる2区に登録されたが、12月30日に左アキレス腱の痛みが再発。自ら“悲痛の告白”を行っている。
「12月21日の法大競技会10000mは寒さもあり、気になっていた腸脛靭帯の張りが強く、いつものように踏み込むことができませんでした。レース後に左アキレス腱に痛みが出ましたが、3日ほどで回復したのでジョグを開始しました。でもポイント練習後に再び痛みが出て、治らなかったんです。このまま出場すれば最悪の場合、途中棄権の可能性がある。それは絶対に避けなければならないと考えて、自分から欠場したい旨を監督に伝えました」
そしてふたりのエースはサポートにまわることになる。石田は3区と9区、梅崎は2区と10区の付き添いを担当した。
「レース当日は少し緊張していました。梅崎も欠場することになり、大丈夫だろうか? という不安があったんです。自分の役割は付き添いだったので、最後は『楽しんで思い切って走ってほしい』という気持ちを伝えました。3区迎暖人(1年)の走りが順位を押し上げるきっかけになったので、自分の方が安心しましたね」(石田)
「昨年2区を経験したので、コースの特徴やポイントなどをしっかり伝えて、緒方澪那斗(3年)が緊張しないようにサポートしました。自分のせいで、急遽2区を走ることになり、負担が大きかったと思います。緒方は予定していた1区であればしっかり走れていたのではないでしょうか。チームとしては3区と4区でしっかり順位を上げたのが大きかった。1年生の迎が頑張り、岸本遼太郎(3年)も区間3位と力走してくれたので、次につながるレースになったと思います」(梅崎)
4年生エースを欠きながら、チームは総合9位。20年連続シードを確保したことに、ふたりは安堵した。そして今後の東洋大に大きな可能性を感じている。
「本当に厳しい状況だったと思いますが、一人ひとりが粘り強く走って、1秒をけずりだす東洋大らしい姿勢を感じました。20年連続のシード権を獲得しましたが、来季以降は東洋大の定位置である3位以上、そして優勝を目指せるチームにつなげてほしいと思います。経験者が8人残る次回の箱根駅伝は大きなアドバンテージがある。自分たちが果たせなかった悔しさを託すのはおこがましいですけど、後輩たちには強い東洋大を取り戻してほしいと願っています」(石田)
「誰ひとりあきらめなかったからこそ、20年連続シードを実現できた。伝統を守ることができて感謝しています。今回のメンバーのうち4年生は2人だけ。残りの8人がしっかり引っ張ってくれれば、より強いチームになると思います。トラックシーズンからしっかり取り組み、出雲駅伝や全日本大学駅伝でも結果を残せるように頑張ってほしいです。力はあるので、期待しています」(梅崎)
ふたりは大学卒業後、実業団の道に進む。石田はSUBARU、梅崎は大塚製薬に入社予定だ。「日本のトップレベルを目指したいですし、その先は世界も視野に入れています。記憶に残る選手になりたい」と石田が言えば、梅崎も「実業団ではマラソンに取り組むことになると思います。具体的な目標はまだありませんが、いずれは世界を目指せる選手になりたいです」と将来の野望を口にした。
『ヴェイパーフライの後継モデル』が鉄紺の走りを後押し
石田と梅崎の“思い”が出走した選手たちのエネルギーになったが、今回はシューズの影響も大きかったようだ。
東洋大の選手は大半がナイキのシューズを着用。なかでも発売前の『ヴェイパーフライの後継モデル』を選んだランナーが5人もいたのだ。
1区を務めた小林亮太(4年)は「ヴェイパーフライとアルファフライの良いところを組み合わせたようなシューズだと感じました。程よい硬さと反発性があり、履いてすぐに『これだ』と思いました。 新しいシューズでも抵抗なく走ることができました」と好感触を得ていた。
復路予定から往路に入った迎暖人(1年)は、「前モデルと比べて弾む感覚があったので決めました。重要な練習時に試したり、ジョグや流しでも使用して、『これならいける』という確かな感触があったんです」と新モデルが3区(8位)の好走につながったようだ。
前回10区で区間賞に輝いている岸本遼太郎(3年)は、「以前履いていた『ヴェイパーフライ 2』の感覚に近く、自分が求めていたシューズだと感じました。『アルファフライ 3』を使用していた時期もありましたが、新モデルの方が走りやすく、感触が良かったので、こちらを選びました」と今回は4区で7人抜きの快走を見せた。
3年連続で6区を走った西村真周(3年)は、「シューズ選びに悩んでいたなかで、『ヴェイパーフライの後継モデル』を履いたところ、他のシューズよりも走りやすく、特別感もあって気分が上がりました。特にスピードを出したときの感覚が良く、安定感やフィット感も抜群だったので選びました」と話す。
なかでも『ヴェイパーフライの後継モデル』を着用して、調子を上げたのが網本佳悟(3年)だ。
シューズを替えたら走りが変わった
網本は昨年9月の日本インカレ10000mで8位(日本人2位)に入ったが、10月の出雲駅伝は3区で区間13位と振るわなかった。その後、なかなか調子が上がらず、シューズ選びに悩んでいたという。一時はトレーニングモデルともいえる『ズーム フライ』をレースで使用することも考えたほどだ。しかし、『ヴェイパーフライの後継モデル』を着用すると、調子が上昇。箱根駅伝では8区を区間2位と快走した。
「出雲駅伝やオランダ遠征では『アルファフライ 3』を履いたんですけど、脚筋力が足らない部分があり、シューズの恩恵をうまく受け取ることができませんでした。その後、様々なモデルを試して、ギリギリまで悩みましたが、最終的に『ヴェイパーフライの後継モデル』を選びました。反発性やクッション性、フィット感が一番しっくりきて、ソールも柔らかすぎず硬すぎず、自分の足にフィットするシューズでした。このモデルなら自信を持って走れるなと思ったんです。これまでは15km過ぎに失速することが多かったんですけど、今回は15km以降にある遊行寺の坂もしっかり走ることができました」
酒井俊幸監督も網本の“変化”を感じており、「シューズとの相性が良く、フォームが安定して、走りの感覚も良くなってきたんです。シューズ選びに成功したのが自信につながったと思います」と話している。
一方で『アルファフライ 3』を着用したのが2区の大役を務めた緒方澪那斗(3年)と、20年連続シードのゴールに飛び込んだ薄根大河(2年)だ。
その理由は、「最初はヴェイパーフライを使っていましたが、『アルファフライ 3』が発売された際に試したところ結果も良かったので、今回も履きなれているモデルを選びました」と緒方。薄根は、「自分は脚⼒が特別あるわけではありませんが、長い時間持たせる走り得意です。『アルファフライ 3』の感覚がマッチしていて、反発感や脚の運び⽅、⻑距離を⾛っても脚が持つ感覚が気にいっています」と話している。
面白いのが7区を走った内堀勇(2年)だ。『アルファフライ 3』と『ヴェイパーフライの後継モデル』を試したが、本番で選んだのは旧モデルだった。
「7区のように起伏が激しい区間では、後半でも脚を残してくれるシューズが必要です。高校時代から履き慣れていて信頼のある『ヴェイパーフライ 2』を選びました。反発がちょうど良く、接地感が好みなんです」
各メーカーが毎年のように新モデルを登場させており、シューズは年々、進化を遂げている。そのなかでどのモデルを選ぶのか。シューズとのマッチングも勝負の行方を握るカギになっているようだ。
筆者:酒井 政人