「自分だけ働いてきた/家事をしてきた」の自己犠牲の思いは捨てて。真言宗密蔵院の和尚・名取芳彦が指南する60歳を過ぎたら「夫婦じまい」
2025年2月12日(水)12時30分 婦人公論.jp
夫婦の関係を見直す(写真提供:Photo AC)
面倒ごとの9割は、人生で身に着てきた「こだわり=執着」のしわざと説くのは、真言宗密蔵院住職の名取芳彦さん。心おだやかでいられる時間と事を増やすには、「執着じまい」「こだわりじまい」「面倒なことじまい」が必要だといいます。執着の手放し方について説いた『60歳を過ぎたら面倒ごとの9割は手放す 我慢してばかりの人生から自由になる54の教え』より一部を抜粋して紹介します。
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夫婦じまい
夫は外で働いて生活費を稼ぎ、妻は家庭をしっかり守る良妻賢母。そんな夫婦のイメージは、今は昔の話です。
経済も家事も対等だったり、婚姻という法律に縛られないパートナーのような関係だったりする若い世代の夫婦関係を見て、「これまでの自分たちとは違う夫婦の形もありかもしれない」と思うことがあるでしょう。
とはいえ、私は、何十年も連れそった夫婦に、まったく別の、新しい夫婦の形を提案するつもりはありません。
今までの夫婦の関係を、少しだけ変化させてみてはどうかと思うのです。その土台になるのは、「自分だけ働いてきた」「自分だけ家事をしてきた」という自己犠牲の思いを捨て、「あなたのおかげで働けた」「家事に専念できた」という感謝の心で過ごすこと。
これがないと、犬も食わないケンカがはじまります。
江戸時代の侠客(きょうかく)、上州館林の大前田英五郎は「ケンカというのは、どちらに理屈があろうと、バカを看板しているようなものだ」と言ったとされますが、自己犠牲のアピール合戦が、この言葉を絵にしたようなドタバタ劇を生むことは、私も何度も経験しています。
お互いを認め合う独立国家のような関係に…
夫婦のどちらかが相手に依存したり、強権的になったりしないで、それぞれが相手の主権を認める独立国家のような関係を目指すこと、その独立国家同士が貿易をすると考えること、それが私の考える夫婦じまいです。
貿易の基本は、相手にないものを自分が持っていること、相手がしないことを自分がすることです。
「料理は作るから、お風呂掃除は頼んだわよ」「私は買い物に出かけるから、洗濯物は取りこんでおいて」など、お互いのやること、時間、居場所などを交換すれば、良好な貿易関係が成立します。
もう一つ大切なのは、同じ時間、同じ空間を共有する努力を怠らないこと。
仏教では、何かしら相手との共通項に気づくことから、慈悲(やさしさ)が生まれると説きます。
私もその通りだと思います。「あなたはあなた、私は私」と割りきってしまうと、やさしさが発生しないのです。
人は幾重にも、心に垣根をはっているもの
葬儀の現場にいる坊主として、仲のよい夫婦ほど、どちらかが亡くなったときの喪失感が早く解消することを実感しています。
今の夫婦関係を少し変化させつつ、相手をおもんばかった、仲のよい夫婦でいたいものですね。
仏教で説く仏さまには、心の垣根がありません。誰に対しても分けへだてのない「絶対平等」の地にいるからです。
しかし、人間関係の中で生きている私たちがその境地に至るのは、簡単ではありません。人は幾重にも、心に垣根をはっているものなのです。
もっとも内側の垣根の中にいるのは、ケンカをしても、翌日には何もなかったようにふるまえる人たちです。親きょうだい、親友などがここに入るでしょう。
心の垣根のもっとも内側にいる人は、誰ですか?
友達じまい
その外側には、気の合う友人や親戚、同僚や近所の人が入るでしょう。Aさんには何かしてあげるけど、Bさんにはしないということなら、あなたの心の中で、AさんをBさんより内側の垣根の中に入れているということです。
私は中学生の頃、「友達は財産です。ですから貪欲にためこもうすることをお許しいただきたいのです」という言葉に出合って感動しました(出典は不明ですが、小説か戯曲のセリフでしょう)。
お金などの財産がない思春期の若者にとって、友達は財産であり、増やしていいというメッセージはとても新鮮で魅力的に響いたのです。
大人でも「私は友達が多いほうです」と少々得意げに言う人は少なくありません。「友達の友達は、友達」という言葉もありますが、冷静に考えれば「友達の友達はただの他人」です。
それでも、「私の友達の友達が……」とつい自慢してしまいたくなるのは、友達の多さを人間的な魅力の基準のように考えているからではないでしょうか。
友達は多い?(写真提供:Photo AC)
一度、友達をふるいにかけてみる?
しかし、広く垣根をはるような広範囲な人間的つながりは、ときに負担になることもあります。
人脈を仕事などで活かせる現役世代ならいざ知らず、仕事も引退して人生後半に入ったら、心の垣根別に、一度友達をふるいにかけてみてもいいでしょう。
垣根のもっとも内側に残すのは、一緒にいると落ちつけたり、楽しい気持ちになれたりする人です。
人生も折り返し地点を過ぎると、垣根のより内側にいる人の存在が、中身の濃い人生を送るために欠かせなくなってくるからです。
ただし、相手にも相手の「心の垣根」があることはお忘れなく。
ふるいにかけて残った人に対して、友情の押し売りになっていないかどうかだけは、注意を払ったほうがよさそうです。
※本稿は『60歳を過ぎたら面倒ごとの9割は手放す 我慢してばかりの人生から自由になる54の教え』(アスコム)の一部を再編集したものです。
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