プーチン大統領が「貧しい家庭出身」は大嘘! 実際は“絶対に当たる宝くじ”を持つ超特権階級の御曹司… デタラメだらけの公式設定とは? 天才・亜留間次郎が解説

2023年2月21日(火)17時0分 tocana

【薬理凶室の怪人で医師免許持ちの超天才・亜留間次郎の世界征服のための科学】


 スターリンは権力を握ると暗殺を恐れて疑心暗鬼になっていた話は有名ですが、そんなスターリンが毒殺を恐れて拒食症にならなかったのは絶対的な信頼を置いていた料理人がいたからです。


 元は高級ホテルの料理長でラスプーチン、レーニン、スターリンを初めソビエトの大物達に料理を作っていた凄腕の料理人でした。


 彼の名前はスピリドン・イワノビッチ・プーチンプーチン大統領の父方の祖父です。


 スピリドン・プーチンはサンクトペテルブルクのホテル・アストリアの料理長をしていました。
ホテル・アストリアはロマノフ王朝300周年を記念して建築が始まり1912年に完成、当時から最高級のホテルで21世紀現在も営業していて、今もサンクトペテルブルクの5つ星ホテルの座に輝いている一流ホテルです。


 このホテルが出来た直後から滞在していた有名人がロシアの怪僧グリゴリー・ラスプーチンです。
そのため、スピリドン・プーチンは怪僧ラスプーチンとも面識があったと言われています。


 ホテル・アストリアはその後、ロシア革命が始まるとレーニンやスターリンなどが宿泊するようになり革命のための会議が頻繁に行われ、1918年9月「ペトログラード評議会第1議事堂」に改名されました。


 ホテルの料理長だったスピリドン・プーチンはこうしてラスプーチン、レーニン、スターリンの3人を初めとする大物のために料理を作るようになりした。


 ちょっとややこしいですが「サンクトペテルブルク」は第一次世界大戦で「ペトログラード」に改名され、革命後は「レニングラード」に改名され、ソビエト崩壊後に「サンクトペテルブルク」に戻っています。


 この町とホテルはそれぐらいレーニンや共産主義革命と縁のある場所でした。


 クレムリンに政府中枢機能が設置されるとスピリドン・プーチンも政府要人のための料理人としてホテル・アストリアからクレムリンへ転職しました。


 彼はスターリンの死後も料理人を続け、共産党幹部の教育施設の料理人をしていました。つまり、ソビエト共産党発足時から戦後の幹部まで大半の権力者と面識があり、しっかり胃袋を掴んでいたことになります。


 1965年3月8日に85歳で静かに亡くなりました。


 プーチン大統領は1952年10月7日生まれですから小学生ぐらいまでは生きていたことになります。


 スピリドン・プーチンは貧しい村の農民出身とされていますが、それでは料理人としてのキャリアに説明が付きません。



 帝国時代のロシアでは、貴族はフランス料理を食べるのが普通です。ロシア料理が高級店で出ることはありませんでした。実際にロシア皇帝の専属料理人をはじめ、フランス人が雇われているかフランス留学経験者です。


当時のロシア帝国で料理人のヒエラルキーはこんな感じです。


一流:フランス人シェフ
二流:フランス留学経験があるロシア人シェフ
三流:ロシアしか知らないシェフ


 どうやっても貧しい村の少年が都会に出てきて高級ホテルの料理人になれるはずがないのです。


 スピリドン・プーチンは最初はゴロホヴァヤ通りにあったホテル・ロンドンで働いていたと言われています。


 ホテル・ロンドンの一階には銀行が入っていて、貴族が宿泊するサンクトペテルブルクでも屈指の高級ホテルでした。


 間違っても田舎から出てきた農家の少年が就職できるところではありません。


 スピリドン・プーチンが15歳のころから高級ホテルで働き始め、33歳でロシアで一番の高級ホテルの料理長になったキャリアは庶民では考えられないので、彼は貴族の妾の子だったといわれています。


 ホテル・ロンドンの建物は第二次世界大戦でなくなってしまったのですが、戦後にソビエト政府が国営の施設として全く同じ形に建て直しています。


 現在の姿は18世紀の建物ではなく、革命時代と同じ姿に建て直された戦後の建築です。


 どうしてそんなことをしたのか謎ですが、スピリドン・プーチンの家だったと考えると共産党幹部の命令で建て直されたのかもしれません。


 もし、ここがスピリドン・プーチンのために建て直された家ならプーチン大統領が生まれ育った家である可能性も考えられます。


 そうなると、スプリドン・プーチンの実の父親、つまりプーチン大統領の曾祖父が誰なのかという話になるのですが、ホテル・ロンドンの所有者だったグルホフスキー将軍の妾の子説やロシアの名門貴族だったプチャーチン家の妾だからチャの文字を抜いてプーチンになったなどありますが諸説飛び交っていて定説はありません。


 日本に来ていたエフィム・プチャーチンの子孫説もありますが、それだとスピリドン・プーチンを種付けした時期にサンクトペテルブルに居なかったので無理があります。


 確実に言えるのは、彼が庶民ではないということです。


 なんのことはありません、プーチン家はロシア帝国時代から続く貴族の末裔だったのです。


 実はソビエト崩壊までプーチン大統領が住んでいたアパートという建前になっていた場所こそ祖父の家だったホテル・ロンドンの五階だったのではないかといわれています。



 そんな若い頃のプーチン大統領の経歴はさまざまなカバーストーリーが作られているため非常にわかりにくくなっています。


 まず、プーチン大統領が通っていた日本の小中高に相当する学校を低く詐称していることは公然の秘密です。


 プーチン大統領が卒業生であることは歴代の学生なら皆が知っているどころか、学校のHPにしっかりとプーチン大統領が卒業生だと書かれています。


 プーチン大統領は初等教育でドイツ語を習っています、そしてドイツで勤務経験があります。


 当時のソビエトでは一般の学校では外国語の授業自体がなかったので初等教育で外国語を習うのは一部のエリート校だけです。


 プーチン大統領の少年時代は貧しく、近くの第193小学校に通っていたとされていますが、実際に通っていたのは第281リツェイという名門学校です。


 第193小学校は普通の学校ですが、第281リツェイは現在もロシアの一流大学に進学した卒業生の数ならサンクトペテルブルクで一番だと公言している名門校です。


 少しは大統領に配慮して経歴詐称している話を合わせろと思います。


 リツェイとはロシアにおける特権階級のための特別な学校を意味する名称でロシア帝国時代には貴族のための7つのリツェイが存在していました。


 プーチン大統領の母校は第281ですが、281校以上もあったわけではありません。


 たとえば、現在のウラジオストクにある第41リツェイは2000年に普通の小学校から特別な学校であるリツェイに昇格した学校です。


 この番号は底辺校も上位校も関係なくナンバリングされているだけで第281という番号はソビエトの中では戦後すぐの新設校であることを意味しています。


 第281は設立時からリツェイなので戦後すぐに共産党幹部の子供のために作られたエリート校の出身です。


 エピソードの一つに大学生の時に自家用車に乗っていて、ソビエト崩壊後の一時期はKGBを辞めて自家用車で白タクをやっていたと言っています。


 当時のソビエトで自家用車を持っている大学生は赤い貴族(共産貴族)と呼ばれるごく一部の富裕層だけです。


 この問題をツッコまれたプーチン大統領は母親が買った自動車がもらえる宝くじが当たったからだと説明しています。


 ソビエトにも戦前から宝くじがあったのですが、とんでもないインチキな物でした。


 ソビエトでは赤い貴族でも建前上の収入は庶民と同じなので、大金が欲しい時にどうしていたのかというと、宝くじを買ってきて委員会に持ち込んでコレをいくらの当選にしてくれと頼むのです。


 そうすると、その買った宝くじの番号が当選発表されます。


 ソビエトの宝くじは権力者が特権階級に合法的に大金を授与するための建前として使われていました。


 つまり、プーチン大統領は偶然に宝くじで自動車が当たったのではなく、チート能力によって絶対に当たる宝くじだけを買っていたのです。


 ウィキペディアは当てにならないと言われますが、ウィキペディアは公式設定に基づいて書かれているので、こうした政治家の自称経歴には微塵も役に立たないのです。


参考:「ホテル・アストリア」「第193小学校」「第281リツェイ」「ホテル・ロンドン(Wikipedia)」

tocana

「プーチン」をもっと詳しく

「プーチン」のニュース

「プーチン」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ