『光る君へ』まひろと道長、子を授かった石山寺、まひろがつけていた赤い帯って?いけにえの姫・彰子とイメージが重なる女三の宮

2025年2月24日(月)12時30分 婦人公論.jp


(撮影・筆者)

2024年下半期(7月〜12月)に配信したものから、いま読み直したい「ベスト記事」をお届けします。(初公開日:2024年7月28日)
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NHK大河ドラマ『光る君へ』の舞台である平安時代の京都。そのゆかりの地をめぐるガイド本、『THE TALE OF GENJI AND KYOTO  日本語と英語で知る、めぐる紫式部の京都ガイド』(SUMIKO KAJIYAMA著、プレジデント社)の著者が、本には書ききれなかったエピソードや知られざる京都の魅力、『源氏物語』にまつわるあれこれを綴ります。

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前回「『光る君へ』のまひろも同じ運命に?「紫式部は地獄に堕ちた」という驚きの伝説を追って。式部を救ったのはミステリアスな“閻魔庁の役人”。なぜか今も隣り合わせに眠る2人の縁とは」はこちら

石山寺の場面の気になる衣装


『光る君へ』もいよいよ後半に突入。大反響を呼んだシーンとして記憶に新しいのが、石山寺でのまひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)の熱い一夜でしょう。まさかの妊娠、そして出産という怒涛の展開に、「なるほど、そう来たか!」と驚く声あれば、「やっぱりね。そうなると思っていたわ」という声もありと、大盛り上がりでした。

史実では、夫・藤原宣孝(佐々木蔵之介)との永遠の別れも間近。未亡人となったまひろは道長に真実を告げるのか、勘のいい妻・倫子(黒木華)にはいつバレるのか……などなど、気になることは多々あれど、それは今後のお楽しみということに。

本連載では石山寺でまひろが身につけていた「赤いたすきのようなもの」に着目したいと思います。

禁断のラブシーンに心を持っていかれ「衣装なんか記憶に残っていない!」という方もおられるかもしれません。でも、よ〜く思い出してください。石山寺で道長と並んで腰を下ろし、思い出話に花を咲かせたあと、越前和紙の話から「私もいつか、あんなに美しい紙に歌や物語を書いてみたいものです……」と、さりげなく、でも実はとっても重要な一言をつぶやいていた、あのシーンです。

そのとき、まひろが胸のあたりにかけていたのが「懸(かけ)帯」と呼ばれるもの。貴族の女性たちが社寺参りなどに出かけるときに身につけた赤い帯です。

女性たちが外出するときは、歩きやすいように袿(うちき)をからげで裾をつぼめ、さらにこの赤い懸帯をかけたとか(背中側で結び、うしろに長く垂らした)。懸帯には、襟元をおさえるという実用性だけでなく、厄除けや潔斎の意味もあったようです。

また、旅に出かけるときは、「懸(かけ)守」と呼ばれる筒状の御守を首から下げました。確か、『光る君へ』のまひろも、越前に向かうときには懸守を下げていたように思います。

道長が高価な紙を贈る?


あの夜の出来事を振り返ると、まひろの懸帯には、厄除けよりも恋愛成就か子授けの効果があったのでは? などと思ってしまいます(あくまでドラマの中のお話ですが……)。

しかも「美しい紙に歌や物語を書いてみたい」という願いも、遠からずかなってしまうのです。これはもう、石山寺の観音さまのご加護といえるかもしれませんね。

道長が『源氏物語』執筆のスポンサーになることは、史実としてよく知られています。

定説は、紫式部が書いた『源氏物語』が貴族社会で評判になって道長の目に留まり、娘・彰子の女房としてスカウトするという流れです。そののちに物語の続きを書くよう依頼するわけですが、(本連載3で紹介したように)「紫式部は、道長に執筆を依頼されてから『源氏物語』を書き始めた」とする説もあるようです。その場合、『源氏物語』誕生のきっかけをつくったのは道長ということになります。

定説はさておき、まひろにぞっこんの『光る君へ』の道長なら、どう行動するでしょうか。

「物語でも書いてみれば?」などと言って、まひろがほしがっていた紙を、墨や筆とともにプレゼントする。出仕を持ちかけるのは、そのあとの話。石山寺での会話は、その伏線になっていた……。そんな気がするのですが、みなさんはどう思われますか。

いずれにせよ、まひろが「紫式部」として生まれ変わる日は近いようです。

ドラマが始まった頃は、質素な暮らしぶりが強調されていましたが、父・藤原為時(岸谷五朗)が越前守に任じられたあたりから、まひろの衣装もグレードアップ。裕福な宣孝(佐々木蔵之介)の妻となると、重ねる袿の数も増えて、豪華な表着(うわぎ)を身につけるようになりました。

貫禄も出て、以前とは見違えるよう。ようやく貴族らしくなってきた、というのは言い過ぎでしょうか。装束には、財力がはっきり表れるものなのですね。


紫式部の書いた『源氏物語』には、装束に関する描写も多い。こちらは細長と呼ばれるもの。(提供・「雪月花苑」)

彰子の女房はなんと40人


さらに物語が進んで、中宮・彰子に仕えるようになれば、まひろも女房装束(「唐衣裳」、いわゆる「十二単」のこと、詳しくは本連載4参照)を着ることになります。普段の袿姿とは違った、華やかな正装が見られることでしょう。

最初の女房名が「藤式部」なので、テーマカラーはやはり紫色ではないか、などと想像しています。

余談ながら、平安時代において紫は天皇をはじめ高貴な人々が好んだ色だったそうです。「桔梗のかさね」「藤のかさね」など、『源氏物語』にも紫系の色の描写があちこちに登場します。

紫が高貴な色として考えられた理由のひとつに、染めるのに非常に手間のかかる色だから、ということもあったとか。つまり、限られた人しか身に着けることのできない、あこがれの色だったのでしょう。

彰子の入内にあたって、道長は、選りすぐりの女房を、なんと40人も揃えたそうです。容姿、家柄ともに申し分のないお嬢さまが集められたのですが、それでも、評判の高かった定子のサロンに比べると魅力に乏しく、精彩を欠いていたようです。このままでは一条天皇の気を引くことはできないと、紫式部に白羽の矢が立ったわけです。

40人もの女房が居並ぶさまは、ドラマではさすがに再現できないとしても、最近の放送回では、色とりどりの唐衣裳をまとった女房たちが多数登場しています。まさに眼福。まひろの出仕後は、さらに壮麗な宮中のシーンが見られるかもしれません。

平安京が舞台である今年の大河ドラマの見どころのひとつに、こうした装束の美しさ、豪華さがあることは間違いありません。とはいえ、これだけの衣装を用意するには莫大な制作費がかかっているはず……。舞台裏がちょっと心配になるほど、目に贅沢なドラマだと思います。


平安時代の女房の“仕事着”でもあった「唐衣裳」(提供・「雪月花苑」)

平安時代の装束の実物は残っていない


現代人には謎の多い平安装束。普段は目にすることがないだけに興味津々というわけで、この連載でも、装束について度々取り上げてきました。専門家を訪ねたり、資料を紐解いたりするうちに、私自身もその奥深き世界の虜になったのです。

実は、平安時代の装束の実物は1着も現存していないとか。

宮中の装束文化は脈々と受け継がれているものの、1000年前の装束そのものを今、見ることはかなわない。特に色彩については、現物が無い以上、想像するしかないというのが現状なのだそうです。

紫式部は、当時、どんな色や文様の装束を好み、身につけていたのか——興味はあれど、事実を知る手立てはなさそうです。「紫式部日記絵巻」には紫式部の姿も描かれていますが、この絵巻が制作されたのは鎌倉時代初期と、紫式部が生きた時代から200年ほど後のこと。装束の色や文様などのディテールは想像で描かれたのではないでしょうか。


藤の花の色は平安時代の装束によく用いられた

「桜かさね」の細長


私がひそかに楽しみにしているのが、『光る君へ』に細長が登場するかどうかです。

細長は、高貴な女性が日常のハレの装いとして着用した装束。唐衣の裾を細長く伸ばしたような形になっていて、袿姿の上に羽織ったとされています。(ただし諸説があり、はっきりしたことは不明)

なぜ細長に注目するかというと、『源氏物語』の有名なエピソードのいくつかに、印象的な形で出てくるから。代表的なのは、光源氏の邸宅・六条院で開かれた蹴鞠の会の場面です(巻34「若菜上」)。

女三の宮(光源氏の正妻)が御簾内から蹴鞠を眺めていたところ、飼っていた猫が飛び出した拍子に御簾が跳ね上ります。そして、柏木が女三の宮の姿を垣間見てしまう。そして彼女に心を奪われるのです。

このとき女三の宮は、「桜かさね」(表地は白、裏地は赤で、裏地の赤い色が表地にほのかに透けて桜色に見える「かさね色目」)の細長を着ていました。

表と裏で異なる色の布地を重ねる趣向を「布のかさね色目」と呼びます。平安時代の絹糸は細く、織られた生地も薄かったため、色が透けることで微妙な色合いが生まれたのです。

なかでも、特に人気があったのが「桜かさね」でした。

ただし、桜といってもピンクのような色ではありません。現代に再現されたものを見せてもらうと、かなり白に近い。それが夕暮れ時にほの白く浮かび上がる桜の花の風情を表していたとのこと。

平安京の人々の細やかな感性と美意識には脱帽です。


平安装束を体験できる「雪月花苑」には「桜かさね」の細長も用意されている。『源氏物語』ファンに、とりわけ人気が高いという。(提供・「雪月花苑」)

女三の宮に重なる中宮・彰子の幼さ


『源氏物語』では、登場人物が身につけている装束や、その色合いが、人となりを表現するものとして効果的に使われています。

女三の宮は、父・朱雀院の希望で光源氏に降嫁したのですが、14歳前後とまだまだ幼い。この細長は、女三の宮の可憐さやあどけなさも表しているのでしょう。

そこで思い出すのが、見上愛さんが演じている『光る君へ』の彰子です。「いけにえの姫」として12歳で入内した彰子は、頼りなくはかなげで、痛々しくさえ見えます。その幼さが「女三の宮のイメージに重なる」といわれているのです。

『光る君へ』には『源氏物語』のオマージュとおぼしきシーンが時折、登場します。「桜かさね」の細長は、このドラマの衣装として使われるのか。だとすれば、どんな場面で、誰が着るのかなど、あれこれ妄想が膨らみます。

そうそう、垣間見に重要な役割を果たした猫も忘れてはいけません。

中宮となった彰子には、黒と白のハチワレの小鞠(こまり)が寄り添っています。この猫が、今後、物語を動かすのか否か……小鞠ちゃんの活躍にも目が離せませんね。

婦人公論.jp

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