元祖「名古屋飛ばし」は東海道新幹線だった!? 名古屋飛ばしが発生した理由とは【鉄道のプロが解説】

2025年2月28日(金)21時45分 All About

イベントを開催時などにたびたび話題となる「名古屋飛ばし」という言葉。実は東海道新幹線をきっかけに広まったのはご存じだろうか。「All About」鉄道ガイドの野田隆が詳しく解説する。

アーティストの全国ライブツアーなど、日本国内のイベントを開催するときにたびたび話題となる「名古屋飛ばし」というキーワード。実は東海道新幹線をきっかけに広まった言葉だということはご存じだろうか?
今回は、そんな「名古屋飛ばし」について「All About」鉄道ガイドの野田隆が解説する。
(今回の質問)
東海道新幹線で「名古屋飛ばし」があったって本当?
(回答)
1992年3月「のぞみ」デビューとなった東京駅6時発「のぞみ301号」は、新横浜駅に停車した後、名古屋駅、京都駅は通過して、新大阪駅に8時半に到着するようになっていた。この列車は1997年11月に廃止されるまで運行された。

「のぞみ」デビュー、ただし下り1番列車は名古屋駅と京都駅を通過

時は1992年3月14日。「ひかり」よりもワンランク上の列車として「のぞみ」が運転を開始した。当初は、東京駅と新大阪駅の間を朝晩2往復の運転のみ。その上で、東京駅を6時に出発する「のぞみ301号」は、新横浜駅に停車したあとは名古屋駅と京都駅を通過し終点の新大阪駅までノンストップの設定とされたのだ。鉄道開業以来、深夜の列車をのぞき、明るい時間帯に名古屋駅を通過する定期旅客列車は皆無だったので、これは「名古屋飛ばし」と呼ばれ、名古屋の政財界を揺るがす大問題に発展した。
それにしても、なぜ、JR東海は本社のある名古屋を無視してまでも「のぞみ」を運転したのだろうか?

「名古屋飛ばし」が生まれた理由

当時は、夜間工事の影響で道床(線路の構造部)が安定するまでの間、始発から数本の早朝列車を減速させる必要があった。そのため名古屋と京都に停車させると新大阪8時30分着が不可能になり、大阪出張で「9時からの会議に間に合う」という新たな列車「のぞみ」のセールスポイントがアピール出来なくなってしまうことに。新大阪駅は大阪中心部のビジネス街から遠いので、これより到着が遅いと「9時からの会議」に遅れてしまうのだ。
また、この列車が名古屋に停車したとしても、7時40分頃の到着では、名古屋に用のあるビジネスパーソンにとっては早過ぎる。事実、ほとんどの乗客は大阪に急ぐ人ばかりだった。すぐ後の列車を名古屋に停車させれば「実害」はなかったのだ。
そのことを事前に説明し根回ししておけば、これほどの大騒ぎにはならなかったのだが、根回しする前に新聞がスクープしてしまったのでJR東海としても悔しい思いをしたのであろう。その後、JR東海が丁寧に説明したのが功を奏したのか、当初は大騒ぎしていた名古屋地区の政財界とマスコミも、この「のぞみ301号」以外は名古屋を通過する列車はないと分かり、反対運動はあっけなく終息した。
運転初日には、「のぞみ」が名古屋駅を通過する様子がテレビニュースで報道されるほどセンセーショナルな出来事として全国的にも注目を集めた。もっとも、通過はこの列車1本のみだったので、抗議運動もなかった。

技術の進歩により「名古屋飛ばし」解消

1997年には技術の進歩(道床安定作業車の開発・導入により早朝の徐行は不要となった)で名古屋、京都に停車しても8時30分に新大阪到着が実現した。これにより、「名古屋飛ばし」は解消し、以後、名古屋駅と京都駅を通過する東海道新幹線の定期列車はない。
保線作業の進歩や車両性能の向上もあり、現在、東京駅6時00分発の「のぞみ1号」は、品川(1992年は駅がなかった。開業は2003年)、新横浜、名古屋、京都に停車しつつ、新大阪には8時22分と当時よりも8分早く到着する。
2025年現在、名古屋を通過する列車は、在来線の「サンライズ瀬戸・出雲」だけだが、深夜なのでまったく問題になっていない。
この記事の筆者:野田隆
名古屋市生まれ。生家の近くを走っていた中央西線のSL「D51」を見て育ったことから、鉄道ファン歴が始まる。早稲田大学大学院修了後、高校で語学を教える傍ら、ヨーロッパの鉄道旅行を楽しみ、『ヨーロッパ鉄道と音楽の旅』(近代文芸社)を出版。その後、守備範囲を国内にも広げ、2010年3月で教員を退職。旅行作家として活躍中。近著に『シニア鉄道旅の魅力』『にっぽんの鉄道150年』(共に平凡社新書)がある。
(文:野田 隆)

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