指出一正、関係人口の2万字

2023年3月8日(水)11時0分 ソトコト

関係人口の始まりは、2004年の中越地震。


地域づくりに関心のある若い人たちの間でしばしば使われるようになったり、日本にある1718市町村(北方領土の6村を含めると1724市町村)のうちの1000市町村以上が何かしらの施策に取り組んだりするほど、関係人口という言葉が広がりを見せてきています。今、関係人口について話しているのは2022年12月で、6年前、16年12月8日に自著の『ぼくらは地方で幸せを見つける』が発売されたことを思い出しながら話しています。12月8日はジョン・レノンの命日で、太平洋戦争勃発の日です。悲しい出来事が起こった日でもあるのですが、日の出から日の入りまでの日中の時間がいちばん短い冬至のように、我慢のしどころみたいなところから、翌日からは開けていくみたいな感覚の日が発売日になったことをぼくは気に入っています。
その自著のなかで関係人口について書いたことが作用して、関係人口の議論が広がっていったことも確かだなと今、振り返って思い出しています。明治大学農学部教授の小田切徳美さんや、国の『内閣官房まち・ひと・しごと創生本部』の皆さんが注目してくれたことは、関係人口という言葉がより自分たちのなかに落とし込まれていくきっかけとなり、16年が関係人口の問題提起というか、投げかけの年になったと自負しています。
ただ、関係人口は16年に始まったわけではなく、もっと前から、関係人口の気分というか、空気感は、ぼくを包むくらいに漂っていました。関係人口の始まりは11年の東日本大震災の頃からとみんな言いますが、ぼくはもっと前、04年に起きた中越地震だと思っています。その頃は、世界を舞台に活躍することを夢見ている若い人たちが大学の国際ナントカ学部といったところでグローバルな学びを求めていた時代のド真ん中でした。ぼく自身も上智大学の国際関係法学科で猪口邦子さんや緒方貞子さんに世界のことをドキドキしながら教わったことを覚えています。


そして、04年はぼくが『ソトコト』編集部に転職した年でもあります。入って間もなく、大きな仕事を一つ任されました。台湾の特集をつくることです。ぼくにとって台湾は大事な存在で、その理由は、日本の統治下時代に新高山と呼ばれていた、富士山より高い玉山という山があったから。山登りが好きなぼくは以前から玉山に登ってみたいと望んでいたのですが、『ソトコト』の姉妹誌としてアジアのライフスタイル誌をつくることになり、台湾に取材に行くことが決まったので、大喜び。入山規制をして1日に90人ほどしか登れない玉山の登山申請を出して、ギリギリでそのプラチナチケットを手に入れ、意気揚々と台湾へ渡り、登ったのが10月23日でした。日本で中越地震が起きた日です。
山道を登るぼくに、台湾のみんなが、「日本、大丈夫?」「日本、心配です」と日本語で声をかけてくれたことを今でも覚えています。ぼくを通して、日本の国に惨事が起こったことを気遣ってくれる台湾の人がこんなに大勢いるということを心強く感じました。


舞台は玉山から、新潟県長岡市、山古志村(やまこしむら)(現在は長岡市山古志)に移ります。23日の夕方、中越地方を震源とするマグニチュード6.8の大地震が発生し、甚大な被害がもたらされました。発生後まもなく、災害物資や人命救助のボランティアの呼びかけを、日本政府やNPOもそうですが、海外のNPO・NGOの日本支部が行っていました。だから世界的に、「日本を助けなきゃ」という空気が広がったのだと思います。この呼びかけに反応したのは誰だと思いますか? 日本の大学の国際関係の学科の大学生たちでした。国際NPOやNGOで働いてみたいとアンテナを張り巡らせていた大学生たちが、「今、長岡市や山古志村が酷いことになっている。みんなでサポートに行こう」といった英語の呼びかけに反応したのです。海外からのメッセージで日本の有事を感じ取り、「自分も何か手伝うことはできないか」と若い人たちが立ち上がったのは、シニカルではないんだけれど、おもしろいことだと思います。日本のまちづくりも、海外からの影響を受けて始まることがけっこうありますよね。ポートランドやエストニアとか。ぼくは台湾の取材後、アメリカ・コロラド州のボールダーというまちに通うようになり、「ロハス」という言葉を”輸入“するようになるのですが、アメリカとか、北欧とか、外から入ってくるライフスタイルにみんな心がなびくんだなと実感しました。


中越地震に話を戻すと、長岡市や山古志村というローカルを、グローバル志向の若いみんなが震災ボランティアに参加したことをきっかけに見つけた結果、実はとんでもなくいいものややさしいもの、傷つきやすいものが日本にはあるんだと気づくことになります。『中越防災安全推進機構』におられ、今は『NPOふるさと回帰支援センター』の副事務局長を務められている稲垣文彦さんに取材でお会いしたときに、「中越地震が関係人口の起点ですよね」と尋ねたら、大きく頷いていただいたことをすごく覚えています。
中越地震がなぜ起点になったと考えられるかというと、そもそも学生は旅を好みますよね。新しい人やものに出会うことは若い人がいちばん大事にしていること。だから、出会いを求めて学生は旅を繰り返しますが、関係人口は旅よりも人との出会いが生まれやすい移動なのです。中越地域を訪ねると、皆さんが避難生活を余儀なくされているなかでボランティア活動を行うわけですが、同時に、崩れてはいるもののこんなに美しい棚田を見たのは初めてだとか、地域の大人たちが話す土地の言葉に耳を傾けたとか、そういう経験はたぶん彼らにとって相当エキゾチックな出来事だったんじゃないかと思います。そんな、旅だけでは味わえない本質的なふれ合いというか、接触みたいなものが、関係人口の起点と考えられる中越地震のボランティア活動で起こっていて、当然、大変な災害ではあったのですけど、災害が起きてしまったことで、国際志向の若い人たちとローカルの皆さんとの出会いが生まれました。まぎれもなく、それは関係人口の起点になっているとぼくは確信しています。


大地震はもっと前にもありました。今、ぼくが二拠点生活で住んでいる兵庫県神戸市を中心にして1995年に起こった阪神・淡路大震災です。「ボランティア元年」という言葉が生まれたように、多くの人が阪神地区でボランティア活動を行いましたが、中越地震との違いは、被災地が中山間地域か、大都市かということ。多くの若い人たちが中山間地域に足を運ぶきっかけになったのは中越地震です。すでに人口減少が顕著になりつつあった山古志村や、住人が少ない過疎地エリアで、ボランティアが地域の人たちとどのような関係性を結んで関係人口となっていくのか、ぼくのなかではすごく興味深いことでした。稲垣さんがおっしゃっていたのですが、山古志や長岡の皆さんは、最初は「震災のせいで」と言っていたのが、被災地に立ち現れた若い人たちと一緒に何年もかけてコミュニケーションを図りながら、自分たちの土地を元に戻していくなかで、「震災のおかげで若い人たちが現れた」と口にするようになったそうです。それは関係人口を考えるうえでもすごく興味深いことで、中越地震は人がどう立ち現れるのかを教えてくれた災害でもあったという気がします。


関係人口による地域づくりが盛んな地域は、歴史を振り返ると多くは災害や有事があった地域と言えるかもしれません。2003年に日本で初めてゼロ・ウェイスト宣言を掲げ、今はゴミの45分別を実践している徳島県・上勝町では、もともとゴミは住民が庭先で燃やす「野焼き」で処理していましたが、法律で規制され、野焼きができなくなってきました。町は小型焼却炉を導入しますが、ダイオキシンが社会問題となり使用中止。それによって、細かな分別とリサイクルが始まったという経緯があります。また、福井県鯖江市の河和田地区では、中越地震と同じ04年の夏に発生した福井豪雨で、河和田地区で多数の浸水害が起こりました。そこで、環境プロジェクトに取り組んでいた京都精華大学の学生たちが被災地支援の一環として災害ゴミを有効活用したアートプロジェクトを実施しました。それが、「河和田アートキャンプ」の始まりです。さらに、千葉県館山市をはじめとした南房総では、19年の台風の水害による泥出し作業を行っていたとき、普段は見ない人、おそらく引きこもりがちな生活を送っている男性などが現れて、現場の濡れた生活用品を一緒に干したり、片付けをしてくれたりする人もいたと東京大学大学院環境学研究系教授の岡部明子さんから聞きました。「有事には人間のポジションがリセットされるので、みんなが出やすくなる」ともおっしゃっていました。普段とは異なる有事のときに関係人口が生まれやすいのは、そんな理由からかもしれません。東日本大震災のときもそうでしたね。


地域内、流域、オンライン。分化する関係人口。


ぼくは関係人口について書いた自著を出版したことで、国から依頼を受けて多くの委員を務めるようになりました。その一つに、『内閣官房まち・ひと・しごと創生本部』の「わくわく地方生活実現会議」の委員がありました。国の会議に「わくわく」という言葉がついたのは画期的だと言われています。ぼくは「わくわく」という言葉が好きで、関係人口関連の文章や『ソトコト』でよく使います。水が湧くさまが語源だそうです。ぼくが水辺が好きだからというのもあるのですが、昔の人は水が湧いている様子を目にして、「これでしばらく生き延びていける」という喜びや安心感を得て、「わくわく」という言葉を口にするようになったに違いないと勝手に解釈しています。人はみんな安心感を求めて動いたり、移り住んだりしますが、関係人口もわくわくするようなことが起きやすい動きだから、「わくわく」という言葉を『ソトコト』でもよく使うんだなと改めて思います。


『ソトコト』では、2018年2月号で初めて「関係人口入門」の特集を組んで以来、この号を含めると合計5回の関係人口の特集を組みました。日本中の関係人口を取材するなかで、近頃は関係人口の分化みたいなことを感じ始めています。一つが、「地域内関係人口」です。20年4月号で紹介した建築家で『ビルトザリガニ』代表の中村周さんは東京都生まれで、宇都宮大学大学院時代に研究フィールドとしていた宇都宮市にある釜川エリアに、東京で就職してからも通いながら「KAMAGAWA POCKET」や「ゴールドコレクションビル」という拠点をリノベーションしてつくりました。そこには宇都宮市内からはもちろん、近隣のまちからクリエイターが集まってきているのですが、そういう人たちを、ぼくは「地域内関係人口」と呼んでいます。


北海道庁は、北海道版関係人口と言える「道内版関係人口」という施策に本腰を入れて取り組んでいます。道庁所在地である札幌市の人口は約197万人。それだけ多くの人が暮らしているのですから、たとえば札幌から利尻島の関係人口になればいいし、猿払村の、あるいは留萌市の関係人口になればいいのです。首都圏から人を呼び寄せることも大事だけれど、道という同じエリアにこれだけ大きな人口のボリュームゾーンがあるのであれば、その都市との関係性をつくっていくことも大事なんじゃないかという考えから生まれた施策です。


宮城県はおもしろいです。県庁所在地で人口約110万人の仙台市にまず住んでもらって、仙台市から登米市や南三陸町など県内の素敵なまちとの関わりを持ち、段階を踏んで移住する、二段階移住を推進しています。仙台に住んで、栗原市の栗駒、栗駒には『かいめんこや』というすごくユニークなカフェがあるんですけど、そうした場所に関わっているうちに魅力にハマり、移住することもあるかもしれません。これも、地域内関係人口だと思います。


地域内関係人口の範囲がどんどん絞られていくと、山崎亮さんが提唱する「活動人口」になるかもしれません。そのまちのなかで地域づくりの活動をしていなかった人たちが地域活動をするようになれば、人口が減少するなかでも地域は元気であり続けられるという山崎さんの考えで、地域内関係人口は限りなく活動人口に近づいていくんじゃないかと感じます。


関係人口の分化の2つ目は、「流域関係人口」です。やや個人的かもしれませんが、ぼくは地域を都道府県で見ていません。釣りにしか興味がないので、基本的に川目線で地域を見ています。具体的に言うと、植生と、樹相と、水質です。ぼくの言ういい地域は、植生と樹相と水質がいい地域になります。


たとえば、山形県を流れる最上川、その流域関係人口を考えてみると、最上川流域には、新庄市の『吉野敏充デザイン事務所』のクリエイティビティあふれるデザイナーの吉野さんがいて、山形市には『アカオニ』の小板橋基希さんがいて、真室川町には甚五右ヱ門芋をつくる佐藤春樹さんや、『工房ストロー』の髙橋伸一さんがいます。新庄はすごい降雪地帯で、雪の名前が生まれたところなんです。雪の研究機関があって、雪はザラメ雪とか7種類くらいの名前があるそうですが、前身の名前はそこでつけられています。


その新庄の吉野さんから『キトキト大学』の講師を依頼され、快諾して新庄に通っていましたが、そこでみんなと会ったり、ワークショップを開いたりすると、いつも真室川町や鮭川村や金山町などまわりの市町村の若い人たちもやってきてくれるのです。それぞれが真剣に自分のまちの未来を語りながらも、まちを超えて協働でイベントを開いたりするいい関係性ができていました。互いが認め合っていながらも、完全にユナイトしない感じ。一個にしてしまわない「粒感」みたいなものを、すごく心地よくぼくは見ていたんですが、そこに何の共通項があるのかなと思い巡らせたら、最上川だったんです。みんな最上川の流域に暮らし、活動していて、同じ流域であることに安心感を抱いているように思えました。


ぼくが生まれ育った群馬県高崎市には、烏川という利根川の支流が流れています。この烏川流域のエリアは距離が離れていても、わりと方言が似ていたり、あと、仕草とか、怒ったり笑ったりするタイミングとか、そういうのが近いんです。昔、舟運が盛んだった頃、川はハイウェイだったわけですから、流行りのものや、噂話なんかも川から流れてきていたのです。日本の舟運は今の高速道路よりもはるかに歴史は長く、ぼくは何世代も前の残り香というのか、そういうものが文化として今も生活のなかに共有されているので、川の流域というのは関わりを持ちやすく、一緒に何かをやりやすい間柄にあるのではないかと想像しています。ですから、都道府県の区分よりも、ぼくは川による区分を信じます。


流域関係人口の話をしているとき、いちばん幸せです。川のことを思い浮かべながら話せるから(笑)。そして、流域関係人口の話をいくつかの場所で話し始めたときに、「実は、ぼくたちのところもそうなんです」と言ってくれる流域の人たちが現れたのもうれしかったです。筑後川の若い人たち、江の川の若い人たち、吉野川の若い人たち、長良川の若い人たち、隅田川の若い人たち、米代川の若い人たち。みんなまちを超えて、流域で一緒にマルシェをやったり、協働でプロジェクトをやったり、勉強会に集まったり。「そんなの昔からあるよ」と言われたらそれまでなのですが、でも、流域関係人口という言葉をぼくが名づけて口に出してみたからこそ、「実はぼくたちも」という言葉になって返ってきたのかなと思います。


もともとあったものなんだけれども、それは空気みたいなものとしてあって、その空気感を言語化することで「確かにそうだよね」と言ってもらうことも、その動きを前に進めるためには大事なことで、関係人口はもちろん、地域内関係人口という言葉も、流域関係人口という言葉も、みんなをうっすらと包んでいた空気感を言葉にすることで、「確かにそうだよね」と頷いてもらえる。それは、すごく大事なことだと思います。


流域って日本の貴重な文化で、たとえば25年に大阪・関西万博が開かれますが、実は流域が一つのテーマになっているのです。関西って、琵琶湖から始まる流域圏じゃないですか。琵琶湖・淀川流域圏は、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、三重県、奈良県の2府4県にまたがっています。流域のなかでコミュニティや地域の構想をつくる流域圏の構想は、大平正芳元・内閣だったか、数代前の内閣であったそうなんです。そもそも、日本に流域というものさし、文化があったのであれば、今、流域関係人口を含めた関係人口という生き方が広がりを見せてきているのも合点がいくのです。


3つ目は、「オンライン関係人口」です。まさにコロナ禍から生まれた関係人口で、オンライン上のグリッドのなかで人と人が出会っていく動きですが、グリッドのなかだからこそ、いい関係性が築きやすいのかもしれません。なぜなら、自分のお気に入りの椅子に座って、好きなお茶を飲みながら、「そうだよね」と気軽に話しているという、完全にセーフなところから地域とのつながりを楽しむことができるのですから。それは、すごくいい出来事だったんじゃないかと思います。それまでは、関係人口が生まれるための取り組みとして、素敵なコワーキングスペースを借りて、「日曜の午後2時に来てください」とSNSで参加を募るような方法がメインでした。地域に関心を持つ大勢の若い人が来てくれてうれしいなと思っていましたが、ぼくのなかで盲点だったのは、そこに来たくても来られない人は取り残してしまっていたということ。階段を上るのは難しいから2階じゃ無理かなとか、子育て中だから遠出するのは厳しいかなとか、そういう人を取り残していた。でも、オンラインなら自宅から参加できるし、音声だけ聞きながら子どもの世話も同時にできるかもしれない。そんなふうに、オンライン上で地域とのつながりや関係を楽しめるようになったのはいいことだと思います。


ただ一方で、アウトオブフレームの仲間がつくりづらくなったのも事実です。アウトオブフレームというのは、自分が映し出されているパソコンやスマホの画面の外側のことで、オンライントークセッションのときに、ぼくが話している向こうで、もしかすると息子がコマネチのポーズを取って真面目に話すぼくを笑わせようとしているかもしれない。グリッドの外で何が起きているのか、見ている人にはつかみ切れないのです。コワーキングスペースならそれはありません。会場のなかで生まれる偶発的な出会いや出来事、それが一つの参加する楽しみだったりもするでしょう。「指出さんよりも隣に座って何かしゃべっている人のほうがおもしろい」ってこともあるかもしれません。そういうハレーションみたいなことがオンライン上では起きにくいことは今後、検討が必要だと思いますが、地域に足を運べないけどその土地のことを思っている人は大勢いるし、さらにはNFTや、『Next Commons Lab』代表の林篤志さんが参画されている山古志の「デジタル村民」など、オンラインでできることは日毎に進歩しているので、オンライン上での関係人口の需要はどんどん高まり、手法も広がっていきそうです。


ぼくが講師を務めていた秋田県湯沢市の関係人口講座『ゆざわローカルアカデミー』では、湯沢市に一度も足を運んだことがないメンバーが8割くらいいるなかで、湯沢のリンゴ農家さんのリンゴを使ったクラフトビールをクラウドファンディングでつくり、市長も一緒にオンライン上で乾杯し、それが新聞記事になったことを考えると、対面である必要もそんなにないのかなと感じたりもしました。オンラインで地域に作用する、深く関わる方法も、これからいろいろ出てくるだろうなと楽しみな気持ちになります。


もう一つ、ハッとさせられたのは、ある関係人口のオンラインワークショップのなかで、LGBTQの話題が出てきたのです。地域づくりとLGBTQに接点はないんじゃないかと一瞬思われる人もいるかもしれませんが、大ありです。地域に暮らすみんなが幸せになるために関係人口という動きがあるのなら、そのための話題を話し合うのは大いに必要です。参加者の一人が、「地域内でLGBTQの話をする機会がないから、そういう話ができる場をつくっていきたいです」と話されているのを聞いたとき、リアルな対面ではなくオンラインだから話せたことかもしれないけれど、関係人口は成長していると思いました。D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)というのかな、関係人口の話題が人口減少対策という大文字の目的だけじゃなく、もっともっとパーソナルな小文字の目的に浸透していると思わせてくれるうれしい出来事でした。


みんなにも見つかる、「約束の地域」。


関係人口のあり方は多様で、さらに広がりを見せてきていますが、関係人口を迎え入れる人たち、ぼくは関係案内人と呼んでいますが、その人たちも変化してきています。関係案内人にどこで出会えるか、あるいは、つないでもらえるかというと、地域の関係案内所です。関係案内所も関係案内人も、ぼくの造語です。いつ生まれたかというと10年ほど前です。ある日、新幹線の停まる駅で降りたぼくは、待ち合わせの時間まで30分か1時間くらい余裕があったので、改札口を出てあたりを見回すと、観光案内所と書かれた場所があったので入ることにしました。観光案内所は光の当たらないような隅っこにあり、寂しそうな感じでした。入ると、いろいろなチラシやブックレットが置いてあるのですが、棚に差されたチラシは湿気を帯びてペロンと垂れ下がっていました。人を招き入れる気持ちがない感じ。お祭りのチラシを手に取ると、すでに2か月前に終わったお祭りの案内でした。それを見たぼくは、観光案内所はこれからどうなっていけばいいんだろうと30分か1時間の間、考えました。当時はスマホの機能も今ほど優れてはいませんでしたが、観光案内所のほとんどの機能はスマホで補えるんじゃないかと思いました。


ただ、そうは言いながらも地域の観光を紹介し、地域に興味を持つ人たちを増やし、経済的な効果を生み出していくことは観光案内所の大事な機能です。観光案内が廃れることはないけれど、今ぼくの目の前にあるような場所は必要なのか。必要ないなら、観光ではなく、この場所で何を案内すればいいのかと考えたときに、その頃、各地に多くのゲストハウスが生まれ始めていて、「何々町のゲストハウスに泊まったら運命的な出会いがありました」とみんなが目を輝かせながら言っている姿が頭のなかでリフレインしていたのと、つながりとか紡ぎといった言葉が連呼されていた頃でもあり、ぼくが『ソトコト』を校了している間、つながるという言葉は誌面に何回出てくるんだろうと思いながら読んでいた記憶もよみがえり、今、人々が観光と等しくトキメキを感じることがつながりや関係性であるなら、人と人との関係を案内する場所があったらいいんじゃないかと思ったのです。観光案内所とは違う形の関係案内所。言葉をもじっただけじゃないかとよく言われますが、自分ではいいアイデアかもと思い、自著にもその必要性を述べました。


関係人口を迎え入れる人たちは関係案内人と呼んでいますが、だいたいまちのスポークスマンがやっていたわけです。ゲストハウスやコワーキングスペースのオーナーとか、カフェやスナックのマスターとか、古くはペンションのオーナーとか。そんな、地域のスポークスマン的な人が関係案内人だったのですが、最近はもっと凸凹した人というか、ほっとけないキャラクターでもいいのですが、若手の農家さんとか、悩める地域おこし協力隊隊員1年生とか、そういう人が関係案内人として立ち始めているような気もします。一元化されなくなったというのかな、一つの地域に複数の関係案内所や関係案内人が現れるようになったのです。一つだった軸が複数に増え、支点が移動していくようなイメージ。これ、地域づくりの言葉で「軸ずらし」と言います。小田切さんに教わって、使っています。


軸ずらしはあったほうがいいです。ある一か所のとても力の強い関係案内人が運営している関係案内所があったとして、その吸引力は地域に必要なものですが、その案内人もだんだん加齢します。同時にそのコミュニティも経年していくので、10年後、振り返ってみたら地域の関係案内所はそこしかなくて、当時30歳代後半だった案内人も40歳代後半になって、ということは往々にして起こります。NPOも1999年ぐらいに爆発的に増え、盛んに活動しましたが、20年が経ったら新しい人が入って来づらくなって、当時の人たちしかいないというNPOも少なくありません。それはそれで居心地のいいコミュニティではあるのでしょうけど、地域のゆらぎを生んだり、地域が変化したりしていくためにはハレーションが起きることが大事なので、そのためには軸ずらしが効果を発揮します。次の世代、また次の世代というように関係案内所の軸をずらしていくことで、地域に関係案内所がいくつもつくられ、集まる人も一極集中しないで分散され、多層化していく。そうした動きが地域づくりには大事なのです。


関係案内所は分散しつつも、大型化しているような気もします。ゲストハウスでの一対一の出会いも人生を左右する出来事だと思いますが、大きな施設のほうが現れやすい人もいるのです。山形県山形市の児童遊戯施設『シェルターインクルーシブプレイス コパル』は、障害のある子どもも一緒に遊べたり、家族がそれを見守れたりすることで、人と人との新たな関係を構築する機会を設けています。そこでボランティアスタッフになることは、地域内関係人口になるわけです。兵庫県神戸市の廃校を活用した『NATURE STUDIO』は、水族館や釣り堀、エディブルガーデン、クラフトビール工房などを設けて、そういうものに興味がある人たちが現れる仕掛けをつくっています。代表の村上豪英さんは、それを「ソーシャルビオトープ」という考え方で、人と自然、人と人とのつながりを生み、育てようとしています。いずれも、大きな複合施設がこれまで以上にヒューマニティあふれる雰囲気でつくられているのが印象的です。


また、人を迎え入れる形の一つにワーケーションがあります。ワークとバケーションを組み合わせた造語で、テレワークなどを活用して、余暇を楽しみつつ仕事を行う働き方と観光庁は定義しています。ワーケーションそのものは悪くはないと思うのですが、伝え方が一辺倒だったことが気になります。ワーケーションを画像検索すると、晴天の南の島の砂浜に座ってノートパソコンを開いているとか、緑の高原を見下ろしながらテラスでノートパソコンを開いているとか、あのシーンだけがワーケーションだと印象を与えてしまったのがよくなかったんじゃないでしょうか。最高の自然の景色のなかで、見ているのはパソコンのモニターというのはちょっと……。ぼくなら移動中に仕事を済ませ、到着するやいなや釣り竿を持って川へ走っていきますね。


ぼくは9か月ほど前から、東京と家族が暮らす神戸の二拠点生活を送っているのですが、新幹線で3時間ほどの移動中に、できる仕事はなるべくやってしまいます。弊社のスタッフには申し訳ないですが、東海道新幹線のテレワーク車両に乗り、月曜の朝9時から11時まで、途中で電波が途切れたりもしますが、オンライン会議に座席から出席しています。移動中にできる仕事は終わらせて、目的地に着いたら、家族との時間を大切にしたり、地域の人たちと交流したり。そのほうが本当の意味でのワーケーションだとぼくは思います。やり方はいくらでもあるはずです。地域づくりの講座に参加して交流を広げたり、スナックイベントを開いて新しい出会いを楽しんだり。そんなふうにして地域の人たちとのタッチングポイントをつくることこそが、ワーケーションで地域に人が移動することの意味なのではないでしょうか。


関係人口は地域によって目的や性質が違うと感じることが多々あります。関係人口が生まれ育っていく講座の始まりと言われている島根県の『しまコトアカデミー』には12年から携わっていますが、受講生の皆さんは穏やかでやさしい雰囲気の方が多い印象です。広島県でも地域づくりの設計や監修に携わりましたが、そこでの受講生の印象は、「何とかしないとだね」という熱い思いを持って集まる人が多かったです。やはり広島カープがあるからでしょうか。


ぼくはそういう関係人口を受け入れる側の都道府県の性質の違いを「県性」という言葉で表しています。隣り合う島根県と広島県でも集まる関係人口の性質に違いが生まれるように、県全体を流れている空気感や雰囲気みたいなものは、47都道府県それぞれで違うと思います。その県性の違いにひかれる人たちが、関係人口としてその都道府県に現れるのでしょう。ぼくが校長を務める福島県郡山市の『こおりやま街の学校』も、郡山ならではの雰囲気。この場合は「市性」でしょうか、郡山だからこそ生まれる情感みたいなものを感じます。まちにはファッションが似通った人が集まったり、音楽の趣味が共通する人が集まったりするように、関係人口という言葉で現れる人たちにどんな共通性があるかというのは、その地域、県性に依るところが大きいような気がします。人間も動物なので、そこに吹く風とか、そこにいる人の目鼻立ちとか、親身になれそうだとか、その地域の風景や人に対する野性の勘のようなものが働くように思います。


「約束の川」という言葉があります。デジャヴュに近いんですけど、行ったことがないのに訪れた感覚がある川のことです。そのコーナーを曲がったらサルナシが生えていると思って曲がったら本当に生えていたとか。釣り人には2、3本、約束の川があると言われていて、ぼくはもう3本、約束の川に出合っています。これ以上、約束の川に出合えそうにないのは寂しいことなのですが、それを地域に置き換えると、関係人口になる人たちも、「約束の地域」があって、初めて来たのに初めてじゃないような感覚で接することができる地域があると思うんです。「ここ、なんだかわからないけどいいな」と感じるのは、その人にとっての約束の地域なんじゃないかな。『ソトコト』の取材をしていて、「なぜ、この地域だったんですか?」と質問したら、「いや、なんとなく」「直感で」と答える人が意外と多いのも、そこが約束の地域だったからではないでしょうか。


約束の地域に出合えている人たちが多く現れてきているのは、それだけ流動的に移動しているということや、いろいろな地域の施設に滞在できるサブスクリプションの制度が生まれているなど、約束の地域に出合いやすい仕組みがサポートされ始めているのも要因かもしれません。いいことだと思います。また、知らない土地に行くことは楽しいんだということを、地域おこし協力隊の隊員のみんなが、制度の誕生から13年間かけてそういう空気感を醸成してくれた影響も大きいと思います。


だからこそ、地域がキラーコンテンツばかりを発信することは必ずしもいいわけじゃないと言いたいのです。その人にとっての「約束された感」がデジャヴュのなかにあるのであれば、それはスーパースペシャルな出来事ではないはず。曲がり角を曲がったら歯医者があるとか、坂道から振り返れば真っ赤な夕陽が目に飛び込んできたとか、普遍的なもののなかから自分にとって愛おしみとか慈しみみたいな感覚が生まれて、その瞬間に約束が結ばれるのであれば、地域側が地域の魅力を過度に盛り込んで発信することは、約束を裏切っていることになるんじゃないかと心配になります。「見たことがないほどの青い海が広がっています」とインスタに海の写真をアップするのは、約束ではない。曇った日に行ったら、「写真ほど青くないね」で終わってしまうかもしれません。そうじゃなくて、ほのかさみたいなものを発信していったほうが、もっといい出会い方ができ、地域と関係人口の良好なフレンドシップが生まれるんじゃないか。小さいもの、弱いもの、儚いもの。日本人はそういうものが好きだと思うんですけど、そういうものこそ地域の魅力ということがわかる人たちが、ローカルから発信し始めてくれているのはありがたいです。


約束の地域に絡めて話すと、「関係人口はどういう人がなりやすいの?」という質問をぼくは何百回と受けてきましたが、いつもこう答えています。「地域にあんまり興味はないけど、友達に連れてこられた人」。たまたま週末、予定が入っていなかったし、友達に誘われたから来ましたという人。もちろん事前の予備知識もなく、地域の呼び方さえ間違えるような真っ白な心持ちで来た友達は、地域のおもしろさや、おじさんの手仕事や、おばさんの素朴な料理や、農業のやりがいや、子どもたちのやんちゃぶりに一瞬のうちにハマッてしまいます。


ぼくは旅はあまりしませんが、したときは復習型の旅になります。予習はしないで、偶然の出会いを楽しみます。たとえば、福岡県大牟田市に行ったとき、『タル助』というお弁当屋さんがあり、そこで「イカ弁」を買って食べたらめちゃめちゃおいしかった。後で調べると、イカ弁当は大牟田のソウルフードで、『タル助』は「イカ弁」のオリジナルの店が一時なくなり、それを惜しんだまちのみんなのムードの中から生まれたのが『タル助』だったと知り、「大牟田、おもしろい。また行きたい!」と思っているのですが、それと同じで、地域のことを念入りに調べてから行くと、自分でそのまちの魅力を見つけた感が薄らいでしまう気がするのです。自分で見つけたものこそ、自分のものになりやすいことを考えると、関係人口を募る地域講座を設計する際にも、地域の魅力や課題を事前に懇切丁寧に用意するのではなく、参加者が自分で見つける「余白」を残した形で計画したほうが、関係人口が生まれやすいかもしれません。


明確に定義しない。それが関係人口のよさ。


「結局のところ、関係人口って何ですか?」ともよく聞かれます。確かに、関係人口の定義はあいまいで、『ソトコト』では「観光以上、移住未満」として、地域と関わることを楽しむ人という感じで捉えています。「という感じ」というのは、関係人口を明確に定義づけずに、あいまいなままにしておいたほうがいいのではないかとぼく自身が思っているからです。言葉はゆらがないと変化していかないから。「ボサノバとはこうである」と定義しようとしても、スルリと抜けていくからこそ音楽はおもしろいのであって、定義してしまうとその時点で止まってしまう。地域づくりとまったく同じです。


ぼくが尊敬する釣りが大好きな哲学者・内山節さんと上智大学でトークセッションを行わせてもらったときに、こう言われました。「関係人口という言葉は、本来は生まれてこないほうがよかった。そもそも、地域を行ったり来たりする人たちは昔からいたのだから」と。たとえば、『釣りキチ三平』の作者の矢口高雄さんが書いた『おらが村』という漫画のなかに、「つばくろさん」と呼ばれる富山県の薬売りが、秋田県の横手市に年に1回ほど訪れ、おばあちゃんの家に泊まる、その温かい友情関係を描いていますが、そういう関係人口のルーツのようなものは、中越地震以前にもいろいろ存在したわけです。


内山さんは、そういった存在に言葉をつけていなかったからこそ、ゆらぎがあり、進化したり、持続可能な形で現れたりしたのだ。もし関係人口が完全に言葉として定義づけられてしまうと、定義からはみ出すものを排除することになるから、言葉としての伸びはなくなってしまう、というようなことを話してくださいました。言語化することで現れるものもあるけれど、塩漬けするような使われ方をするのはあまりよくないから、関係人口という言葉にあいまいな部分を残しておくことはとても大事なことだと考えています。


関係人口に限らず、今の時代、物事を何でも明確にしようとしすぎているようにも思います。池の水を全部抜くテレビ番組があるじゃないですか。エンタメですから、見ているぶんには、「こういうのをおもしろいと思う人もいるよね」という程度ですが、水を抜いた池の底に何の魚がいたか、何匹いたかをただ確認するだけの作業みたいになってしまうのは残念です。関係人口も池の水を抜くように、どんな人が、何人来たかだけを目的にしてもしょうがないですよね。ぼくが矢口さんの作品が好きなのは、幻の魚や、そこに本来はいない魚までも描いているからです。本当かどうかはわからないけど、そういう魚がいてもおかしくない環境があることを教えてくれることで、自分なりにイメージをふくらませることができます。だから、何でもかんでもあからさまにすることが本当にいいこととは思いません。


内山さんの著書に、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』があります。1965年以降、人はキツネやタヌキにだまされなくなったと書かれています。いろいろな事象の解像度を上げていった結果、必ず答えが見つかるという社会になった、その象徴のひとつがカラーテレビの普及だったかもしれません。それ以前の日本の農村や村のコミュニティでは、何かその人に押し付けてはいけないようなことはキツネやタヌキのせいにすることで、コミュニティをうまく運営していたのです。たとえば、認知症が進んだお年寄りがどこかへ行って迷子になってしまったとき、「おじいさんはキツネに騙されたんだよ」と言って、その家族の人たちが必要以上に自分を叱責しないですむようにするとか、家族をからかう人が出ないようにするとか、キツネやタヌキには悪いけれど、そういう存在になってもらうことで村のコミュニティがうまく回っていたことを考えると、何でもかんでも明確にする世の中はどうなのかなという気持ちは正直、あります。


「関係人口って何ですか?」という問いには、いくつか答えを用意しています。一つは、「関係人口は粒です」。さっきも言いましたが、関係人口は数ではありません。数というのは、多くなればなるほど認識できなくなってきますが、粒は一粒一粒が認識できるもの。自治体によって大勢の関係人口が生まれることを願う政策が行われようとするとき、ぼくは釘を刺して言います。「関係人口は、一人でも生まれれば地域や社会に変化を生み出すので、そこに数の論理を持ち込まないほうがいいですよ」と。「人口が毎年200人ずつ減っているので、うちの自治体は220人増やしたいんですよね」とKPIで語るのは数の論理。また、関係人口は質でもありません。質の論理を持ち込むと、受け入れ側が定めた一定の基準をクリアした関係人口が現れることになるので、性質が単一になりがちです。「何かあったときは脆弱になってしまいますよ」と注意します。だから、ぼくが取る答えは、「関係人口は粒です」なのです。一粒一粒が見える形で地域と関係を結んでいくので、お互いにとっていい関係になり得るのです。


粒というイメージは、『ソトコト』で長く担当させていただき、2年間ほどマネージャーも務めた生物学者の福岡伸一さんの文章を読むと、生命のことを表すときに「粒立ち」という言葉がしばしば使われています。その言葉が好きです。関係人口も人間で、生物です。その個々の活動を、輝いて現れるさまを、「粒立ち」と表現されることに共感を覚えたのです。数よりも、質よりも、粒。


もう一つは、「関係人口は鏡です」。地域の将来を悲観して、「うちの地域はだめだ。若い人がいないし」と結論を決めてしまうと、心の過疎が起こってしまいます。そこに新しい視点を持ち込むことで、住民の新たな一面を見つけてくれたり、地域の新たな魅力を発見してくれたりと、鏡としての作用があるのです、関係人口には。「強面だけど、お茶目なところありますよね」と言われると、「俺ってそうなんだ」と40歳代になって新しい自分を発見したりする。そういうことを伝えてくれるのは、固まったコミュニティのなかでは限度があります。自分を、地域を、多様な表現で再認識させてくれる関係人口が現れるのは、すごく有用な、有用というと素材みたいになってしまいますから、関係人口がそこに現れることそのものに、まず大きな意義がある気がします。
「関係人口は転校生です」とも答えます。クラスに転校生が現れると、最初は互いにソワソワとして距離ができてしまうけれど、だんだん互いに近づいていって、親しくなっていく。そして、近くにいることが当たり前になる。この、親しみのプロセスは関係人口と通じるものがあります。関係人口とは、コンヴィヴィアルなわかり合うプロセスでもあるのです。


この号の表紙に書いてあるサブタイトルにも注目してください。「Connected mind 2023」。関係人口を英訳した言葉ですが、完全に意訳です。たとえば、「Linkage population」とか違う訳し方があるのかもしれないけど、意図的にこっちを使いました。この「Connected mind」はぼくが考えた言葉ではなく、鹿児島県在住のある尊敬する女性が、ぼくが関係人口の話をしたら、「指出さん、それはConnected mindですね」と言ってくれたのが心に残って、使わせてもらっています。心が通じ合うとか、つながるといった意味だと思うのですが、そこに住んでいる意味での「connected」ではなく、離れていても、オンラインでも、地域内外からでも、その地域を思う気持ちは一緒だよという思いを込めて。そういう感覚を持っている人はみんなぼくのなかでは関係人口だということを伝えたいためのサブタイトルです。


「関係人口って何ですか?」と聞かれたら、いくつもの答えを用意して、まるで煙に巻くように説明しています。そういう意味では、関係人口の裾野を広げるのがぼくの役割かと思っています。裾野が広がらないと、高く伸びていかないので。裾野が広がっていくことで山の勾配が緩やかになり、みんなが歩きやすくなって、人が現れやすくなる。関係人口もそうなることを願っています。


あ、もう一つ言っておこうかな。みんな関係人口という言葉を大事にしてくれて、定義づけようとして、理解してくれて、そして、守ろうとしてくれる人からはこんな提案をいただくこともあります。「関係人口の協会をつくりましょう」と。法人にしましょうとか、商標登録しましょうとか。その気持ちはすごくうれしいのですが、ぼくは守らないほうがいいと考えています。自由に話してもらったり、自由に色付けしてもらったりしたほうが、言葉は生き延びるんじゃないかと思っている派なので。囲い込んだら、言葉だけではなく、関係人口として活動する仲間としての広がりもなくなってしまうように思うから。言葉は、自由に泳がせておくべきものなんじゃないでしょうか。


あと、関係人口とSDGsの話もしておきたいですね。
『ソトコト』は「未来をつくるSDGsマガジン」というサブタイトルでつくっていますが、SDGsは関係人口の動きにもリンクしているとぼくは捉えています。関係人口のみんなは、何かしらの形で地域に関わりたいという気持ちを持っていたり、地域と出合いたいという気持ちも持っていたりします。そして、日本の若い人たちは、「地域の役に立てれば」というソーシャルな視点を持って生活している人が増えています。地域や社会に役立つようなことを自分もできたらうれしいなという気持ちの表れだと思うのですが、そうしたソーシャルの視点と、世界が2030年に向けて持続可能な社会をつくろうとしているSDGsのサスティナブルな視点は、根っこの部分でつながっていると思っています。


SDGsは17の目標と169のターゲットを達成することで、持続可能な社会が30年以降も続いていくことを目指すものですが、では実際に、今、日本で暮らしているぼくたちも含めて、とくに若い世代のみんなは、社会に対してどう思っているのかというと、もうこれ以上、地球環境や社会に迷惑をかけたくないという気持ちを胸に秘めていることを、彼・彼女らと会話をするたびに言葉の端々で感じるのです。だから、「サスティナブルな暮らしをしていきたい」「地球環境や社会に迷惑を、負担をかけたくない」というのは、実は通底する根っこの部分ではソーシャルとつながっていて、ソーシャルな視点で地域に対して「自分も何かしらの役に立てれば」というのは、サスティナブルな視点で社会に対して「負担をかけたくない」というのとまったく同じ考えから生まれている2つの衝動だと思います。ですので、『ソトコト』の講座やアカデミーを受けに来てくれる皆さんは、SDGs的なサスティナブルな視点で学びたいことがたくさんあって、もう一つは、訪れた地域のみんなと何かをやることで、少しでも地域の前に進む力として役立ちたいというソーシャルな思いを胸に秘めているという意味で、SDGsと関係人口は非常に相似したものを内包していると考えられます。


SDGsに並ぶ、もう一つの重要なキーワードがあります。ウェルビーイングです。ウェルビーイングというのは、身体的、心理的、社会的に「よい状態」と表現されますが、ぼくの意訳では、「ご機嫌な状態」です。人はご機嫌な状態でいるときにいちばん幸せを感じますから。ウェルビーイングという考え方を、『ソトコト』をつくるうえでも大事にしているのですが、関係人口とウェルビーイングはかなりリンクしている部分が多いのではないかと考えています。


もう少していねいに訳すと、「幸せ」でしょうか。ハッピーとはちょっと違う幸せかな。ハッピーは、「今日欲しかった本が手に入った」とか、「スーパーに行ったら食べたかったお肉が30パーセントオフだった」みたいな短期的な幸せと考えられますが、ウェルビーイングは中・長期的な幸せとも言われていて、「振り返ると、このチームで仕事ができてよかった」とか、「このまちに暮らして自分はすごく幸せだ」とか、じわじわくるような幸せと考えるとわかりやすいでしょう。


その中・長期的な幸せを感じる一つの行動が、関わること。自分が誰かの役に立っているというだけでなく、何かのプロジェクトのなかにいるとか、この地域に知っている人がいるというのも大きな関わりですから、この関わるということが、実はウェルビーイング度が高まる一つの要素なのではないか、とぼくは考えています。


「何々さんが来てくれてうれしい」「こういうものを用意していたのよ」ともてなしてくれるとか、地域に自分がいることを認めてくれる、自分の存在を柔らかく受け入れてくれる、その受け入れられた瞬間に、人は自分がここにある、つまり「ビーイング」という感覚を最大限、感じられるのでしょう。「関係人口は鏡」の話にもリンクしますが、自分が認められている、受容されているという、生きている安心感が幸せにつながっている。地域ではそういうことが往々にして起こるような気がします。


役割と居場所もウェルビーイングを高めます。認めてもらえないとか認識されていない自分への不安というのは、心身ともに影響を及ぼすもの。そういう意味で、地域と関わる、地域で役割を見つけるとか、地域の人たちから声をかけてもらえることは、短期的なハッピーではなく、中・長期的なじわじわする幸せにつながっています。その意味でも、関係人口とウェルビーイングは近いところに併存しているように思います。


地域に関わるという行動は、関係人口自身もそうですし、関係人口を地域で迎え入れる人たちもそう、じわじわとくる幸せ、つまり、ウェルビーイングを高めていく要素の一つになっているのではないかと思います。


それから、関係人口は移動を伴います。人は移動したり、自分の住んでいるところ以外に拠点を持ったり、関連する地域があったりすることでウェルビーイング度が高まるとも言われています。これから健康や幸せについて改めて考える時代になっていくなかで、移動を含め、関係人口という動き方そのものが、個人と地域を幸せにする大きなポイントになると言えるでしょう。


最後に、関係人口の未来について話します。一つは今、地域に関わっている大人たちが楽しく活動している姿を、5歳、10歳下の若い人たちに見てもらうことで、地域に関わることが、自家焙煎したコーヒーを飲んだり、クラフトビールを味わったりするのと同じように、ライフスタイルのなかで当たり前のようになっていくことを望んでいます。


ぼくは大学時代、国連の職員になることを夢見ていました。『マガジンハウス』の『ポパイ』の編集者になるか、釣りのガイドになるか、国連に勤めるかの3択でしたが、その頃ぼくはボランティア系のサークルには入っていませんでした。メディアを通したボランティアの印象が、献身的で、自己犠牲的なものとして映っていて、「ぼくにはそこまでできない」と感じることもありました。でも、あれから30年ほど経ち、たとえばエシカルファッションとか、サーキュラーエコノミーとか、ぼくの学生時代にはなかった社会貢献の形が、しかもかっこいい空気をまとって社会に広がっています。地域に関わることも、そんなコンテンツの一つになり始めているのはとてもいい傾向です。小沢健二さんの配信サービスを聴くとか、ミックステープをつくるみたいな感覚と同じように、地域と関わる関係人口の動き方が、ファッションでもいい、カルチャーでもいい、自宅でボタニカル、観葉植物を育てるのと同じくらい軽やかになればいいなという思いを持ちながら、ぼくも地域に関わっています。


指出一正
さしで・かずまさ●1969年群馬県生まれ。上智大学法学部卒。弊誌編集長。『ソトコト・プラネット』代表取締役。行政のプロジェクトの監修・講師と国の委員などを多数務める。著書に『ぼくらは地方で幸せを見つける』(ポプラ社)。


photograph by Mao Yamamoto text by Kentaro Matsui


記事は雑誌ソトコト2023年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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