「元花魁」は自慢で、江戸庶民の羨望の的だった!莫大な金を払って身請けした遊女は男の妻か妾に
2025年3月21日(金)6時0分 JBpress
(永井 義男:作家・歴史評論家)
江戸の常識は現代の非常識? 江戸時代の庶民の生活や文化、春画や吉原などの性風俗まで豊富な知識をもつ作家・永井義男氏による、江戸の下半身事情を紹介する連載です。はたして江戸の男女はおおらかだったのか、破廉恥だったのか、検証していきます。
身請けに大金を吹っかけた楼主
図1は、吉原の最高位の遊女である高尾太夫が身請けされるに際して、その金額を天秤で査定しているところである。なんと、高尾の体重と釣り合うだけの重さの小判が、その金額だった。もちろん、これは戯作の誇張と滑稽であり、事実ではない。
公許の遊廓である吉原の遊女の年季は、「最長十年、二十七歳まで」と定められていた。いっぽう、岡場所などは、そもそもが非合法の遊里だから、なんの制限も受けない。岡場所などの遊女は吉原より過酷な年季を課されることもあった。
さて、吉原や岡場所を問わず、年季中の遊女の身柄を客の男が金を払い、もらい受けることがあった。これが身請けである。ただし、多額の金がかかった。
楼主は、その遊女が残りの年季で稼ぐであろう金額の補償を求め、ここぞとばかりに吹っかけたのである。
とくに、吉原の人気のある花魁(おいらん)ともなると、楼主は足元を見て、高額を要求した。図1は、そんな状況を象徴していると言えようか。
では、身請けには、いくらぐらいの金額が必要だったのだろうか。時代小説や古典落語などには、吉原の遊女の身請けの話があり、金額も語られるが、もちろんフィクションなのであまり信用できない。信用できる史料では、つぎのようなものがある。
随筆『花街漫録』(西村藐庵著、文政八年)に、遊女薄雲が身請けされたときの証文が記載されている。それによると、「元禄十三年(一七〇〇)七月三日、金額三百五十両」だった。
風聞集『藤岡屋日記』(藤岡屋由蔵編)には、次のような話が収録されている。
弘化三年(一八四六)、ある男が吉原の遊女を身請けしようとして、妓楼の楼主に三百両で提示した。ところが、楼主は六百両を主張して譲らない。男はついに身請けを断念したという。
当時の金額を現代の価格と比較するのは難しいが、単純に一両=十万円で換算すると、三百五十両は三千五百万円、六百両は六千万円になる。身請け、とくに吉原の遊女の身請けには莫大な金が必要だった。
元遊女と元フーゾク嬢の違い
さて、男は遊女を身請けして、その後はどうしたのだろうか。
もちろん、妻にしたのである。妻帯者の場合は、囲い者(妾)にして、別宅に住まわせた。
とくに吉原の花魁を身請けして妻にした場合、男は前歴を隠すどころか、「吉原の○○屋で、お職だった」と自慢した。「お職」とは、その妓楼の最高位の遊女のこと。
また、人々はそれを知って、うらやましがった。男も女も、「さすが元は吉原の花魁(おいらん)だけあって、色っぽいね」「やはり違うね。どことなく粋だね」などと、ほめそやした。
元遊女だからと言って、蔑視することも差別することもなかった。江戸の庶民は、素人に戻った元遊女をあたたかく迎え入れていた。
しかし、これは現代に置き換えると、かなり奇妙な感覚である。
現代、男がフーゾク店に通ううち、あるフーゾク嬢と恋に落ち、結婚したとしよう。このとき、男が友人に、「妻は○○のソープランドでナンバー・ワンの売れっ子だったんだぜ」などと自慢するなど、あり得ない。
結婚式でも新婦を、ある企業で勤務していたと紹介し、ソープ嬢だったことは秘密にするはずだ。この違いは、要するに遊女とフーゾク嬢が同じではないことに帰結するであろう。
現在、フーゾク嬢は自由意志と自己責任で、その職をえらんでいる(一部に悪質な強制はあるにしても)。
ところが、江戸時代の遊女は、自分で望んで遊女なったのではなかった。ほとんどは、貧しい親が娘を売り、その結果、遊女になったのである。
当時、遊女は「親孝行をした女」と言われた。要するに、自分が身売りすることで親の経済的な窮状を救ったからである。
こうした事情は社会的な常識だったため、元遊女だった女を人々は差別しなかったし、蔑視もしなかったのである。
図2は、身請けされた吉原の遊女が駕籠で去っていくところ。大勢の遊女が見送りに来ているが、大門のところまでである。遊女は大門から外には一歩も出ることを許されていなかったからだ。みなは、身請けされた女を心から祝福していた。
戯作『四季の花』(不明、文化十一年)に、次のような記述がある。
遠き田舎より売られてきて花魁となり、よき客に請け出され、思わぬ玉の輿に乗るもあり。田舎におらば一生、土をほじりて暮らすべきを、親に売られて出世するも、人の運にこそ。
田舎にとどまっていたら、同じ村、あるいは近在の村の農民の女房となって一生を終えていたろう。身売りして遊女となったことで、裕福な男に身請けされたのである。
人生に運の面があるのは事実であろう。ごく少数ではあれ、身売りされることで、結果的にしあわせをつかむ女はいた。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)
筆者:永井 義男