担任教師のグーパンチで救われた「昭和40年男」創刊編集長。現代において誤った考え方だと認めても、信じて生きた価値観までも否定されるのは絶対に違う

2025年5月8日(木)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

大阪・関西万博の開幕に伴い、1970年に開催された大阪万博にもたびたびスポットライトが当てられています。そんななか、人気雑誌『昭和40年男』創刊編集長の北村明広さんは、大阪万博後の昭和46年以降を「昭和後期」と定義し、この時代に育った人たちを「次々と生み出されたミラクルに歓喜しながら成長した世代」だと主張します。今回は北村さんの著書『俺たちの昭和後期』から一部を抜粋し、再編集してお届けします。

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鉄拳で解決してくれたことで救われた


荒川区の小学6年生。休み時間の教室だ。

担任教師が血相を変えて駆け寄ってきた。彼はレスリングで国体出場経験があるとの屈強な男だ。

女の子をいじめた。よりによって母子家庭をいじったのだ。酷い、最低最悪である。そこに至ったことに理由はあるが、いかなる背景であろうが神も許さない事案である。

物心は十分に備わった6年生だから、成長すればするほど後悔したはずだ。人生最大の汚点として、十字架になっていたかもしれない。

だがこれを鉄拳で解決してくれたことで救われた。昭和後期の手法である。

お前はそんな男だったのかーっ 喰らったグーパンチに深謝


担任の顔は紅潮して怒気にあふれているのに、その目には涙が浮かんでいた。そして一瞬の出来事だった。

「お前はそんな男だったのかーっ」と、グーで顔を殴られすっ飛んだ。

この教師が大好きで尊敬していた。親以外で、自分のことをこれほどまでに理解してくれた大人は初めてだった。だからこそ強いエネルギーをぶつけてくれたのだ。見損なったぞお前、ではあるが、浮かべた涙は見捨てていないことの証しである。痛かった。が、それ以上のぬくもりも受け止めた。

お前は男なのだろうと諭してくれたおかげで、わだかまりを捨て去り心より謝罪でき、許してもらえた。おかげで、本来一生悔やみ続けたかもしれない愚行が、担任よりの愛の想い出へと昇華されている。

思考停止へとミスリードを続けるも仕方なし


教師の体罰は、いかなる場合でも許さぬ社会に様変わりした。だが暴力と結びつけて、杓子定規で断ずるのは思考停止を招いてしまう。根本のところで論じようとすれば、100の体罰があれば100の理由があり、その中には使ったほうがいい場合もある──そういった議論さえも遠ざけてしまうのはいかがなものか。

現代病である。メディアによるミスリードが大きな要因のひとつだ。


(写真提供:Photo AC)

世論におっかなびっくりしながら、社会に迎合しながら、大メディアは民事を報じる。シビアなスポンサー様の機嫌を損ないたくない。批判や、ましてや炎上は御法度だから、社会迎合主義にならざるを得ない。だから「暴力だけは論外」とフォーマットにはめ込んでしまえば、安全なのだ。本来優秀なメディアマンなのに、がんじがらめなのは気の毒である。

こうして思考停止社会を作り上げている。昭和後期世代にとっては嘆かわしいものの、仕方なしと日々の職場で飲み込んでいる。毎日辟易しているから、酒場の隅では雄弁になる。

「おっかしくねえ」と投げ合いながら、「俺たちの時代はさあ」と口論するのが楽しかったりする。

担任からの愛のムチ


我が愛する担任は、バカ男を真剣に叱った。これを愛のムチと呼ばずなんと呼ぶ。愛のムチ……、死語だ。

深く理解させたムチでもあった。女の子をいじめるなんざ言語道断であり、男は女を守り愛する生き物だ。女から愛されなくとも、愛するのが男なのだと。

そんな社会を生きた昭和後期世代にとって、男女に多様性もへったくれもない。だが現代においては誤った考え方なのを、仕方なしだと認める。

だが信じて生きた価値観までも否定されるのは、絶対に違うと訴える。

男は男らしく、これからも生きていこうではないか。

※本稿は、『俺たちの昭和後期』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。

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