南極観測隊、初の女性隊長・原田尚美「民間企業への就職を辞退し、研究者を目指して。きっかけは、楽しそう、面白そう、という興味から」

2024年5月9日(木)12時30分 婦人公論.jp


「副隊長に求められるのは、隊長を補佐して隊の一人ひとりのミッションがうまくいくよう、全体を統括したり調整する役割」(撮影:洞澤佐智子)

2024年12月に南極に向かう第66次南極地域観測隊の隊長に、東京大学大気海洋研究所教授の原田尚美さんが就いた。33年前の初参加から、今回で三度目の南極行きとなる。「初の女性隊長」と注目されるなか、その意気込みを聞いた(構成=山田真理 撮影=洞澤佐智子)

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<前編よりつづく>

北極に行く観測船に乗船


南極から戻って博士課程を終えた私は、現在の海洋研究開発機構(JAMSTEC)に就職します。最初はJAMSTECが受託した東シナ海のプロジェクトに参加、海洋環境や海洋中の物質循環の変化を主に研究していました。

それが2002年よりJAMSTECでも科学研究費補助金という競争的資金に応募できるようになり、獲得できれば、研究所の仕事と並行して関われるようになったのです。

そこで2010年から取り組みはじめたのが、北極でした。地球温暖化によって北極海の海氷が急激に減り、ホッキョクグマの生息が危ぶまれる、というニュースを耳にした方は多いでしょう。地球温暖化は1980年代後半から注目されてきましたが、北極と関連づけて語られるようになったのは、まだここ15年ほどのことなのです。

海氷の減少による、プランクトンなどの生態系や炭素といった物質の変化を継続して調査するため、北極に行く観測船に乗船するように。すると北極と南極に観測基地を持つ国立極地研究所から、「第60次南極地域観測隊の副隊長をやりませんか」と声がかかりました。ジェンダーバランスが意識される時代になり、女性隊員を増やしたい意向もあったのだと思います。

副隊長に求められるのは、隊長を補佐して隊の一人ひとりのミッションがうまくいくよう、全体を統括したり調整する役割。とはいえ、南極では毎日が楽しくて刺激的なんですよね。調査研究に没頭する隊員たちを見るにつけ、まざまざと蘇ったのは、27年前の「失敗」でした。

人生の「宿題」を終わらせる


あれは私の人生の、宿題のようなもの。もう一度行って終わらせよう。年齢的にも最後の挑戦になるだろうと、2年ほど前から南極での研究費を獲得するための準備を進め、今回参加できることになりました。隊長としての仕事はありますが、副隊長や隊員たちと連携を取りながら自身の研究も進め、宿題を終わらせたいと思っています。

例の観測機器も、現在ではかなりハイテク化されたセンサーを搭載。海水温や塩分濃度などを計測するほか、その動きから生物粒子と非生物粒子を判別できるセンサーも開発中です。当時失くした、海水中でプランクトンが生成する有機物の粒子を2週間に一度、自動で集める測器も搭載します。

ほかに重要視している観測データは、海水のpHと二酸化炭素濃度。地球温暖化が進むにつれて大気中の二酸化炭素が海の表層に溶け込むと、本来は弱アルカリ性である海水が中性あるいは酸性へ傾いてしまいます。

これはもうひとつのCO2問題と言われていて、炭酸カルシウムで殻を作る貝などは、幼生で酸性化が進行した海水にさらされると死んでしまうことも。エビやカニの甲羅を作るキチン質も4割ほどが炭酸カルシウム。実際、アメリカ西海岸では牡蠣、アラスカではズワイガニの漁獲量に変化が出ており、北極海では以前から海洋酸性化がクローズアップされてきました。

近年はこうした観測データに加え、スーパーコンピュータで「未来にどのような変化があるか」を予測できるようになっています。ここに現地での最新の観測データがひとつでも加わると、予測結果の確度は格段に高まるのです。

スーパーに行けば北海道産のサケが減り、北海道周辺でブリが獲れるようになるなど、海の環境の変化は、読者の皆さんもリアルな実感をお持ちだと思います。私たちの研究結果はなにかと心配を煽ることになってしまいますが、できる限り警鐘を鳴らし、普段の生活を見直していただくきっかけを作りたい。

というのも、北極や南極周辺では、スーパーコンピュータを使った予測結果より、現実の地球温暖化のほうが遥かに速いスピードで進行していることがわかっているからです。約10年前には「2050年に北極の夏は氷がなくなる」と予測されていたのが、現場の観測結果からは「どうも2050年まで持たないんじゃないか」と言われている。

このように、実際に海氷の減り方などを観測で確かめることが大切で、私たち研究者が現地へ出かける必要があるのです。

さまざまな変化が地球規模でどう進んでいるか、それが将来の地球にどう影響を及ぼすのか確かめてきますので、隊の活動を見守り、応援していただけたら嬉しいです。

南極の美しい空


南極は厳しい環境ですが、それゆえに見られる美しい景色もたくさんあります。私がいちばん好きなのは、夜中の1時から2時ころの空。

観測船「しらせ」から昭和基地まで雪上車で物資を輸送するのは、安全のためにも海氷が締まる夜間に行われます。夜中に作業するチームを待って起きていると太陽が沈み始め、またすぐ昇るんですね。

そのときの空が、ピンクから紫の、なんともいえない美しいグラデーションになる。オレンジ色の夕焼けや朝焼けとまったく異なり、南極で、その時間帯に起きている人だけが見られる空なんです。

長い滞在なので、基地では6月の極夜に行われるミッドウインター祭やクリスマスやお正月、バレンタインデーといった季節行事も行われます。隊員同士でバンドを組んだり筋トレのチームを作るなどサークル活動も盛ん。

観測隊の公式サイトや隊員個人のSNSに、そんな日常の風景やペンギンやアザラシの姿、観測の様子もアップされると思いますから、覗いてみてください。私も、趣味の書道くらいはするかもしれません。基地内は床暖房付きで暖かく、墨汁も凍らないですし。(笑)

そうした安全で快適な基地を維持し、砕氷艦といった特別な観測船を持てるだけの技術力、資金力のある国は、世界の3分の1にとどまります。幸いにも日本はそれが可能な国。だから目先のことにとらわれず、地球環境を守るという世界共通の課題に貢献していきたいですね。

若い研究者たちを応援したい


修士課程で赤道への研究航海に出る前、私は民間企業への就職が決まっていました。でも航海中、急に惜しくなってしまった。就職したら、集めたサンプルは後輩たちが分析することになりますから。船上で「博士課程に進もう」と考え直しました。

親には嘆かれたけれど、どうも私は楽しそう、面白そう、という興味に引かれて人生の行き先を決めてきた気がします。

研究者とはそういうものなのかもしれません。そして要所要所で先生方の面白そうな話を聞き、背中を押される場面がありました。私も一昨年からはじめて教育者になったわけですが、転向を決めたのも若い未来の研究者に現場の楽しさを伝える存在でありたいと思ったからです。

私が学生のころは、女性が理系の大学へ進むこと、ましてや研究者を目指すことはまだ珍しい時代でした。そういえば私の大学院進学を知った男性の先輩は、「あなたが院に行ったところで何の役に立つかわからないんだから、結婚したほうがいいんじゃない」と言っていました。

そのときは軽く聞き流したけれど、30年以上経ったいまも覚えているのだから、それなりに思うところはあったということですよね。(笑)

私には子育てと研究を両立する自信がなかったので、子どもを持ちませんでしたが、ここ東京大学柏キャンパスにも保育園が完備されているように、女性のライフイベントを支援する体制は少しずつ整ってきています。それでも本人たちは悩む。どの道にも真剣に向き合いたいと願う以上、当然のことです。

だから私は女性研究者や、研究者を目指す女子学生も支援していきたいですね。「これが私の挑戦だ」と思うことがあるなら躊躇したり諦めたりせずにトライしてほしいですし、悩んでいる方には、「いまや南極地域観測隊の隊長も女性なんだから」と、この記事を思い出して前に進んでもらえたら嬉しいです。

婦人公論.jp

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