《“私の立ち食いそば店ベスト3”を特別公開》洗練されたお店を営む“本格派蕎麦職人”があえて「立ち食いそば」を食べ歩きまくる理由が意外すぎた

2025年5月20日(火)7時10分 文春オンライン

 西武新宿線、新井薬師前駅から歩いて5分ほどの裏路地に「手打ち蕎麦 吉」という隠れ家のような店がある。手打ちそばの評判も上々で、近隣だけでなく遠方からも食べに来る常連も多いという。


 ところで、店主の立澤光太さん(41歳)は立ち食いそばが大好きで、休みの日は買い出しの傍ら食べ歩いて日々研究に勤しんでいるそう。こんなのっぴきならない情報が入ったからには、取材に行くしかない。なぜ店主は立ち食いそば好きになったのか。さっそく訪問してみることにした。


新井薬師前駅すぐにある「手打ち蕎麦 吉」


 5月11日、日曜日の午後1時過ぎ。西武新宿線、新井薬師前駅に降り立つ。



駅地下化で雑然としている新井薬師前駅


 西武新宿駅から各駅停車で4つ目。こぢんまりとした駅である。駅地下化の工事中のようで駅前は雑然としている。


 そこから中野方向に南下し、3番目の路地を左に入って少し歩いた所に店はあった。


 およそ5分ほど。コンクリート打ちっぱなしのビルの1階。素敵な外観だ。


 入ると、店主の奥様いよりさんが笑顔で迎えてくれた。


 店内は左に8人ほど座れるカウンター席、右に大きめの4人掛けのテーブル席が配置されている。落ち着いた雰囲気である。


 先客が2、3名、そば前(お酒やつまみ)をやりながら、静かな時間を楽しんでいる。カウンターの端に座り、メニューをみてみる。


 そばは「もりそば」、「大もりそば」、「かけそば」だけ。日によって、黒板メニューに「きつねそば」、「鴨南蛮」などが並ぶとか。なかなか潔い。


 おつまみは、「本日の3点盛」、「煮込み」、「焼き味噌」。


 飲み物は、「ビール小瓶」、「中瓶」、「日本酒」、「ワイン」、「焼酎」、「レモンサワー」、「梅干しサワー」、「お茶割り」など。


 冷蔵庫には珍しい日本酒が並んでいる。


そば前をやるのにピッタリの店


 まずは「お茶割り」、「本日の3点盛」を注文した。この3点盛がなかなか凝っている。ひたし豆、酒盗豆、きつねブルーチーズ、梅水晶、油揚甘辛煮、セロリの浅漬、板わさ、などなど13種類から3つをチョイスする。


 きつねブルーチーズ、うるいのおひたし、板わさ、そして、今回はわがままをいって、ひたし豆と黒板メニューのほたるいかの煮付けを追加した。そして登場した芸術品。うるいなんて何年も食べていない。焼き目のついた板わさは酒のあてに最高だ。そして、きつねブルーチーズは絶品。


「油揚げにブルーチーズを挟んで焼くだけです」と奥様のいよりさんが教えてくれた。ひたし豆もうまい。


加水の少ない細打ちの十割そばがよい


 こうなるとまずはそばを食べないとならない。「もりそば」と「レモンサワー」を追加注文した。待つこと数分。麺線の細身が美しいもりそばが登場した。


 辛汁のほかにキメの細かい塩が添えられている。 


 まず塩をひとつまみそばにかけて、そばをひとくち。おっ、これはうまいそばだ。加水は少なめでしっかりしたそばである。香りも良い。今日は埼玉県三芳町のそばを十割で打っている。茹で時間は35秒前後。十割でこの細いそばを打つのは難しいだろう。次に辛汁につけて食べてみる。この汁がすこぶるうまい。やや甘めだかキリッとした濃厚なつゆだ。


 あっという間に食べてしまった。食べ終わったざるにはそばの欠片がひとつもない。うまくつながっている証拠だ。店主は手先が器用なんだろう。このそばはかけで食べてもうまいに違いない。またその日によっては粗挽きそばを打つこともあるという。是非食べてみたい。


手打ちそば屋を始めた経緯を聞くだけで酒が飲める


 食べ終えた頃、立澤さんがホールに出てきてくれたので、どういう経緯で手打ちそば屋を始めたかを聞いてみたのだか、これがまた豪快かつ興味深い。


 立澤さんは20代半ばまでは、全く別の仕事をしていたという。その会社が合併などでなくなることになり、以前からやりたかったそばの世界に入ったという。しかも、有名店で修行はしていない。


 そば打ち道場に行きノウハウを得て独学で西荻窪に店を出したのが今から12年前のこと。なんとあの超有名店「鞍馬」の3軒となりでスタートしたというからいい度胸だ。あとあと友人からは「なんて無謀なことをするんだ」とずいぶん言われたそうだ。


 西荻窪に5年、そして新井薬師前に来て6年になる。今では手打ちそば屋の中でも一目置かれるまでになっている。


立澤店主はなぜ立ち食いそば好きになったのか?


 さて、ここからが本題である。そんな、立澤さんが店のインスタに載せている写真は立ち食いそば屋の写真が多い。なぜ立ち食いそば好きになったのだろうか。


 立澤さんは葛飾区出身だ。もちろん、立ち食いそばも大衆そば屋も以前から食べていた。しかし、自分で手打ちそば屋を始めて、蕎麦屋という立場で立ち食いそばを食べてみて、手打ちにない全く別の世界がそこにはあることを初めて認識したというのだ。


同じそばなのに別世界がそこにあった


 西荻窪に店があった10年前頃、ある時、築地に買い出しに行き、何気なく入った店が築地2丁目にある「天花そば」だったという。出てきたそばは、正直、手打ちのそれよりは小麦粉も多い、細めのうどんのような生そばである。しかし、そのつゆ、天ぷらと合わさると、素晴らしい一体感、バランスが生まれていることにはっと気がついたという。この時初めて「立ち食いそばには自分が切磋琢磨している手打ちそばにはない、別の味の世界があることを認識・発見した」というわけである。


 つい先日も、本蓮沼にある深夜営業の「そばひろ」に行き「春菊天太そば」を食べて感動したという。勢い余って、「カレーそばソーセージ天」もお代わりしたという達人ぶりだ。


 さらに立澤さんは面白い実験も行っている。茹で麺を仕入れて、自分の店のつゆでかけそばを作って食べてみた。すると立澤さん「これは合わない! ただ優しい味のそばになるだけ?」だったという。味の違いをもたらす要因は何かを探る日々が続いているというわけだ。


立澤さんおすすめ立ち食いそば「私のベスト3」


 ちなみに、立澤さんおすすめの立ち食いそば「私のベスト3」を聞いてみた。


 まず、1軒目は田端にある「立喰そば かしやま」。こちらは自家製麺でツルツルでコツッとした硬さがあるとか。天ぷらもつゆも自家製。


 朝6時から10時までの営業の店だ。「こちらの凛とした佇まいと雰囲気と滋味深い味がたまらない」と立澤さん。


 2軒目は大久保駅近くの「長寿庵」。


「ジャンクなつゆがうまくてたぬきそばが絶品」とか。


 3軒目は立ち食いではないが台東区千束1丁目にある「ねぎどん」。


 カウンターだけの大衆店だが、手打ちそばを提供している所に感心しているようだ。


立ち食いの魅力を知ったことによる思わぬメリット


 そんな立ち食いそばにハマっている立澤さんだが、「手打ち蕎麦 吉」を運営するうえでどんな影響があるのだろうか聞いてみた。すると、「手打ち蕎麦屋の垣根を越えたジャンクな一品を出していこうと考えている」という。その一つが牛スジを使った「煮込み」などのメニューに反映されているとか。返しと出汁でよく煮込まれた牛スジと大根は人気メニューになっている。


 また、将来の夢として、手打ち蕎麦はこのまま続け、同時に機械打ちのそばや春菊天のような手打ちそば屋であまりみない天ぷらなども昼に提供してみたいと立澤さんは熱く語る。


 日曜の午後、「手打ち蕎麦 吉」に来て、大変うまい手打ちそばを堪能し、なおかつ立澤さんの立ち食いそば愛をひしひしと感じ取ることが出来た。また近々、そば好きな女流作家さんを誘って伺おうと思う。立澤夫妻に挨拶したうえで店を後に。新井薬師にお参りし、中野ブロードウェイまで散歩して帰路についた。前向きな立澤店主に幸あれ。


 踊り出す 店主の夢と そばの味



INFORMATION


「手打ち蕎麦 吉」
住所 東京都中野区上高田3-38-11 響SOU1階
営業時間 水〜土 12:00〜14:00/18:00〜22:00、日 12:00〜17:00
定休日 月・火
https://www.instagram.com/teuchisoba_kichi/



(坂崎 仁紀)

文春オンライン

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