江原啓之「親友が亡くなった。嘆き続ける、新しい友を求める、どちらが幸せ?不幸の三原則は〈自己憐憫〉〈責任転嫁〉〈依存心〉」【2025編集部セレクション】
2025年5月20日(火)12時30分 婦人公論.jp
(イラスト◎大野舞)
2024年上半期(1月〜6月)に『婦人公論.jp』で大きな反響を得た記事から、今あらためて読み直したい1本をお届けします。(初公開日:2024年04月16日)
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スピリチュアリストとして、さまざまな角度から読者のお悩みに答え、生きる指針を示してくれる江原啓之さん。現在は熱海に在住し、ていねいな暮らしをしながら日々「生きる上で大切なこと」を発信し続けています。『婦人公論』のリニューアルにあたって始まった新連載「〈幸せぐせ〉を身に着けよう」。第28回は「なんでも話し合えた友人が急逝し喪失感でいっぱい」です。
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Q なんでも話し合えた友人が急逝し喪失感でいっぱい
A)新しい友人を求め交友関係を広げる
B)時間が薬。立ち直れるまで喪失感と向き合う
この世での旅が終わっただけ
長寿社会となった現代、長生きするとそれだけ多くの仲間を見送ることにも繋がります。みなさんの中にも、親しい人を亡くしさみしい思いをしている方がいるのではないでしょうか。その気持ちはよく理解できます。
けれど、スピリチュアルな視点から言えば、人は死して死なず。天寿をまっとうして肉体の死を迎えても、それはこの世での旅が終わっただけのこと。お迎えが来た友人のたましいは一足先にあの世へ向かい、新しい旅を始めています。人は遅かれ早かれ、あの世へ旅立つもの。ですから、いずれあの世で友人に会うこともできるのです。そんなたましいの視点を持ちながら、今回のお題を考えてみましょう。
ずばり、幸せぐせはAです。
たましいの視点をもって
新しい友人を求めるなんて、あっさりしていて冷たいと思いますか? いいえ、大事なのは、あの世へ旅立つ人をこの世に引き留めないことです。「あなたがいなくなってさみしくてたまらない」と気落ちして鬱々と過ごしていたら、亡くなった方は後ろ髪を引かれておちおちあの世へ行ってはいられません。Aのように前向きに生きる姿勢を見せてこそ、友人は安心してあの世に向かえるのです。
もちろん友人の冥福を祈り、心を寄せることは大切です。けれどたましいの視点を持っていれば、悲しむだけではなく、「今まで私と仲良くしてくれてありがとう」と感謝の気持ちが溢れてくるはずです。そして、「あなたがいなくなってさみしいけれど、私はもう少しこの世で頑張るね」と言えるのではないでしょうか。
一方、Bのように「親しい友人を亡くし、自分の中に広がる喪失感と向き合わざるをえない」と思うのが、なぜ不幸ぐせなのかも解説しておきましょう。親しい人を見送りさみしさが募るのは理解できますが、「喪失感」となると、それはかなり自分本位の感情と言えるからです。
(イラスト◎大野舞)
喪失感の正体
私はいつも不幸になる三原則があると申し上げています。それは、「自己憐憫」「責任転嫁」「依存心」です。そもそも喪失感の正体はなんなのでしょうか? 友人を見送ったあとに残された私。なんでも話せる相手がいなくなってしまった私。これから私は誰に話せばいいの。感傷的になっても慰めてくれる友人はもういない……。そんな「かわいそうな自分劇場」が開幕しているのではないでしょうか。友人の死を悼むという本筋とは異なる心理が働いているように思います。それこそ、自己憐憫であり、依存心にほかなりません。
喪失感から脱却できないときは、自問自答してみましょう。友人への依存心があったからこそ、頼る人がいなくなった喪失感が生まれたのでは? と。その小我な自分に思い至ったとき初めて、「あなたがいなくなって私はこれから誰に話せばいいの?」ではなく、「これまで私の話を聞いてくれてありがとう」という感謝が溢れてくるに違いありません。
そもそも「なんでも話せた友人」というのは、あなたから見た評価です。相手は「いつも自分の話や愚痴ばっかり聞かされて、まいっちゃうわ」と思っていた可能性だってあります。人間関係は腹六分くらいがちょうどいいのです。
もしあの世へ旅立った友人が、あなたを無二の親友と思っていたとしても、喪失感でいっぱいのあなたを見たら、こう言うでしょう。「いつまでも私に依存しちゃダメよ。もう私にはどうしてあげることもできないんだから、しっかりして!」と。あの世に行った友人にまで心配をかけるなんて……。それがいかに不幸を招く行動かがわかっていただけると思います。
自律した関係が理想
人生を終えるタイミングは人それぞれ。当たり前ですが、その人に与えられた寿命によって異なります。どんなに親しくても、どちらかが残り、どちらかが見送るのは避けられません。だからこそ、この世で生きている間に、悔いなく過ごせるよう努力するのです。
友人関係についても、同じ。いくら仲がよくても、依存しすぎてはいけません。互いに自律した関係が理想です。もちろん、考えを整理するために友人に話を聞いてほしいときがあるのもわかります。それに、たまには人に愚痴を聞いてもらってスッキリしたいこともあるでしょう。
そういうときはなんでも話すのではなく、「考えを整理したいから話を聞いてほしい」「ちょっとだけ愚痴らせてほしい」などと要点を絞ること。そのうえで「5分だけ話をさせて」など時間を区切って友人に聞いてもらいましょう。いくら相手が聞き上手でも、調子に乗ってダラダラと話すのはNGです。悩みや愚痴の垂れ流しは禁物だと肝に銘じること。親しき仲にも礼儀ありです。聞いてもらったら「ありがとう」と、お礼を言うのも忘れないようにしましょう。それらの心構えができたら、見送った友人を偲びつつ、Aのように新しい友人を求めて交友関係を広げてみてください。
友人との語らいで視野を広げながら、あなたがこの世でたくさんの思い出をつくることをあの世の友人も応援していることでしょう。
前回「きょうだいからの愚痴や文句への対処法。時には居留守、自分からも愚痴を言ってみる。身内でも腹六分の付き合い」はこちら