近世城郭の門と枡形を知りたかったら江戸城へ!典型的な「田安門」と、わかると怖い「清水門」
2025年5月23日(金)6時0分 JBpress
(歴史ライター:西股 総生)
はじめて城に興味を持った人のために城の面白さや、城歩きの楽しさがわかる書籍『1からわかる日本の城』の著者である西股総生さん。JBpressでは名城の歩き方や知られざる城の魅力はもちろん、城の撮影方法や、江戸城を中心とした幕藩体制の基本原理など、歴史にまつわる興味深い話を公開しています。今回の「江戸城を知る」シリーズとして、江戸城の城門の中でも田安門と清水門の魅力を紹介します。
江戸城は、城門と枡形虎口の宝庫である。近世城郭の門と枡形を知りたかったら、まず江戸城へ行け! といいたいくらいだ。そんな江戸城の城門と枡形虎口について、以下何回かにわたって見所を紹介してみよう。
田安門〜典型的な近世の枡形虎口
まずは、江戸城の北の守りである北の丸から。地下鉄の九段下駅を降りて北の丸にある武道館に向かう時、必ずくぐるのが田安門。江戸城の門としてより、むしろ武道館の入場口として有名かもしれないが、本来は江戸城北の丸の正面にあたる門だ。
田安門は、高麗門と渡櫓門からなる典型的な近世城郭の枡形虎口である。このうち、渡櫓の部分は関東大震災で崩壊したのちに復元されたものだが、渡櫓の下の門の部分と高麗門は寛永13年(1636)の建築であることがわかっており、国の重要文化財に指定されている。江戸城に現存している城郭建築の多くは、宮内庁管轄(皇室財産)のため国の文化財に指定されていないが、北の丸は皇居敷地外となるため、田安門や次に紹介する清水門は重文指定を受けている。
枡形の外側にあるのが高麗門。高麗門とは、門柱の後ろに控え柱を立てて、控え柱の上にも小さな屋根をかけた形式をいう。控え柱を立てるのは門柱が倒されないための強化策で、その上にも屋根をかけるのは、門扉が濡れないための工夫だ。
なぜ、門扉を濡らしたくないかというと、門扉の表面(城外側)に鉄板が打ち付けてあるからで、要するに防弾板だ。防弾板が雨で濡れて錆びてしまっては困るから、屋根で保護しているわけである。
それがわかったら、今度は門を後側(城内側)から観察してみよう。控え柱は門柱より少し外側に立っていることがわかる。この方が踏ん張りがきくし、防弾装甲を施した門扉は分厚いので、こうしないと90度まで開かないからだ。
次は渡櫓門。復元建物だが、見落としてほしくないポイントがある。枡形の4面のうち外側の面は高麗門、内側の1面は渡櫓門で、残る2面は現在は石垣だけだが、本来は石垣の上に土塀があって、守備兵が配置できるようになっていた。この守備兵が出入りするための引戸が、渡櫓の端に設けてある。これはぜひ、現地で確認してみよう。
清水門〜わかると怖い枡形虎口
お次は、北の丸の東側にある清水門だ。清水門も高麗門と渡櫓門からなっていて、併せて重文に指定されている。
前回の田安門の項で説明したように、高麗門の門扉には防弾装甲が施してある。分厚い板の上に鉄板を貼れば、門扉の重さは相当なものになるから、門扉を門柱に取り付ける金具も頑丈でなければならない。この金具、普通の建物の扉でいう蝶番(ちょうつがい)にあたる金具を肘壺(ひじつぼ)というが、清水門では肘壺に注目したい。
高麗門の肘壺は、われわれが見知っている蝶番とは比べものにならないほど、大きく頑丈だ。まるで、大砲の砲身みたい…と思ってよく見ると、文字が刻印されている。
「御石火矢大工 渡辺善右衛門尉 康直作」
と読める。本当に大砲職人が作っていたのだ。
この清水門で面白いのは、枡形の形だ。普通、枡形は三方を渡櫓門と石垣で囲むが、清水門は南側がスカスカに開放されている。ここが、清水門の恐ろしいところ。南側は堀を隔てて北の丸の石垣が聳えており、石垣上から枡形内部を「掃射」するために、わざと南側を開放しているのだ。攻め手は、高麗門を破って枡形の内部に突入しても、渡櫓門の前でジタバタしているうちに、石垣の上から矢玉を浴びせられることになる。
しかも、渡櫓門を入ったら通路が180度ターンして石段を上がるようになっている。つまり、枡形をダブルにした重枡形(かさねますがた)の構造になっているのだ。北の丸は台地の上にあるが、清水門は台地の下に設けてある。この高低差をうまく使いながら、厳重な防備を施しているわけだ。江戸城の枡形、恐るべしである。
(次回は6月中旬に掲載予定です)
【参考図書】高麗門・渡櫓門・枡形虎口…お城の基礎知識をおさらいしたい方にピッタリな入門書、西股総生著『1からわかる日本の城』(JBpress)をぜひご参照下さい。
筆者:西股 総生