なぜ今、ロートレックなのか?パリ屈指の歓楽街に居場所を見出し、命を削って作品を生み出した彼が愛される理由

2024年7月3日(水)8時0分 JBpress

19世紀末フランスを代表する画家、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック。個人コレクションとして世界最大級の規模を誇るフィロス・コレクションから約240点の作品・資料を公開する「フィロス・コレクション ロートレック展 時をつかむ線」がSOMPO美術館で開幕した。

文=川岸 徹 撮影=JBpress autograph編集部


開催が相次ぐロートレック展

 偉大なアーティストには熱烈なファンとともにアンチが付き物だが、「ロートレックが嫌い」という話は聞いたことがない。ロートレックは一般のファンだけでなく、美術関係者や評論家筋にも受けがいい。しかもその人気と評価はここ数年、一段と高まっていると感じる。今年は「ロートレックとベル・エポック PARIS—1900年」展と「フィロス・コレクション ロートレック展 時をつかむ線」が全国を巡回。改修工事により⾧期休館中だった三菱一号館美術館も、11 月の再開館記念展のテーマにロートレックを選んでいる。

 なぜ、いま、ロートレックなのか。東京・SOMPO美術館にて「フィロス・コレクション ロートレック展 時をつかむ線」が開幕したこの機に、ロートレックが愛される理由を考えてみたい。


貴族の長男として生まれたものの……

 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは1864年、9世紀から続く南仏アルビの裕福な貴族の家に生まれた。待望の長男誕生に父親や親族から“Petit Bijou(小さな宝石)”と呼ばれて可愛がられたが、幸せな日は長く続かない。弟リシャールの死をきっかけに両親は離婚し、母親アデルとともにパリで生活するようになる。10代のときには事故により左右の大腿骨を骨折し、下半身の成長が止まってしまう。父親はこれに大きく失望し、ロートレックを疎ましく思い始めたという。

 現代風に言えば、「当たりだった親ガチャが実はハズレだった」というところか。思春期に抱えた喪失感と疎外感。孤独を感じたロートレックはパリ・モンマルトルに通いつめ、やがて住み着くようになる。当時のモンマルトルは、キャバレやダンスホール、劇場、娼館が建ち並ぶパリ屈指の歓楽街。光と闇が交差する世界に、ロートレックは自分の居場所を見出した。

 画塾に通い絵を学んでいたロートレックは、モンマルトルに集う人々を描くようになった。モンマルトルに住みついた作家や芸術家、新しい時代の空気を感じようと街を訪れる客人、そしてそこで働く人々。ロートレックの作品には、人気スターが数多く登場する。女性スターでは一世を風靡した歌手イヴェット・ギルベール、「ムーラン・ルージュ」のダンサーとしてお馴染みのラ・グーリュとジャヌ・アヴリル、「スカラ」を中心に活躍した歌手ポーラ・ブレビオン、男装で人気を博した芸人メアリー・ハミルトン、「ヴァリエテ座」のスター女優マルセル・ランデール……。

 男性スターでは、歌手アリスティド・ブリュアンの名が筆頭に挙げられる。ロートレックとブリュアンは10歳以上年齢が離れていたが、お互いを無二の親友と認める仲。ブリュアンは小さなバーを経営しており、その伝手で彼はロートレックに「ムーラン・ルージュ」のポスター制作など、仕事をいくつか紹介したらしい。

 2人の友情を示すこんな素敵なエピソードがある。ブリュアンが歌手としてそれほど売れていなかった頃、彼の元にモンマルトルのキャバレ「アンバサドゥール」から出演の依頼が届いた。待ちに待った大舞台。ブリュアンは友人であるロートレックに宣伝ポスターの制作を依頼したが、アンバサドゥールの支配人はポスターの仕上がりに失望。華やかさがなく、これでは客が集まらないと。だが、ブリュアンは「このポスターを使わなければ出演しない」と言い切った。

 その後、ロートレックはブリュアンのためにポスターを作り続けた。ブリュアンをモデルにした3枚目のポスター《キャバレのアリスティド・ブリュアン》はロートレックの代表作。黒づくめの服装に、赤いマフラーが効いている。ちらっと背後を振り返る横顔には、スターの風格がただよう。ロートレックがブリュアンに抱いていた頼もしさが表れているようだ。


鑑賞者を魅了するあたたかな線描

 ロートレックが描く人物画の魅力は、なんといっても親密で生き生きとした線。幼少の頃からロートレックは線描の素質に恵まれていたというが、それよりも大きいのは生き方だろう。ロートレックが好んで描いたダンサーや歌手、娼婦たちは、いわば日陰の存在。売れっ子とはいえ、夜の世界で働く人たちは世間から差別的な目で見られていた。

 そんな世界にロートレックは全身ずぶ濡れになるくらい、全力で飛び込んだ。娼館に部屋を借り、酒と女に明け暮れた。ロートレックを生涯跡継ぎと認めなかった父親への反発や、足の骨折が原因で152cmしかなかった容姿への揶揄に対する反感もあったのだろう。ロートレックは夜の世界で働く人たちに共感し、心を許し合い、フラットな関係を築き上げた。

 ロートレックはそうしたモデルたちをそのまま正確に描いたわけではない。効果的な誇張や省略によって、人物の本質を描き出そうとした。だからロートレックの絵には個性や特徴が強調されている。たとえ顔が似ていなくても、「この足の上げ方はジャヌね」などと、ダンサーの名を特定できたという。


ロートレックが愛される理由

 本展ではロートレックの代名詞といえるポスターやリトグラフに加えて、素描作品をまとめて鑑賞することができる。版画とは異なり、直筆の“1点もの”である素描は、ロートレックが何を見て、何を感じたのかをダイレクトに知ることができる。ロートレックの本質を探るのに、これ以上ないマテリアルといえる。

 ロートレックはアルコール中毒と梅毒が悪化し、36歳で亡くなった。最後の言葉は父親に向けた「Le vieux con!(馬鹿な年寄りめ!)」という言葉だった。

 いま、ロートレックが愛されている理由は何か。ロートレックの作品には、媚びも、忖度も、あざとさもない。上からでも、下からでもない。自分の命を削りながら、自分の体で経験したものをフラットな心で描いたからだ。

筆者:川岸 徹

JBpress

「パリ」をもっと詳しく

「パリ」のニュース

「パリ」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ