パリ五輪・総合馬術団体で日本が銅メダル獲得、「バロン西」以来、92年ぶりの快挙を成し遂げられた理由
2024年8月6日(火)6時0分 JBpress
(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)
逆転劇で銅メダルを獲得した「中年男4人衆」
パリ五輪の前半戦、14歳、15歳というミドルティーンの日本の少女たちが躍動し、金メダルを獲得する姿を見ることは明るい未来を感じさせて喜ばしいことではありますが、年配者としては新しい種目になじめないこともあって、今ひとつ感動を共有できないさみしさもあります。
私にとって孫のような世代の若者の活躍以上に快哉を叫びたいのが、総合馬術団体のメダル獲得です。金色ではありませんが、若者たちに負けず、逆転劇で銅メダルを獲得した「中年男4人衆」に大きな拍手を送りたいですね。
さて、この馬術競技ですが、本場は欧州ということもあって、通常、日本国内で国際競技が開催されることも稀なら、国内大会がテレビ放映されることも稀です。国内競技人口が1万人にも満たない現状では仕方がないのかもしれませんが、その結果、競技の内容について熟知している人も少なく、メダル獲得だけに目が向きがちなのは少し寂しく思えます。
本場欧州で大人気、歴史ある馬術競技
動物との共同作業という点で馬術競技は近代五種競技とともに異色の競技ですが、五輪における歴史は古く、大正元年(1912)のストックホルム大会から現在とほぼ同様の競技スタイルで実施されています。英仏独を中心とした本場での人気が高いのもそれだけの歴史があるからでしょう。
次の五輪の活躍へとつなげるためにもここは競技について少し深掘りし、馬術競技にも関心を抱いていただくことにいたしましょう。馬券だけを目的にしている競馬ファンならともかく、馬のことも愛する競馬ファンならきっと馬術競技も好きになってくれることでしょう。
欧州では馬術大会がゴールデンタイムに放送されるほど人気が定着しているようですが、わが国では競馬以外に馬の映像を見るのはテレビ時代劇か昔の米国製西部劇くらいなので、馬術競技が定着するというのにはまだまだ時間がかかりそうです。
また、日本国内では競技大会があってもマスコミ報道はほとんどありません。「初老ジャパン」のメンバーが活動の足場を欧州に置いているのは仕方のないことかもしれません。それだけに長きにわたる彼らの地道な努力には頭が下がります。
この銅メダル獲得によって、馬術競技に対する世間の認知度と評価がいっそう高まり、競技人口が増していくことを祈ります。
教科書に掲載、「バロン西」というレジェンド
今回の馬術競技では92年ぶりのメダルということも話題になりましたが、昭和7年(1932)のロサンゼルス大会で西竹一(にし・たけいち。通称・バロン西)が金メダルに輝いて以来ということになります。
昭和生まれ世代にとって、教科書にも掲載されていた「バロン西と愛馬ウラヌスの物語」についてご存知の方も多いかとは思いますが、あらためてバロン西のことを調べてみると、教科書には書かれていなかったその破天荒な人生には唖然とするばかりです。
なにしろ現地ロサンゼルスではハリウッドの大スターたちと親交を持ち、彼らが来日した際には麻布の豪邸に招き、連日パーティーを開いて饗宴を催していたそうです。少し話がそれますが、その半生を紹介しましょう。中国茶の専売で巨万の富を得た父が西少年10歳のときに死亡、正妻の子ではありませんでしたが、兄たちが早世し、莫大な資産と男爵位(バロン)を相続したのが豪遊人生の始まりでした。
30歳で金メダルに輝きましたが、昭和11年のベルリン五輪後、帰国。軍務に戻り、昭和19年、戦地・硫黄島へ。翌年3月に戦死、42歳でした。クリント・イーストウッドが監督した『硫黄島からの手紙』では、伊原剛志がバロン西を演じています。
団体馬術、メダルへの道のり
さて、馬術競技には個人戦と団体戦があります。個人総合(馬場馬術、クロスカントリー、障害馬術)と団体総合(同)、そして個人種目別(同じ3種目を日にちを変えて実施)に分かれて競います。体操競技のスタイルと似ています。
3種類の競技を馬に行なわせることから「馬のトライアスロン」とも称されているようです。
今回、日本が銅メダルを獲得したのは、そのうちの団体総合で、3人ずつが3種目に出場し得点を競い合いました(減点の少ないほうが上位となる減点制です)。
1日目の「馬場馬術」では調教による「正確さと美しさ」を競い、2日目の「クロスカントリー」では耐久性を示し、3日目の「障害馬術」では余力の中でいかに減点を少なくしてハードルを飛越するか、その頑張り次第でメダルへの道が開けることになります。
日本チームは2日目のクロスカントリーで頑張った北島隆三選手の愛馬「セカティンカJRA」号がレース後の馬体チェック(ホース・インスペクション)で翌日の競技出場不適による出場保留(ホールディング)と判断され、田中利幸選手&愛馬「ジェファーソンJRA」号とメンバーチェンジを余儀なくされます。
人馬の交代にはペナルティーとして20点減点され、これによって日本チームはメダル圏内の3位から5位へと後退することになりましたが、3日目の最終競技「障害馬術」のひとり目として田中選手が出場し、メダルへの弾みをつける活躍をしてくれました。
なお、馬名のうしろに「JRA」と明記されているのは、JRA(日本中央競馬会)が海外から購入し、選手や所属している乗馬クラブ等に提供しているということでしょう。
競馬と馬術との連携がメダル獲得という相乗効果をもたらせば、情けは人のためならず、ということで競馬界もさらに評価されることになりそうです。
また、馬券収支がマイナスの競馬ファンは、銅メダル獲得に自分が貢献していると思えば少しは気が晴れる、ことはなさそうですが、応援する価値は十分にあるでしょう。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)
筆者:堀井 六郎