残業ゼロで年収600万円超、それでもプログラマーを辞めた理由

2021年9月25日(土)6時0分 キャリコネニュース

ここ数年、プログラマの仕事が大きな注目を集めています。

「パソコン一台でどこでも働ける」
「独立してフリーランスにもなれる」
「高い年収を稼ぐことができる」

などなど、キラキラしたイメージを抱いている方も多いでしょう。

かくいう私も、ニュージーランドという国でプログラマをやっていました。日本での職務経験も合わせると、IT業界で10年以上働いてきた計算になります。

特にニュージーランドで勤めていた会社は、控えめに言っても高待遇でした。例を挙げると、

●残業は基本的にゼロ
●年収600万円以上
●毎年20日の有給休暇を全消化
●ランチが無料
●コーヒーやコーラ、おやつ類も無料

という、これ以上ないほどの素晴らしい職場環境だったのです。ちなみにニュージーランドの年収の中央値は約436万円(56,160NZドル)なので、その1.3倍以上のお給料ということになります。

当時は家賃・水道・光熱費込で月約8万円の部屋に住んでおり、一人暮らしには十分すぎる額でした。ランチが無料なこともあって、年間120万円以上は余裕で貯金できていたほどです。

しかし私はこの会社で4年半働いたのち、自らプログラマの仕事を辞めました。現在の収入は5分の1以下にまで減っています。

いったいなぜ、高年収の恵まれた立場を捨てる決断に至ったのか。憧れの目で見られることの多いプログラマの現実を交えながら、お話していきましょう。

学び続ける好奇心がなくなってしまった


プログラマという仕事の大きな特徴に、技術の移り変わりがものすごく速いという点が挙げられます。

10年前と現在の開発技術を比べると、もはや全く別ものです。要求されるシステムは毎年どんどん複雑さを増し、仕事を効率化するためのテクノロジーも、それに合わせて急速に進化していきます。

これほど流行の変遷が激しい業界で働くには、常に最新の技術を勉強し続ける知的好奇心が不可欠なのです。学ぶことが苦でない、むしろ学ぶことが楽しいというマインドでなければ、プログラマは務まりません。

わたしも20代の頃は、技術の学習が楽しくて仕方ありませんでした。どんどん新しいことができるようになる達成感が気持ちよく、仕事帰りに書店に寄って技術書を買い漁ったり、専門のウェブサイトで勉強したりするのが日課になっていました。

しかし30歳を過ぎ、ニュージーランドで働きだした頃からでしょうか。少しずつ、技術への興味が薄れていくのを感じ始めたのです。毎日8時間の仕事を終えたら、スーパーで買い出しして夕食を作って、あとは映画を観たりゲームをしたりしてそのまま就寝という日が増えていきました。

勉強が生活の一部だった頃の見る影もありません。ニュージーランドという海外での生活で燃え尽きてしまったのか、単純に加齢による衰えなのか。理由は自分でもわからないのが正直なところです。

ともかくも30代も半ばをむかえた頃には、新しいテクノロジーに対する好奇心がすっかりなくなってしまったのでした。

一方で若手の新入社員たちは、最新の知識と高い学習意欲を持った状態で入社してきて、仕事でも高いパフォーマンスを発揮していきます。このままでは彼らに追い抜かれるばかりだと感じた私は、強い焦りを感じるようになりました。

「頑張らないと勉強できない」状態では生き残れない

もう一度自分の学習意欲に火をつけるため、私はいろいろな解決策を試してみました。

仕事の隙間時間に10分だけでも勉強する習慣を続けてみたり。データサイエンスや人工知能のオンラインコースを受講してみたり。勉強するには仲間がいたほうがいいだろうと、プログラミング学習をテーマにしたオンラインサロンを主催してみたりもしました。

しかし、どれもうまくいきませんでした。何かを勉強しようとしても、ちっとも頭に入ってこないのです。

教材を読んで課題もこなしてはみるのですが、何が正しくて何が間違っているのかすらわからない。そもそも学んでいる内容にわくわくしないし、勉強を始めて15分もすると眠気が襲ってきて、あくびが止まらなくなる。

昔から学校の成績はトップクラスだっただけに、「勉強ができない」という現実に大変ショックを受けました。日を追うごとに気分が塞ぎがちになり、仕事が手につかなくなっていくばかりでした。

しかし振り返ってみると、結局のところ自分が「頑張らないと勉強できない」状態にあったから、すべてうまくいかなかったのだと思います。

楽しくないことを続けたところで、大した成果が出るはずもありません。第一それでは、仕事も趣味もプログラミングという周りのエンジニアたちに太刀打ちできるわけがない。

もはや、プログラミングに対する自分の興味や情熱がなくなってしまったのは明らかでした。現実に抗うのを諦め、私は職を辞することにしたのです。

ニュージーランドでプログラマとして働き始めて4年半が経った、2020年7月末のことでした。

月収は5分の1になったが、今のほうが幸せ

プログラマを辞めた日から、早いもので一年以上が経ちました。現在はウェブライター業のほか、将棋教室の運営、ラベンダー畑の除草作業など、小さな仕事を請けながら慎ましく生活しています。

わたしの今の月収は、当時の5分の1しかありません。しかし、なんとかプログラマを続けようともがいていた頃に比べれば、何倍も幸せです。

陳腐な言い方になりますが、自分に素直になった結果なのでしょう。いくら給料が高くても、楽しいと思えない仕事を続けられるほど、人間の心は強くありません。

いまだに貯金を切り崩す生活ですが、いっときの経済的安心のために正社員に戻るよりは、精神的に安定した今の暮らしを続けようと思っています。

「パソコン一台でどこでも働ける」
「独立してフリーランスにもなれる」
「高い年収を稼ぐことができる」

いずれも、プログラマを表す言葉として決して間違いではないでしょう。しかし「好奇心と学習意欲が続く限り」という条件がその後ろにあることを認識していない人が多いように、わたしには感じられます。

そして、現在の好奇心と学習意欲がいつまで続くかなど、誰にもわからないのです。

【筆者プロフィール】はっしー
ニュージーランド在住のウェブライター。日本のIT業界の激務に疲れ果て、残業のない職場を求めて2014年にニュージーランドへ移住する。現地企業のプログラマーとして4年半勤めたのち退職。現在はライター業のほか、将棋教室運営、畑の草むしりなどで生計を立てている。

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