「一夫多妻カルト」の指導者ウォーレン・ジョセフの狂気!
2024年11月29日(金)23時0分 tocana
2006年5月、FBIは未成年者との性行為を狂ったように推奨したカルトリーダー、ウォーレン・ジェフスを「FBI10大最重要指名手配」。アメリカ西部に複数存在する一夫多妻主義者セクトの一つ、末日聖徒イエス・キリスト原理主義教会(FLDS)というカルトの指導者であり、未成年の子供たちとの性行為を推奨、自らも少女に性的暴行した容疑者ウォーレンを、FBIが徹底的に追うこととなった。
■宗教を悪用した男
もともとキリスト教は、発祥時、複数の神々を同時に崇拝する古代ローマ帝国から「カルト」という目で見られていた。「水の上を歩くことができ」「死から蘇った」カリスマ的リーダー、イエス・キリストの存在を、古代ローマの人々はうさんくさいという目で見たからだ。キリスト教と共に世界三大宗教である仏教とイスラム教も、最初はカルト視されていた。
しかし、非暴力的で平和を説くこれらの宗教は世界中の人々の心に平安をもたらし、数百年かけてカルトではなく立派な宗教だと認められるようになった。実際、宗教のほとんどは悪いものではない。
ただし、世間から認められたこれらの宗教と枝分かれしたとする新興宗教のリーダーという立場に上りつめた者の中には、まれにその立場と権力を利用し凶悪犯罪に手を染める者がいる。ウォーレンはまさにそんな男だった。
■一夫多妻のルーツ
アメリカでは重婚は禁じられており一夫多妻は認められていない。キリスト教も新約聖書では一夫一妻しか認めていないが、モルモン教として知られるFLDSの前身、末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS)主義者は1900年始めまで一夫多妻制だった。
1800年代のこと。LDSの設立者で「神に選ばれた預言者」ジョセフ・スミスは、「多妻結婚を実施するように命じる啓示を受けたこと」をきっかけに、モルモン教徒たちは一夫多妻制を始めた。その理由は主に次の3つ。
1. 旧約聖書では認められていた。預言を実現させるためこの制度を復旧させなければならない。
2. モルモン教徒の両親の下に生まれた子供はモルモン教徒になる。一夫多妻制だと信者の数をたやすく増やし信仰を広めることができる。
3. 死後、キリストが蘇り審判の日が訪れ暮らすことになる天国には3ランクあり、最高ランクのセレスティアル王国にもランクがある。女性が最も良い王国の中の王国に住むためにはモルモン教の信者と結婚していること、男性は最低でも3人の妻を娶ることが条件。だから一夫多妻制にしなければならない。モルモン教徒だけがセレスティアル王国に行くことができる——天国でもセックスができるというニュアンスで説くこともあった。
信者たちはこの3つの教義を守るため、人が住んでいないユタ州の僻地に住むようになった。
だが1904年、再び預言者が神から「もう一夫多妻を行う必要はない」と啓示を受け、一夫多妻制を終了した。この啓示以来、LDSでは一夫多妻を固く禁じている。
このように、モルモン教が一夫多妻性を正式な教義として取り入れていた時期は、実は50年ほどと短い。しかし、今でも「モルモン=一夫多妻制」だと思っているアメリカ人が多い。なぜなら、モルモン教から分派したFLDSが、今なお一夫多妻を続けているからだ。
一夫多妻をしている人は、現在、アメリカ西部に3万人ほど存在するとされている。成人した女性が、自ら納得してこの制度を受け入れている場合もあり、その場合は法律違反であるものの、逮捕されない逃げ道はあり、さほど問題ではない。
しかし、FLDSのセクトに生まれた女子は、12歳になると男性との結婚話を持ちかけられるようになる。その相手はうんと年上の男性信者。FLDSコミュニティに生まれた女子は14歳になるまでに、ウォーレンを含む年上の男性信者たちと結婚させられ性奉仕するよう強要されるのだ。「そうしないとお前は天国の中の天国へは行けない」「お前の母親や姉妹とももう会えなくなる」と脅されながら……。
自分の意思に反して幼くして結婚を強要され、「神のお告げだから」と“夫”に性行為を強要される。そんな日々に耐えられず、セクトを逃げ出し、警察にウォーレン率いるFDLSセクトを告発する多数の女子たちの訴えを受け、2006年5月、FBIはウォーレンを「FBI10大最重要指名手配」リストに入れたのだ。
しかし、ウォーレンを逮捕することはたやすいことではなかった。アリゾナ州とユタ州にまたがるFLDSセクトは東京ドーム約147個分ある1700エーカーもあり、信者は極端に閉鎖的なため、思うように捜査が進まなかったのだ。
■祖父の代からの筋金入り信者だったウォーレン
ウォーレンは1955年12月3日にカリフォルニア州サクラメントに誕生。父ルーロン・ジェフはアリゾナ州コロラドにセクトを持つFLDSのリーダーで、1986年から92歳で亡くなる2002年まで務めた。また、祖父にあたるデイヴィッド・ウィリアム・ワード・ジェフも一夫多妻生活を送っていたFLDS信者だった。ウォーレンはFLDS三世として生まれ、FLDSの筋金入りの信者として育った。
父親のルーロンは、少なくとも75人の妻を娶り、自分の血をひく子供を少なくとも65人産ませたとされている。ルーロンは29歳になる1938年までLDS信者として生活させられ、1930年から1932年までの2年間イギリスでモルモン教の布教活動も行なっている。
FLDSは神権者と呼ばれる選ばれた男性信者が権力を握るカルトであり、男子は外に出されることが多い。そして「外の女を娶ったら戻ってくることを許可する」と言われる。いとこ婚も頻繁に行っており、遺伝上の問題を起こりにくくする意味もあって、男には他で女を探し、女児をたくさん産ませるようにと推奨していたのだろう。
ルーロンはモルモン教徒の女性と結婚。これを受けて、1938年にデイヴィッドからFLDSに戻るよう命じられる。ルーロンは迷わずFLDSに戻り、一夫多妻を始めた。LDS信者時代に結婚した最初の妻は一夫多妻に猛反発して離婚して出て行ったが、ルーロンは考えを変えずFLDS信者としての道を極めるようになったのだ。
ルーロンは1945年春にユタ州ソルトレイク・シティに移住した。1986年、ルーロンは伝道者の中でも一番ランクの高いリーダー的存在に就任。14歳、15歳という未成年妻も娶るようになったと伝えられる。
ちなみに、アリゾナ州では1953年7月に36人の男性が重婚罪で逮捕され、86人の女性、263人の子供たちが保護されるという事件があった。が、2年も経つとほぼ全員がセクトに戻り再びFLDSの生活を送るようになったと伝えられている。ルーロンもユタ州に移住したことで逮捕を逃れていた。
ルーロンがリーダーになると、数多くいる息子の中でもお気に入りだったウォーレンは、父を支えるため、教会リーダーのカウンセラーという重要なポジションに就いた。ルーロンが脳卒中で倒れて寝たきりになったときは、「代弁者」としてルーロンの代理としての役割を果たすようになった。
■父の死後、セクトのリーダーに
ウォーレンは、広大な敷地のセクトの中にあるFLDS私立校「ALTAアカデミー」の校長を長年務めていた。もともと堅物な男だったウォーレンは、父の死を受けて預言者からリーダーへと昇格すると、コミュニティを拡大させていった。「家にはテレビは置かない。インターネットも使用禁止」という規則を作り、モダン化していた女性や子供たちが着る服や髪型を80年代風に戻すよう命じた。子供達が遊ぶ玩具もウォーレン自らチェックを入れた。
2002年、FLDSのリーダーへと正式に昇格したウォーレンにはすでに複数の妻がいたが、父親の未亡人たちに対しても「自分の妻になるように」と言い渡した。これまでのFLDSの教義にはなかったことだったため、驚いてセクトを逃げ出したり、拒否したりする未亡人もいたが、彼女たちに対しては「2度と結婚することは許さない」と命じた。
ウォーレンはFLDS責任者として、14歳を過ぎた少女たちと男性信者との結婚を積極的に仲介するようになった。自分こそ選ばれしリーダーで預言者だと自負していたウォーレンのワンマンぶりに耐えられなくなった者は多かった。ウォーレンは2004年、自分に反発心を抱くコロラド州の信者20名を破門処分にし、残された彼らの妻たちは別のFLDS信者と再婚させた。いとこ同士の結婚も平気で行わせた。
しかし2004年末、破門にさせられたウォーレンの甥にあたるブレント・ジェフという男性が訴訟を起こし、「ウォーレンに性的暴行されたことがある」と暴露したことで事態は一変する。彼の訴訟がきっかけで、無理やり結婚させられ性行為を強要されていた未成年たちも続々告発を始めた。ウォーレンはセクトにこもるようになったが、その間も告発は増え続け、FBIはついにウォーレンを指名手配したのだった。
■ウォーレンの逮捕
2006年8月28日、ネバダ州ラスベガス市警察は抜き打ちで走行している車を停車させ、車内点検を行なっていた。この抜き打ち点検にウォーレンはひっかかり、逮捕された。逮捕時、ウォーレンは5万ドル(約550万円)の現金、いくつもの携帯電話、変装用のウィッグやサングラスまで所持していた。つまり逃げる気まんまんだったのである。
ウォーレンは公判が始まる前、収容されていた拘置所で首を吊り自殺未遂を図ったが失敗。2007年9月、ユタ州の裁判では2件の強姦を共謀したとして有罪となり禁錮10年から終身刑という、思いがけず軽い判決を受けた。
2008年4月になり、テキサス州エルロラドのFLDS牧場で生活していた信者が「強姦や虐待が日常的に行われている」と警察に通報。未成年の幼な妻を含む468人の子供たちが保護され、130人の女性たちが子供たちと一緒にいるためにセクトを後にした。残った母親たちは「子供たちを違法に引き離し保護した」と訴え、5月に違法だという判決が下るなど、セクトの子供の保護をめぐってのごたごたがしばらく続いた。
そして2008年7月、ウォーレンはテキサスの大陪審からFLDSの男性信者と共に重婚、性的暴行罪で起訴された。2010年6月、未成年との性行為でウォーレンを起訴していたアリゾナ州の裁判官はテキサス州の裁判を優先させるためにと起訴を取り下げ、7月にユタ州の裁判所も「2007年の判決は選抜された陪審員に偏りがあった」として判決を無効にした。
2010年11月、ウォーレンはユタ州からテキサス州へと移動し、重婚と児童への性的暴行罪での裁判を受けることに。ウォーレンは無罪を主張し、自分で自分の弁護もしたが、2011年8月に有罪判決を受け、14歳以下への性的暴行で終身刑、17歳以下への性的暴行で禁錮20年の重い判決を受けた。
裁判所から出てきて警察車両に乗るウォーレンは、待ち構えていた人々から「お前はまだ自分が預言者だと思ってるのか!」と罵声を浴びた。しかし、FLDSセクトに残った信者たちは彼のことを「みんなの罪を背負ってくれた現代のイエス・キリスト」だとますます崇め、ウォーレンも面会に訪れた信者たちに説教を施すなどやりたい放題だった。
ウォーレンが支配していたFLDSセクトだが、敷地のほとんどはテキサス州に没収され、2016年には11人の信者たちがマネーロンダリングなどで起訴されるなどボロボロになっている。2017年9月には結婚を強要した未成年の女性たちに1600万ドル(約17億6000万円)の慰謝料を支払う判決が出たが、果たしてウォーレンに支払い能力があるのかどうかは不明だ。
FLDSのセクトはウォーレンが支配していたセクトだけではない。他にも多くのセクトが存在しており、場所によっては生理が始まった時期や12歳になったら結婚させられる少女もいると伝えられている。隔離された敷地で共同生活を送っている信者たちを脱退させることは容易なことではない。「少女が老人と結婚させられセックスさせられるのはおかしい」「近親婚が増え奇形児も増えている現状をどうにかしなければならない」と、セクトから逃げだした元信者たちが結束し救出活動を進めているが、脱出してもセクトの外での暮らしに慣れることができず、結局セクトに戻る者も少なくないという。
ウォーレンは刑務所に放り込むことができたが、FLDSの問題はあまりにも大き過ぎて、当局は今も頭を悩ませ続けている。
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※当記事は2018年の記事を再編集して掲載しています。