彬子さま『オールナイトニッポン』ご出演も徹底して避けられた「断絶母・信子さまの話題」

2025年4月22日(火)17時55分 女性自身

「今から50年前、1975年にわたくしの父・寛仁親王殿下もニッポン放送で『オールナイトニッポン』を担当されたことがあります。50年の時を経て、親子でパーソナリティを務めることになりました」


こう語られたのは、三笠宮家の彬子さま。4月21日に放送されたニッポン放送開局70周年特別番組『彬子女王のオールナイトニッポンPremium』に、パーソナリティとして出演されたのだ。


親交のある歌舞伎俳優・中村勘九郎と落語家・立川志の八をゲストに迎え、日常生活やラグビー、高校野球、日本の伝統文化など多岐にわたってトークをご披露。事前収録された番組では、事前に募っていた一般リスナーからの質問に彬子さまがお答えになる場面もあった。


「彬子さまはどのような暮らしを送っているかについても、率直に語られていました。研究活動のために生活拠点を京都に置かれたこと、コンビニや100円ショップに行かれることも明かされていました。キッチングッズは100円ショップで揃えられていることが多く、家事もご自身でされているそうです。


食事は主に和食を作られるそうですが、イギリス留学中によく作っていたキーマカレーは『みんな褒めてくれる』と話されていました。漫画喫茶にも行かれるといい、一般の人々と変わらない生活スタイルに親近感を抱いたリスナーも多かったようです」(皇室担当記者)


番組では「父は“学習院大学スキー部卒業”とおっしゃって憚らない方でしたから」と、寛仁親王のエピソードを挟まれることもあった彬子さま。終盤では、ニッポン放送に残る寛仁親王の貴重な肉声もご紹介。それは、寛仁親王が“唯一、娘たちと一緒に歌える歌”として、童謡『おもちゃのチャチャチャ』にまつわるエピソードを披露されている内容だった。


スキー指導をされていた寛仁親王は、彬子さまが幼い頃から一緒にスキー場へ足を運ばれていたという。紹介された秘蔵音源のなかで、寛仁親王は親子の思い出をこう語られていた。


「いつも母親が一所懸命つき合ってますから、僕は忙しいからね、あんまり子供と接触する機会ないでしょ。で、スキー場だとスキー教師として娘を教えてるっていう時間帯があって、そういう時に話題がないから、一緒にハモってた」


静かに耳を傾けられていた彬子さまは、「父はがんを何度も患われまして、声を失われてからもう随分と長かったので、父のお若い、お元気な声というのを久しぶりに伺いまして、とても胸に迫るものがございました」としんみり語られていたが——。


「彬子さまは、放送された番組の中で、お母様・信子さまについて語られることはありませんでした」(前出・皇室担当記者)


三笠宮家では信子さまと、彬子さま・瑶子さまの母娘断絶が20年以上に及んでいる。


「信子さまは’04年に寛仁親王邸を“病気療養”という理由で出られましたが、寛仁さまのアルコール依存症の治療方針を巡る対立や、殿下による家庭内暴力が原因だったと報じられてきました。ですが、寬仁さまを敬愛されていたお嬢さま方は、信子さまに“病気の父を置いて家を出るのは許せない”というお気持ちを抱かれたと伺っています。


’12年に寬仁さまが危篤状態になられた際には、信子さまはお見舞いのためにたびたび病院に足を運ばれましたが、最後までご夫妻の対面はかないませんでした。さらにここ数年は、彬子さまと瑶子さまの間ですれ違いも生じており、三つ巴の様相を呈しているのです」(前出・皇室担当記者)


近年ではメディア出演が急増している彬子さま。昨年9月には『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演され、同年11月にも『話題の肖像 〜ニュースなあの人を追ってみた〜 あるプリンセスの素顔』(NHK総合)で密着取材を受けられていた。しかし、どの番組でも信子さまに触れられることはなかった。


「彬子さまはメディア出演にあたっては、“母の写真や映像はいっさい使わないでほしい”と必ず各社に要望されているとも聞きます。昨年11月に三笠宮妃百合子さまが薨去された際、喪主を務められたのは彬子さまでした。信子さまは三笠宮邸へ弔問に訪れましたが、玄関で宮務官らに労いをお伝えになっただけでした。百合子さまのご遺体には対面しておられず、“玄関払い”されていたそうです。信子さまは諸行事にも出席なさらず、母娘の溝は改めて露呈するかたちとなりました」(前出・皇室担当記者)


“皇室のスポークスマン”として人気が高まっている彬子さまだが、信子さまについて語られる日はやってくるだろうか。

女性自身

「ナイト」をもっと詳しく

「ナイト」のニュース

「ナイト」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ