土日は介護ヘルパーの入館禁止、管理人が警察沙汰を起こしたことも…「渋谷の北朝鮮」と呼ばれたマンションの“とんでもない独裁体制”

2025年4月26日(土)12時20分 文春オンライン

〈 “渋谷の北朝鮮”と呼ばれた“とんでもないマンション”で突然、管理費約1.7倍も値上げ→住民の怒り爆発…「管理組合vs.住民」の闘争が始まった経緯 〉から続く


 新宿駅からわずか2駅、最寄り駅から徒歩4分。都心の人気のヴィンテージマンションシリーズにもかかわらず、相場に比べて格段に安価なマンションがあった。その理由は、管理組合の理事たちによる30年近い“独裁的な管理”と、そこで強制される大量の謎ルールにあった。


 住民たちはマンションの自治を取り戻すべく立ち上がり、無事に“政権交代”を実現。現在は資産価値も上昇している。


 いったいそのマンションには、どんなルールがあったのか。管理組合と闘った住民たちの結末とは——。ノンフィクションライター・栗田シメイ氏の著書『 ルポ 秀和幡ヶ谷レジデンス 』(毎日新聞出版)より一部を抜粋・再編集して紹介する。(全2回の1回目/ 2回目 に続く)


◆◆◆


あまりにも違う…系列マンションの理事長が感じた「違和感」


 幡ヶ谷の話は、別の秀和シリーズの住民の耳にも入っていた。


 直線距離で2kmと離れていない、秀和参宮橋(さんぐうばし)レジデンス(渋谷区代々木)だ。


 居住者の1人、石田美家子(75)は、秀和参宮橋レジデンスを購入して約20年が経つ。代々木4丁目の同じ町内に住んでいたこともあり、花と緑に彩られた白壁のマンションに長年惹かれていた。偶然売りに出ているのを確認すると、内見もせずに50平米の1室を即時購入した。


 今でもその判断は間違っていなかった、と石田は考えている。その理由の1つが、何よりも住み心地の良さであった。


 石田に屋上に案内してもらうと、東京の街並が一望できた。神宮の花火大会などの祭事には屋上が住人に開放されるなど、区分所有者の交流も深かった、と石田は明かす。


 そんな空気感を好み、マンション自治にも積極的に参加した。推薦されて理事を2期、理事長を1期務めた。


 もう1つの理由が、資産としての価値だ。購入時と比較して、現在の市場価格は数百万円単位で上昇している。これは昨今の東京における不動産バブルの影響も大きい。特に渋谷区代々木のような一等地では、築60年近いマンションでも値上がり傾向にあった。ところが、なぜか近所の秀和幡ヶ谷は資産価値が下がっていた。そんな状況を石田も多少は知っていたが、そこまで気に留めることはなかったという。


「幡ヶ谷の管理がおかしい」「トラブルが頻発している」と話を聞いて…


 しかし、ある日出入り業者を通して幡ヶ谷の状況を確認する機会があった。「管理会社が幡ヶ谷と参宮橋とを兼務している時期があったんです。そこで管理人から、幡ヶ谷の管理がおかしい、と聞きました。人の出入りを異常に厳しくチェックしているとか、不動産や工事などの出入り業者とのトラブルが頻発している、と」


 理事長を務めていた関係もあり、石田には幡ヶ谷に住む知人がいた。連絡をとってみると、やはり管理人から聞いたように苦しんでいると、か細い声で打ち明けられた。その実情を自分の目で確かめるべく幡ヶ谷まで足を運んだが、花や緑も少なく、無機質な印象を受けた。何よりもマンションが持つ“温度”のようなものが感じられず、そのことは、どこか石田の気持ちを沈ませた。


 理事長として熱心に活動を続けてきた石田だからこそ、幡ヶ谷の状況は長らく心の奥底に引っかかっていた。しかし、区分所有者でもない人間にできることがないことも理解していた。


運命を動かす出会い


 ところが、偶然にも幡ヶ谷の区分所有者が参宮橋に居住していることを知る。それが秀和シリーズの熱烈なファンであり、21年間もの間、賃貸で参宮橋に居住していた手島香納芽だった。


 石田と手島は、もともとは同じマンションの住人同士の域を出る付き合いはなかったという。時折敷地内で出会うと世間話を交わす程度の間柄だった。そんな関係に変化が生まれたのは、手島が秀和幡ヶ谷のマンションを所有していると知ったことがきっかけだった。石田は手島に幡ヶ谷の状況を説明した。深い意図はなかった。だが、この時交わした何気ない会話が、秀和幡ヶ谷レジデンスの運命を動かすことになる。


 手島が秀和幡ヶ谷レジデンスを購入したのは2003年。60平米以上の広さ、全室リフォーム、かつ3000万円代前半という価格は掘出し物件に思えた。不動産屋からはいくつか提案がある中、渋る夫の反対も押し切り、手島の強い意志で購入に至ったという。同じマンションシリーズである参宮橋で過ごした“良き記憶”も後押しした。


 当初は購入後すぐに幡ヶ谷に移り住む予定だったが、一人娘の住環境を重視して参宮橋に住み続けた。幡ヶ谷は賃貸オーナーとして保有していた。つまり、外部オーナーとして幡ヶ谷の状況を深く知る機会は限られていた。総会の案内にも目を通すこともなければ、参加を検討したことも一度もなかった。


 それでも、一度借り主から管理組合との間で小競り合いがあったことは耳にしていた。石田から聞いた話も気がかりだった。18年2月。手島は秀和幡ヶ谷レジデンスの総会への参加を決めた。


救急隊がマンションに入れず…強まる管理組合の独裁


 秀和幡ヶ谷の管理組合は、「友の会」なきあと、一層独裁化の傾向が強まっていた。今井は、その被害を直接的に受けていた。


 夜中に突然心臓に強い痛みを感じ、動悸が激しくなり、救急車を呼んだことがある。だが、いつまで経っても救急隊はやって来ない。不審に思ったが、その場を動くことができなかった。


 ずいぶん経ってから、ようやく救急隊が今井の部屋に到着した。そこで、管理室への連絡手段がなく、救急隊がマンション内に入れなかったことを知った。偶然帰宅した住民のタッチキーで救急隊は入館できたが、もし帰宅のタイミングが合わなければ、命に関わる事態になっていたかもしれない。


 後日、今井は再発防止のために管理室に繋がるインターホンの設置を提案した。だが、管理組合からは「ピーピー鳴らすいたずらが増えるだけ。不要」と一蹴された。



秀和幡ヶ谷レジデンスの入り口(写真提供=毎日新聞出版)


土日祝日は介護ヘルパーの入館禁止


 こんな話もある。今井は、足腰の問題から介護ヘルパーを頼んでいたが、17年頃を境に急に訪問者などの立ち入りが厳しくなっていったという。


 “後付け”のルールは、ヘルパーや宅配業者にも適用された。ヘルパーは平日17時以降と、土日祝日は入館禁止だと宣言された。当時の今井は、ヘルパーがいないと買い物もできないため、必死に交渉した。それでも、組合は「ルールですから」の一点張りだった。今井は、長年住んできて、そんなルールは見たことも聞いたこともなかった。


 2011年の東日本大震災後にも一悶着があった。耐震性に不安を抱えていた今井や一部の住人が、理事の一人に耐震補強の必要性を訴えたことがある。しかし、「どれだけ金がかかるか分かっているんですか」「あなたにそのお金が払えるんですか?」とまるで相手にされなかった。食い下がり、せめて理事会で議論してほしい、と伝えたが意に介す様子はなかったという。


 住み込みの管理人として働いていた夫婦が、今井に相談を持ちかけてきたこともあった。 


 そこで、今井は改めて理事会のいびつさを痛感した。


「朝の4時に起きて掃除をして、夜は理事長が帰宅するまで待っていないと怒られるというんです。住み込みとはいえ、毎日ヘトヘトになるほどの働き方を強いられている、と。労働基準監督署にも駆け込んだが、理事長が辞めさせてくれない、と困り果てた表情で訴えていたのです。そして、親族が区分所有者であるため、『辞めると家族がイジメられるから辞められない』と私に打ち明けていた。驚いたのは、そこまで尽くしてきた管理人夫婦の退職理由として、理事会の報告書の中では『夫婦喧嘩が絶えなかった』という記載があったことでした」


 この夫婦は10年ほど前に管理人を辞している。その後、同じく住み込みの管理人が駐在することになった。この管理人の大山透氏(仮名)は、後に住民や出入り業者と何度も警察沙汰のトラブルを起こすことになる……。


「副理事長が近くでは有名な病院の小児科医」多くの住民が理事会の矛盾を理解しないワケ


 理事会は2017年からは、一時的な自主管理へ移行している。多くのマンションは、 管理全般をマンション管理を専門とする会社に委託するのが一般的だ。秀和幡ヶ谷レジデンスでも、形式上は管理会社は置いていたが、主に管理組合の自主管理が行われるようになっていた。このことも、理事たちの“独裁”に拍車をかける要因となっていた。


 この頃になると、吉野理事長は住民の声に耳を傾ける素振りすら見せなくなっていた。 


 だからこそ、今井は理事会の矛盾を必死に訴え続けてきた面もある。ところが、大多数の住民は今井の意見を聞き入れない。その背景については複雑な表情を滲ませながら、こう説明した。


「副理事長が近くでは有名な病院の小児科医でした。彼が理事長の行動をある程度制限していた面もあり、それが住民の信頼にも繋がっていた。『偉い先生がそんなめちゃくちゃを許すわけないじゃない』というふうに、私が何を言っても届かないわけです。事情を知らない多くの住民からすれば、社会的な地位があるお医者さんと、高齢女性が言うことの信頼性に違いがありました」


 住民からの理解も得られず、むしろ自分が悪者のように扱われる——。桜井も今井も、理事会に対して立ち向かう気力が次第に削がれていった。その一方で、ほんのわずかではあったが、こんな祈りにも似た希望も失ってはいなかった。


「今は無駄でも、活動を続けることで強力な味方がいつか現れるのではないか」

〈 “渋谷の北朝鮮”と呼ばれたマンションが直面した現実「相場の30〜40%に設定しても買い手がつかない」渋谷の一等地なのにマンションが売れない事情とは 〉へ続く


(栗田 シメイ/Webオリジナル(外部転載))

文春オンライン

「マンション」をもっと詳しく

「マンション」のニュース

「マンション」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ