かつて参議院92人を誇った「緑風会」 保守系無所属の最大会派のち消滅、残された課題
2025年5月3日(土)16時0分 J-CASTニュース
参院選の季節になると「緑風会」のことを思い出す。いまから80年前。敗戦直後に貴族院から生まれ変わった参議院にできた保守系無所属議員による最大会派だ。
GHQの憲法改正案は「一院制」だった
「緑風会十八年史」によると、GHQ(連合軍総司令部)が日本政府に示した憲法改正案では、国会は「一院制」、つまり貴族院を廃止するだけとされていた。なぜか。
「日本には米国のように州がない。だから上院を設ける必要がない。一院の方がシンプルでいい」。驚いた日本側は、あわてて反論した。「大国で一院制を採用している国はほとんどない。二院制度はチェックするためで、多数党がやったことを冷静に反省するために採用している」。憲法改正では、第一章の「象徴天皇制」と第九条の「戦争放棄」が議論の焦点とされていた陰で、一院制をめぐるこんな議論があったのだ。
ただ、国会のかたちについて米側には「民選」であれば、ほかにこだわりはなかったようで、「二院制」をあっさり認めた。逆に、同じ「民選」のなかで、参議院を衆議院とどのように異なる選挙制度や体制とするのか。具体的な設計が日本側に問われることになった。この後の議論で、参議院は「職能代表」で選挙されるべきとの考えが前面に出たが、結果として「全国区制度」(定数100で3年ごとに改選)が導入された。
保守政党合同の動き強まるにつれ離脱者相次ぐ
1947(昭和22)年4月に初めて実施された参院選挙(定数250)の当選者は、無所属が108人と圧倒的多数(第一党の日本社会党は47)だった。ほぼ同時に行われた衆院選(定数466)では、日本社会党143、日本自由党131、民主党126で、立ち上がったばかりの参議院にはまだ、政党の波が及んでいなかった。
そうしたなか、保守系無所属議員を中心に貴族院からの転身組も合わせ「緑風会」は92人の最大会派となった。かろうじて戦災を免れたものの保護が急務だった「文化財保護法」を議員立法する。「破壊活動防止法案」に修正を加えるなど、独自の動きを見せた。ただ「党議拘束」がなかったので、自由な意見を言える半面、他党との駆け引きにはほぼ、縁がなかった。
その後の選挙の当選者は10人前後にとどまったうえ、保守政党の合同の動きが1955年の自由民主党結成前後に強まるにつれ、会派の離脱者が相次ぎ、緑風会の議席は48(53年)29(56年)と減る一方。1965年には解散、消滅した。
一方で、参院設立時にGHQから投げかけられた課題「第二院の独自性」は、戦後80年経った今も残されている。当時、独自性とされた「全国区」は選挙にカネがかかり過ぎるとして45年前を最後に廃止され、政党による比例代表制に代わった。やはり「独自性」のカギは選挙制度の変更にあるのか。
今回もいつもと変わらない、政党による候補者擁立作業が続いている。「80年前のGHQの宿題」に答える動きは、いつになったら出てくるのか。
(ジャーナリスト 菅沼栄一郎)