ニッポン放送・亀渕昭信元社長の日記で初めて明かされる「フジテレビ日枝久氏」との熾烈な攻防
2025年5月10日(土)7時0分 文春オンライン
ライブドアとフジテレビがニッポン放送の買収をめぐって激突してから20年が経つ。
その節目の年にニッポン放送の社長だった亀渕昭信氏が当時綴っていた日記が公開された(「文藝春秋」2025年6月号、「 文藝春秋PLUS 」)。
“日記”の公開に踏み切った理由
ライブドアとの攻防の裏側でいったい何が起きていたのか? 貴重な時代の証言だ。
「以前からその記録を私に発表してほしい、という声がありました。関係者の多くが物故していく中、何とかやらねばと思いつづけていました。そこで昨年、『 文藝春秋 』から依頼を受け、20年を迎える前に意を決し、当時の日記を元にあの騒動の記録を残すことにしました」

と亀渕氏は、公開に踏み切った理由を語る。
亀渕氏の「最初の敵」は日枝氏だった
ホリエモンこと堀江貴文氏が率いるライブドアがニッポン放送の約30%の株を取得したのは、2005年2月8日早朝。ここからあの騒動の幕が上がるが、日記からは実は亀渕氏の最初の敵は、当時のフジテレビ会長・日枝久氏だったことがわかる。
亀渕氏がニッポン放送に入社したのは、1964年。番組制作、ディスクジョッキーなどを経て、1999年にニッポン放送社長に就任した。当時、ニッポン放送はフジテレビ、ポニーキャニオン、産経新聞、横浜ベイスターズ、扶桑社、サンケイビルなどを擁するフジサンケイグループのトップに君臨していた。つまり、ニッポン放送が約32%の株を持つフジテレビは子会社のひとつ。ニッポン放送株の過半数を手中に収めれば、フジテレビだけでなく、フジサンケイグループ全体を掌握できる状況だった。
日枝会長は、この“資本のねじれ”を一刻も早く解消しなければならない、と考えていた。そのため、日枝会長はことあるごとにTOB(株式公開買い付け)によるニッポン放送の子会社化を要請した。これはニッポン放送とフジの親子関係を逆転させることを意味する。しかし、これに最後まで抵抗したのが、亀渕氏だった。
ラジオとテレビの共存共栄が理想
なぜ、亀渕氏は「資本の論理」からすれば、当然にも見える子会社化を頑なに受け容れなかったのか。
亀渕氏はその理由を次のように回想している。
「鹿内春雄さんが提示していた“ラジオとテレビが共存共栄するメディア像”に惹かれていました。サラリーマン社長ながらメディアに関わる者として、業績云々ではなく互いが放送媒体として並行する在り方が理想だと思っていたんです。それは世間への影響力はテレビが大きい、商売もデカい。けれどラジオというものは細々としているようでオールナイトニッポンみたいにブームの火付け役になる力があったり、阪神淡路大震災の時もそうでしたが、災害時の緊急放送でリスナーに頼られる存在なんです。だから『資本のねじれを解消するのは同意するけど、だったらうまい関係を再構築したいよね』と望んでいました」
しかし、この思いは遂げられず、結局、亀渕氏は苦渋の末、フジテレビによるニッポン放送子会社化を受け入れる——。だが、TOBが始まって3週間後、ホリエモンが突如現れた。
愛する会社が次から次へと危機に襲われる。そのとき、亀渕氏は何を守ろうとしたのか? 日記はそのことを浮かび上がらせる。
日記は、短期集中連載で6月号から3号続けて「文藝春秋」、および「 文藝春秋PLUS 」に掲載される予定だ。
(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2025年6月号)