なぜ「セクシー田中さん」の改変プロセスを説明しないのか…日テレの「冷たすぎるコメント」がもつ本当の意味

2024年2月8日(木)9時15分 プレジデント社

日本テレビ(東京都港区、2021年2月5日撮影) - 写真=時事通信フォト

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人気ドラマ「セクシー田中さん」(日本テレビ系)の原作者・芦原妃名子さんの急逝をめぐって、日本テレビの出したコメントが批判を集めている。元関西テレビ社員で、神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「日テレの薄情なコメントは、危機管理の点では100点満点だが、少しでも血の通った対応はできないのだろうか」という——。
写真=時事通信フォト
日本テレビ(東京都港区、2021年2月5日撮影) - 写真=時事通信フォト

■「セクシー田中さん」のサイトに出されたコメント


昨年放送されたテレビドラマ「セクシー田中さん」(日本テレビ系)の原作者で漫画家の芦原妃名子さんの急逝が報じられた。芦原さんが亡くなるまでに至るドラマ化をめぐるトラブルについては、業界全体を巻き込む議論に発展した。


日本テレビは、2024年2月5日時点で2つのコメントを出している。


ひとつは、テレビドラマ「セクシー田中さん」のサイトにある、次のものである。


芦原妃名子さんの訃報に接し、哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。


2023年10月期の日曜ドラマ「セクシー田中さん」につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。


本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております。


このコメントについては、テレビ東京でドラマ・プロデューサーを長く務めた、桜美林大学教授の田淵俊彦氏が、「自己防衛としか思えない言葉が並んでいた」と述べるように、多くの批判が集まった。


■日テレの対応は「冷たすぎる」


そのためなのか、日本テレビは、会社全体のウェブサイトの最も目立つ場所(トップ)に、こう記している。


芦原妃名子さんの訃報に接し、哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。


日本テレビとして、大変重く受け止めております。


ドラマ「セクシー田中さん」は、日本テレビの責任において制作および放送を行ったもので、関係者個人へのSNS等での誹謗(ひぼう)中傷などはやめていただくよう、切にお願い申し上げます。


2つ目のコメントは、関係者=脚本家やプロデューサーが「炎上」している事態を受けてのものであり、会社としての責任を強調しているのは、批判の矛先が同社に向けられているからと見られる。


2つのコメントから、どんな印象を持つだろうか。


冷たすぎる。それが、私の感情である。


ではなぜ、日本テレビは、こうしたコメントを出したのか。いや、出さざるを得なかったのか。それを考えねばならない。


■文面から伺える「社内で協議を重ねた跡」


組織を守るため、というのが、まっさきに挙げられよう。


日本テレビは、会社ぐるみで芦原さんの命を奪いたかったわけでは、もちろんない。奪おうとしたのでもない。


亡くなった理由は、芦原さんご本人にも完全に説明するのは難しいのかもしれない。


日本テレビは、たしかに、どちらのコメントでも、まっさきに芦原さんに「哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。」と述べている。その突然の逝去にあたっての態度には、過不足がない。


社内で協議を重ねた跡が見えるし、弁護士をはじめとするリーガルチェックも受けたに違いない。亡くなったのは会社の責任です、とは言えないし、そう考えていないとみられる。


1つめのコメントでは、芦原さんの意見を踏まえるだけではなく、相談を続けたこと、さらには、最後のOKをもらえたことを、事実として伝えている。原作者の意向や立場を最大限に尊重した上で、許しも得ていた。その点を明らかにしている。


「セクシー田中さん」日本テレビ公式ホームページより

それだけではない。


末尾では、芦原さんへの謝意を示している。


追悼の言葉と、事実確認、最後には礼を尽くす。この流れは、まったくもって正しい。正しすぎるほどに正しい。組織に揺らぎをもたらさないためには、これ以外の答えはない。


だからこそ問題なのである。


■「危機管理」の観点では完璧だったが…


日本テレビは、芦原さんが亡くなってから、一度も公式に記者会見を開いていない。先に引用した2つのコメント以外には、何も発表していない。


週刊誌やネットメディアに出ている情報は少ない。テレビ局には、新聞記者が常に出入りしているにもかかわらず、社員や関係者の声は、ほとんど報じられていない。


箝口令が敷かれているのだろうし、内部からのリークによって「関係者個人へのSNS等での誹謗中傷」が起きるよりは、救いがある。


企業として欠点のないコメントを出し、情報の出所を絞り、内部を統制しながら、外に対応していく。その姿勢は、危機管理の点では100点満点と言えよう。


感情がないわけでもない。文章の上では「哀悼の意を表」しているからである。


「自分の身内が同じ目にあったら、どうするのか」、との批判にすら応えられる。組織を守りながら、人としての思いも見せているではないか。そんな反論も準備してある。


■日テレには「同情を禁じ得ない」


多くの社員を抱え、組織を続ける上で、真相が明らかになっていない時点で、安易に責任を認めるほうが、かえって無責任である。そうした理屈も成り立つし、実際、日テレが、もし謝るとしても、誰の、何に対して、どうするのか。


少なくとも芦原さん自身が、日テレどころか、誰も名指しで非難していない以上、謝罪のしようがない、との考え方は、ありえる。


ここで、日テレを擁護したいわけでは、まったくない。


あるいは逆に、日テレに向かって「人としてどうなのか」といった、道徳の面で異を唱えたいわけではないし、私の抱いた「冷たすぎる」との思いは、感想にすぎない。


それよりも、完璧すぎるコメントを出さざるを得ない日テレに、逆に、同情を禁じ得ないのである。同社は、芦原さんの死に対してだけではなく、今回の事態に対して、いかなる感情も持つ余地がないからである。


日本テレビ公式ホームページより

■ネット社会における「組織の限界」


このドラマにかかわった人だけではなく、日本テレビで、あるいは、日本テレビと働く人の誰も、芦原さんの死を望んだわけではない。それどころか、こうした最悪の結末を招くなどとは、夢にも思っていなかったのではないか。


できることなら、ひとりの人間の思いを率直に打ち明けたい。芦原さんに向かって謝りたい。そう願う人も少なくないのではないか。


しかし、そういった行動は、誰にも許されない。


もし、ひとりひとりが自由にモノを言ったり、動いたりすれば、その時点で、組織は崩れてしまうからである。正確に言えば、崩れてしまうのではないかと、警戒しているからである。


その背景には、まさに日テレが2つめのコメントで懸念した「関係者個人へのSNS等での誹謗中傷」がある。


日テレの関係者の誰かが、実名にせよ匿名にせよ、あるいは、庇うにせよ非難するにせよ、その発言をした途端に、猛烈な誹謗中傷に晒されるだろう。実名はもちろんのこと、匿名であれば特定されるまで追いかけられるし、肩を持てば社畜呼ばわりされ、批判すれば無責任だと言われかねない。


■「テラスハウス」をめぐるフジテレビの対応


どんな立場で、何を言おうとも、どこからでも矢が飛んでくる。それが「SNSでの誹謗中傷」にほかならない。女子プロレスラー木村花さんの死を忘れてはならない。彼女は、フジテレビが制作したリアリティ番組「テラスハウス」をめぐってSNSで激烈な誹謗中傷に見舞われたからである。


あのときも、フジテレビの対応は冷たすぎた。


「冷たすぎる対応」しかできなかった理由は、今回と同じである。ひとたび責任を認めてしまえば、組織を維持できない。そんな恐怖心がフジテレビにも、今回の日テレにもあったのではないか。


日テレに求められるのは、プロセスを明らかにする態度である。脚本家の野木亜紀子氏が当初から求めている道筋である。


野木氏が、NHKで放送されたテレビドラマ「フェイクニュース」のシナリオブック末尾で述べるように、「ネットも現実だけど、ネットの中に人生はない。あなたの人性は誰かに決めつけられるものではない」。


だからいま、自分たちは何をしているのか、していないのか。何ができるのか、できないのか。その迷いや悩みや、戸惑いを、そのまま言葉にしてもらえないだろうか。


■愛情がなければ、テレビドラマは作れない


完璧な対応をしていればよい、叩かれすぎないほうがよい。そんな専守防衛の態度では、亡くなった芦原さんがあまりにも報われない。そう思うのは、日テレの態度は、天候によってダイヤが乱れた時の「交通機関のお詫び」に似ていると感じられるからである。


先日の大雪によって関東地方では電車やバスが遅れた。仕方がないし、どうしようもないから、誰の責任でもない。それなのに、駅では「大変ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」とのアナウンスが繰り返された。あたかも、駅員や鉄道会社のせいであるかのように装いながらも、その実は、何の感情もこもっていない。


謝っておけばいいだろう。そんな血も涙もない、通り一遍の対応と、今回の日テレのコメントは通じているのではないか。


もし、日テレがドラマに対して愛情があるならば、いや、愛情がなければテレビドラマは作れないのだから、少しでも血の通った対応をしてほしい。たとえそれが、ネット社会における禁じ手だと思われているとしても、今からでも遅くない。


それこそが、せめてもの弔いになるはずである。


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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

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