挑戦者がいつの間にか既得権益者に…“叩かれる起業家”の先駆けだった江副浩正が掘った大きな墓穴とは?
2025年2月25日(火)4時0分 JBpress
東京大学在学中にリクルートを創業し、グループ27社を擁する大企業に育てた江副浩正氏(1936〜2013年)。1989年に「リクルート事件」で逮捕されるまで、卓越したベンチャー経営者として脚光を浴び、没後10年を過ぎた現在も高い評価が聞かれる。レジェンドとなった“ビジネスモデルの革命児”は何が優れていたのか。本連載では『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(大西康之/新潮社)から内容の一部を抜粋・再編集し、挑戦と変革を追いつづけた起業家の実像に迫る。
今回は、挑戦者だったリクルートがプラットフォーマーになった時期の“落とし穴”を振り返る。
論語と算盤
経済学者のヨーゼフ・シュンペーターは「経済成長を生み出すのはアントレプレナー(起業家)によるイノベーションである」と説いた。イノベーションは日本語で「革新」と訳されることが多いが、シュンペーターはそれを「創造的破壊」と定義している。
江副はシュンペーターのいうイノベーター(創造的破壊者)であり、その破壊力は凄(すさ)まじかった。
江副が打ち立てた情報誌のビジネス・モデルは、これまで朝日、読売、電通に富をもたらしてきたマスメディアの秩序を「破壊」した。江副は恨まれ、敵を作った。
一方で江副は、違法でなければ、既存の道徳律や慣習からはみ出ることを厭(いと)わない。「空売り」「底地買い」「学生名簿の売却」「青田買い」「未公開株の譲渡」…。江副にとってビジネスとは資本主義のルールに則(のっと)った「ゲーム」であり、知恵を絞って強敵を出し抜き打ちのめしたときに、無上の喜びを感じるのだ。
だが日本には手段を選ばず勝つことを良しとしない儒教的な文化がある。江戸時代末期、幕臣の福沢諭吉が幕府に頼まれて西欧の経済書を翻訳したとき、「competition(コンペティション)」という言葉を「競争」と訳した。これに対し幕府の役人は「争うというのは、穏やかでない」と難色を示した。
市場の原理に委(ゆだ)ねる「弱肉強食」ではなく、「和」を尊ぶ「共存共栄」。そんな江戸時代の倫理観は、1916年(大正5年)に、「日本の近代資本主義の父」渋沢栄一が書いた、『論語と算盤(そろばん)』に受け継がれた。
昭和初期には日本にも世界標準の資本主義の萌芽(ほうが)が見られたが、1934年(昭和9年)の「帝人事件」で少壮実業家(現代でいうところの起業家)が一斉に検挙され(のちに全員無罪判決)、自由な資本主義の風土は根付かなかった。そのまま日本は日中戦争に突入し、国が企業活動を統制する戦時体制に入った。
戦後も、政府が重要産業を決める「傾斜生産」や金融行政の「護送船団方式」など戦時体制のような政府主導の計画経済が脈々と受け継がれた。
米欧流の「Winner takes all(勝者総取り)」は「暴利」と嫌われ、利益を出した企業に雇用は生まれるのに、経営者は「利益より雇用」と真顔で言う。官の規制の下で民が従順に働く計画経済は、今に至るまで続いている。
だが、一度もサラリーマンを経験していない江副は、日本的な資本主義の風土を知らない。知っているのは「成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである」というピーター・ドラッカーの教えだけだ。
今でも元ライブドア社長の堀江貴文や「ZOZO」のスタートトゥデイを創業した前澤友作など、起業家はバッシングの対象になることがある。江副は「叩(たた)かれる起業家」の先駆けだった。
プラットフォーマーの戒め
もうひとつ、江副が見落としていたことがある。
収穫逓増(ていぞう)の法則が働く情報産業で成功を収めたリクルートは、誰よりも多くのデータが集まる「プラットフォーマー」になっていた。チャレンジャーだと思っていた自分たちが、いつの間にか、既得権益を握っていたのだ。
消費者や市場がどう動いているかのデータをリアルタイムで手に入れ、将来どう動くかを予測できるプラットフォーマーは、他の者が知り得ない情報に好きなだけアクセスできる「究極のインサイダー」だ。市場を「神の見えざる手」と呼んだアダム・スミス風に言えば、「神の視座」を持つ圧倒的な強者である。
強者が傍若無人に振る舞えば「悪の帝国」と呼ばれる。ITの世界で言えば80年代のIBMや90年代のマイクロソフトがそうだった。「悪の帝国」はユーザーや社会からバッシングを受ける。
グーグルは創業から間もない2000年、社員を集めて、会社の理念を短い言葉で表現する「ミッション・ステートメント」を考えた。「ユーザー第一主義」「人の嫌がることをしない」「遅刻しない」…思いつくままさまざまな言葉を並べていると、ひとりの社員が呟(つぶや)いた。
「これって全部、『Don’t be evil(ドント・ビー・イーブル=邪悪になるな)』ってことじゃないか」
駆け出しのベンチャーだった彼らは、やがて自分たちが持つであろう「恐るべき力」に気づいていた。悪意をもってその力を使えば、世界を支配できる。だが、それは滅びの道でもある。恐るべき力を持つ若者たちを社会が「邪悪」と認識すれば、彼らは抹殺される。
セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジは「Don’t be evil」をグーグルの「社訓」に掲げ、自らを戒めた。
われわれが検索をするときに開くグーグルのポータル(玄関)サイトには、毎日、世界中から約40億人の人々が訪れる。40億人の目に触れるサイトの広告価値は天文学的だが、グーグルはそこに絶対に広告を載せない。自分たちの検索エンジンが弾(はじ)き出す検索結果が、特定のスポンサーに影響されていないことを示すための「やせ我慢」だ。
江副にはプラットフォーマーの自覚がなかった。情報誌で大量のデータが集まる場を作り上げたのは自分の功績であり、それを利用して儲(もう)けることが悪いとは露(つゆ)ほども思っていなかった。先述したように、『住宅情報』に集まる他社の物件情報は、広告主の競争相手であるリクルートコスモスに筒抜けだった。それを「ずるい」と思わない無神経さで、江副は墓穴を掘ることになる。
もっとも1980年代半ばの日本にはまだ「インサイダー取引は悪」という明確な線引きがなかった。インサイダー取引が日本で社会的な問題になったのは1987年9月の「タテホ・ショック」が最初である。
特殊なマグネシウムなどを生産する化学メーカーのタテホ化学工業が債券先物取引の失敗で巨額の損失を計上する直前、同社の幹部や取引銀行がタテホ株を売却し、損失を免れていた。この事件をきっかけに証券取引法の条文が改正されたのは1988年のことである(施行は89年4月。証取法は、2006年に金融商品取引法に改名して改正される)。
リクルートがただの弱小企業だったなら、「空売り」も「底地買い」も「学生名簿の売却」も「未公開株の譲渡」も、世間は若気の至りと見逃してくれたかもしれない。しかしリクルートは日本の求人情報の大半を一手に握るプラットフォーマーであり、高次元のモラルが求められる立場だった。
<連載ラインアップ>
■第1回江副浩正はなぜドラッカーを「書中の師」と仰いだのか? “起業の天才”が目指した理想のマネジメントとは
■第2回 12億円かけて自社ビル建設に着手した天才起業家・江副浩正が、ふと弱気を見せた瞬間とは?
■第3回 リクルートは大企業病をどう防いだか?「アメーバ経営」とよく似た組織活性術「プロフィットセンター制度」とは
■第4回 「江副さんは長嶋茂雄」スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクにも共通するビジョナリー江副浩正の発想とは?
■第5回 挑戦者がいつの間にか既得権益者に…“叩かれる起業家”の先駆けだった江副浩正が掘った大きな墓穴とは?(本稿)
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筆者:大西 康之