やるべきは「2000万円貯蓄」でも「免許返納」でもない…「ヨボヨボ老人」と「イキイキとした高齢者」を分ける条件
2025年3月6日(木)10時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki
※本稿は、和田秀樹『女80歳の壁』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。
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■老後のための貯蓄は必要なのか
大金を 貯めても墓に 持ち込めぬ
「老後には2000万円以上の貯蓄が必要」というニュースを聞き、心配になった方も少なくないでしょう。
高齢者医療の現場にいる私からすると、いかにも役人がつくった机上(きじょう)の論理であり「そんなに心配することはないのに」と言いたいのです。
と言うのも、ある程度の年齢になると、お金はそれほど使わなくて済むようになるからです。さらに言うなら、要介護状態や認知症になったら、お金は使いたくても使えなくなる。これが現実なのです。
「寂しいことを言わないで」とお叱りが来そうですね。でも私は、みなさんを落ち込ませるために、こんな話をするのではありません。逆です。元気づけるために言っているのです。
お金は貯めるのではなく、使ってしまえ——。これが私の主張です。
■貯蓄ゼロで生きていけるのか
仮に、やりたいことをして全財産使い切ったとしましょう。一文無しになったとしても、日本では生きていけます。「この国は幸齢者に冷たい」と言う人がいますが“野垂れ死に”させるような冷酷な国ではありません。生活保護で生活できるし、公的介護も受けられます。日本は福祉が保障されているのです。
極論ですが、次のふたつなら、あなたはどちらがいいですか?
①やりたいことを我慢して貯金をし、ある日、動けなくなる。
②やりたいことをとことんやって、ある日、動けなくなる。
私なら迷わず②を選びます。世界一周旅行も、ポルシェに乗る夢も“元気な今”ならかなえられます。
動けなくなってから「ああ、あのときに」と後悔するか。「ああ、満足な人生だった」と思うか?
それは“元気な今”にかかっているのです。
貯金がないと心配すれば、心は暗くなります。「いまあるお金を、どう楽しく使おうか」と考えたら元気が出てきます。それが長寿にもつながるのです。
■「生活保護なんて」という人に言いたいこと
金がない だったら国に もらえばいい
経済的に苦しい患者さんに「生活保護をもらえばいいんですよ」と言うと、たいていこう言われます。
「生活保護なんて最低だ」とか「そこまで落ちたくない」と。
でも、そんなふうに思う必要はありません。だって、これまでたくさん税金を払ってきたわけですから。仮に、税金を納めていない人も、消費税や酒税、たばこ税などは払っているはずです。「それを返してもらう」と思えばいいのです。
「これまで払ってきた税金をしっかり返してください。そういう約束だったでしょ。それをしないのは詐欺師ですよ」と言っていいのです。
それを言わないことこそ、国民の義務に反しています。ダメなものはダメと言う。もらうべきものはしっかりもらう。そうやって“国民の範”を示すのも、幸齢者の義務であり権利だと思います。
■生活保護の何がいけないのか
先日も朝のワイドショーで、月6万円の年金生活者に密着取材し「暮らしがどれだけ苦しいか」という特集をしていました。貯金もなく6万円で家賃まで払うのですから確かに大変です。
私が不思議だったのは、弁護士の肩書を持つ人も含めて、コメンテーターが誰ひとりとして「生活保護を受けたらいいのに」と言わなかったことです。貯金も持ち家もないのなら、生活保護は制度として保障されています。東京都では、最低生活費から年金受給額を引いた7万円をもらえるので、生活費は月に13万円になる。医療費もバス代もほぼ無料になるわけです。贅沢(ぜいたく)はできませんが、なんとか生活できる金額です。
これの何がいけないのでしょう? 見栄を張らずにもらったらいいと思います。
「ろくに年金も払ってこなかったのに申し訳ない」とか「貯金を使っちゃった私が悪いから」なんて考える必要はありません。
■引け目を感じる必要はまったくない
この国では、生活保護の支給額は「なんとか生活できるレベル」で決められています。仮に支給額が7万円なら、7万円ぐらいでも生活できると計算されているわけです。13万円もらえれば5〜6万円はお小遣いに回し、月に1回ぐらいは外食でおいしいものも食べられるでしょう。憲法には「健康で文化的な最低限度の生活をする権利」が保障されており、着る・食べる・水を飲む以上の文化的生活費を3万円ぐらいもらえるよう、金額が決められているからです。
幸齢者のみなさんは、これまでこの国を支えてきたのですから、誰に遠慮することもありません。堂々と申請すればいいのです。「ああ、日本はなんてありがたい国なんだろう」と思い、自分のためにしっかり使う。引け目を感じることなんて、まったくありませんよ。
写真=iStock.com/y-studio
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■受給年齢の引き上げは、もはや「国家的な詐欺」
やせ我慢 すればするほど 損をする
たいていの人は、子供時代や若い頃、こんなふうに言われてきたと思います。
「いま我慢すれば、後でいいことがあるよ」と。
どうですか? いまを犠牲にして、明るい未来が待っていたでしょうか?
例えば、終身雇用・年功序列の制度は1990年代後半に崩れました。「若い頃に頑張れば会社が最後まで面倒見るよ」と言って思いきり働かせていたのに、業績悪化を理由に50代の人たちがリストラになったわけです。
年金だってそうでしょう。「若い頃に頑張って払えば、60歳で十分な暮らしができるお金を出しますよ」と言っていたのに、年金額が減り、支給が65歳に引き延ばされた。今後は受給開始が70歳になることは既定路線です。
もはや「国家的な詐欺」です。それなのに誰も文句を言わない。それどころか「政治家はウソをつくもの」という常識がまかり通ってしまっている。これはとても異常なことだと思います。そして、異常なことのツケが、いまいろいろなところで噴出してきているわけです。
■「高血糖」「高血圧」を放っておく理由
まあ、文句はここまでにしますが、我慢して先のことを当てにしても、報われることはありません。我慢した分だけ損です。
政治家やテレビのコメンテーターの言うことを聞いて我慢しても、バカを見るのは、私たち国民です。コロナ禍もそうでしたが、それも含めて、何度も経験してきたことでしょう。
だから最後は自分の好きに生きる。これが正しい生き方なのだと、次代に範を示すのも幸齢者の役割だと、私は思っています。
悲観より 未来に希望 持ち生きる
私は、いまの政治家には期待していません。でも、未来には希望を持っていたいと思っています。科学技術を始め、世の中は日々進化するからです。
なのに日本人、とくに幸齢者は、その意識が低いと言えます。本当は、未来にもっと希望を持つべきなのに、いまの状況から判断して、ネガティブに考えてしまうのです。
例えば、医学が進歩したら末期がんも治るようになるかもしれません。
私が血圧や血糖値の高いのを放っておく理由の一つは、未来に希望を持つからです。動脈硬化はたぶん進みますが、iPS細胞が実用化すれば、若い頃の血管に戻るかもしれないと思っているのです。
■心配事は未来に、好きに生きて
現代では解決できないことも、10年後や20年後には、問題なくできるかもしれません。「我が子に嫌われたら介護してもらえない」と心配している人も、10年後には介護ロボットが実用化し、お世話をしてもらえるかもしれないのです。
すでにChatGPTはできているわけですから、ロボットが会話の相手になることは間違いありません。入浴や食事の介助、トイレ、おむつ替えもやってくれるかもしれません。それが実用化したら、施設に入る必要もなくなります。ロボットは1台何百万円かするかもしれませんが、国の介護費用は激減するため、費用の補助も期待できるでしょう。
車いすも、自動運転で時速50キロくらい出るものができるかもしれません。あるいは、積載量が100キロのドローンが実用化され、病院まで空路で移動できるようになるかもしれないのです。
そうすれば「未来のために」と、いま我慢していることがまったくの無駄になり、心配していることが次々と解決するかもしれません。
ならば、未来を悲観するより、未来に希望を持ち、いまを楽しんだほうがいいと思いませんか? そのほうが元気で長生きできるはずです。
敗戦で焼け野原だった日本を先進国に押し上げ、オイルショックにもバブル崩壊にも負けなかった、そして震災からも復興する世代だからこそ、未来に希望を持てると思うのです。
■やるべきは「免許返納」ではない
世の中を 便利にするため 声上げる
低迷した日本の経済を立て直すのは、幸齢者が変わることだと、私は本気で思っています。
例えば、介護ロボットも、幸齢者が「こんなものがあったら買うよ」という人が増えれば、開発のスピードは速まるでしょう。10年後に完成予定だったものが6年後にはできるかもしれません。量産されれば価格も下がります。500万円のロボットが300万円になるかもしれないのです。
和田秀樹『女80歳の壁』(幻冬舎)
幸齢者は、本当に我慢強い方が多いと、頭が下がります。日本人の美点とも言えますが、「要求水準が低い」という欠点でもあるのです。
免許返納もそうでしょう。みんなの幸せを考えるなら、本当は「事故の起こらない車を実現しましょう」とプラスの要求をすべきなのです。
私は幸齢者のみなさんに「免許は返納しなくていい」と言い続けていますが、それは社会を発展させるためでもあります。運転に自信がないなら、免許を返すのではなく、人間がハンドルを握らなければいいだけのことです。
■高齢者には社会を変える力がある
自動運転の車は間もなく完成するでしょう。そうすれば、事故を起こさず車に乗れます。でも、ひと度免許を返納してしまったら、もう運転はできません。なので、幸齢者がすべきは、返納ではなく「早く造れ」と要求することなのです。
そもそも進化というのは、不自由から生まれます。電灯ができたのも、冷蔵庫や洗濯機ができたのも、不自由なものを便利にしようという発想からです。
いまの社会で、いちばん不自由なことが多いのは幸齢者です。つまり、幸齢者は、世の中の進歩にいちばん寄与しやすい人たちなのです。
写真=iStock.com/RapidEye
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RapidEye
「年寄りが何を言っても変わらない」なんて、自分を卑下してはダメです。幸齢者が「不自由だから変えてくれ」と要求するから、社会は変わっていくのです。
自分のことを、引き算ではなく、足し算で考えてみませんか。「私たちはお荷物」と引き算で考えるのではなく、「私たちには日本を変える力がある」と足し算で考える。そうやって社会を動かしていく。それは幸齢者にしかできない、重大な役目だと思うのです。
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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、アメリカ・カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わっている。2022年総合ベストセラーに輝いた『80歳の壁』(幻冬舎新書)をはじめ、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『老いの品格』(PHP新書)、『老後は要領』(幻冬舎)、『不安に負けない気持ちの整理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)、『60歳を過ぎたらやめるが勝ち 年をとるほどに幸せになる「しなくていい」暮らし』(主婦と生活社)など著書多数。
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(精神科医 和田 秀樹)