「義理人情を大切にした方がいい」は大間違い…住職「人間関係に悩む人に決定的に欠けている視点」
2024年3月8日(金)16時15分 プレジデント社
※本稿は、名取芳彦『達観するヒント もっと「気楽にかまえる」92のコツ』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/paulaphoto
■「去る者追わず、来る者拒まず」がいい
私たちは一生の間に何人の人と出会い、そのうちの何人と、長短の差はあれ付き合うことになるのでしょう。
私が直接会って「お久しぶりです」と挨拶する人は、かつて同じ時間と空間を共有した500人ほどでしょうか。互いの近況が気になる間柄と言っていいでしょう。
そこまでの付き合いでない人の数は、その数十、数百倍にのぼるでしょう。それらの人と濃厚な関係を保ちつづけるのは、物理的に不可能です。ほとんどの関係は自然消滅していきます。
僧侶として「去る者追わず、来る者拒まず」というスタンスで暮らしていますが、SNSの登場でこのやり方が揺らいできました。トモダチ申請が来ても、相手に500人以上トモダチがいる場合は「私は義理堅いので、これ以上トモダチを増やしても、その人たちの記事を読めないのでお断りします」と来る者を拒むようになったのです。
情の厚い「いい人」になろうなんて、思わなくてもいいのです。どんな人間関係でも無常(変化)を少し意識して、柔軟に対応したいものです。
■過去に支配されない生き方
多くの出会いの中に、印象が強く残っている人がいるものです。元カレや元カノはいうに及ばず、嫌な目にあわされて憎んでいる人もいるかもしれません。
しかし、過去の出来事を記憶の糸でつなぎ止め、手繰り寄せようとするのは、過去に支配されているようなもので、自由であるはずの現在や未来の選択肢が限定されます。せっかく三歩進んだのに“あの時のあの人”によって、二歩引き戻されるのです。
写真=iStock.com/Wirestock
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好きだった人も、嫌な人も、しばらく会わず連絡を取らなければ、あなたと同じように、その間に相手にも多くの出会いがあります。あなたに関する記憶は、それらの新しい出会いの中に埋没していきます。
相手があなたのことを忘れていると知れば残念だったり、悔しかったりするでしょうが、それは仕方がありません。さまざまな出会いに巻き込まれながら前にしか進まない時間の前に、私たちはなす術がありません。
相手はあなたのことを忘れていると考え、あなたも新しく出会った人や、関係がつづいている人との縁を大切にしたほうが、はるかに心が自由になるでしょう。
■人間関係は、もっと“ドライ”でいい
私の好きな言葉に「家庭はこんがらがった糸です。こんがらがっているからいいんです。ほどくとバラバラになってしまいます」があります。これは家庭だけでなく親戚関係などにも当てはまるでしょう。
こんがらがっているので、一本の糸に他の糸が引きずられて厄介な事態になることもありますが、いざというときに力を発揮するのも、こんがらがっている糸です。
こうしたことを覚悟した上で、家庭、親戚などの中でうまく立ち回る器用さは身につけておきたいと思います。実際には、冠婚葬祭、入学、卒業などの人生の節目で義理を果たしておく、といったことが必要になるでしょう。
人はそれぞれ自分の考えを持ち、やるべきと思うこと、やりたいことがあります。多くの人はこんがらがっている関係の中でも、自分の裁量が及ぶ範囲、他人から邪魔をされない範囲で物事を進めたいでしょう。
そうするためには、手伝ってと言われて初めて手伝い、それが終われば相手の裁量に任せる。そんな「あっさりさ」「さっぱりさ」が大切です。
■人生の“苦”を取り除くシンプルな思考法
ネガティブな感情を“苦”と言います。仏教以前のインド哲学において、苦の定義は「自分の都合通りにならないこと」で、私たちは自分の都合通りにならないことに眉をひそめたり、怒ったりします。
この厄介な苦を取り除いたり、少なくしたりする方法は古来2つ。1つは、努力して都合通りにしてしまう。自分の努力で叶う願いならこの方法が有効です。
もう1つは、自分の努力だけではどうにもならないケースで、この場合は自分の都合を諦めるか少なくするしかありません。人類はこの2つの方法で“苦”を“楽”に変えてきたと申し上げても過言ではないでしょう。
これを応用すれば、自分の都合通りに相手の考えや行動を変えたいときの対応もスムーズになります。あなたの努力で相手を変えられそうならやってみる価値はあります。
しかし、自分の努力では相手は変わらないと納得したら、「相手を変えたい」という自分の都合を引っ込めて、「なるようになる」「仕方がない」「次の機会を待とう」と、自分の考えを変えればいいのです。この方法で楽になれることは意外と多いのです。
■「義理人情」を気にしすぎる人たちへ
友人の尼僧がオリジナルの仏教音楽CDを作って、お世話になった方々に贈呈したことがありました。私はいただいたものとは別に購入して、仲間にプレゼントしました。
数週間後、義理を重んじる彼女は「送ったのにうんともすんとも連絡がない人がいるのです。信じられません」と何の反応も示さない人の不義理を嘆きました。
名取芳彦『達観するヒント もっと「気楽にかまえる」92のコツ』(三笠書房)
私は「あなたのやったことを“趣味の押しつけ”と受け取る人はいるでしょう。反応がないのが不満のようですが、無反応も1つの反応ですよ」と慰めにもならないことを伝えました。彼女は、そういうことかぁと天真爛漫(らんまん)な笑みを浮かべました。
利害関係にある人や会社からの贈答が禁止されている公務員や一部の企業はともかく、一般社会ではお世話になった方との間で、さまざまな義理人情の慣例があります。
お礼の品をあげたから他より優遇してほしいとか、もらったから優遇してあげるとかの問題ではないと思いますが、そこには人の心が見え隠れします。
ある程度の割り切り方をした多少の不義理はいたしかたないとしても、見え隠れする相手の心に、あるときは厳しく、あるときはやさしく寄り添っていたいものです。
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名取 芳彦(なとり・ほうげん)
元結不動密蔵院住職
1958年、東京都江戸川区小岩生まれ。密蔵院住職。真言宗豊山派布教研究所所長。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。密蔵院写仏講座・ご詠歌指導など、積極的な布教活動を行っている。主な著書に、『気にしない練習』『人生がすっきりわかるご縁の法則』『ためない練習』『般若心経、心の「大そうじ」』(以上、三笠書房《知的生きかた文庫》)などベストセラー、ロングセラーが多数ある。
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(元結不動密蔵院住職 名取 芳彦)