絆の強さは実の兄弟にも勝る? プレミアリーグで活躍した義理の兄弟たち

2023年7月11日(火)6時0分 サッカーキング

プレミアリーグでプレーした3組の義兄弟 [写真]=Getty Images

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 6月19日、レアル・マドリードはエスパニョールからスペイン代表FWホセルがレンタル移籍で加入することを発表した。その際、ホセルと同クラブに所属しているスペイン代表DFダニエル・カルバハルが義理の兄弟であることが話題となった。

 ホセルの妻メラニー・カニサレスさんと、カルバハルが2022年に結婚したダフネ・カニサレスさんは双子の姉妹だという。ホセルの加入により、少なくとも1年間、姉妹の家族は心置きなくレアル・マドリードを全力で応援することができるだろう。

 血縁関係にある兄弟とは異なり、あまり知られていないケースも多い“義理の兄弟”プレイヤーたち。今回は過去にプレミアリーグで活躍した3組の例を紹介する。

[写真]=Getty Images
■スティーヴ・マクマナマン&ジェイソン・マカティア

 “スパイス・ボーイズ”の人気コンビは美人姉妹を人生の伴侶に選んでいた。両者は1990年代、リヴァプールの若手選手として躍動。人気と実力を兼ね備え、一躍メディアの注目の的となった。同時期に一世を風靡した“スパイス・ガールズ”になぞらえ、“スパイス・ボーイズ”と揶揄されていた。

 象徴的な出来事として今でも話題となるのが、1995−96シーズンのFAカップ決勝だ。この試合はエリック・カントナのゴールにより、マンチェスター・Uがリヴァプールを1−0で撃破。後日、当時マンチェスター・Uを率いていたアレックス・ファーガソン監督は、ジョルジオ・アルマーニがデザインした派手な白スーツでリヴァプールの選手たちが『ウェンブリー・スタジアム』に登場した瞬間、勝利を確信したと明かしている。

 しかし実際に“スパイス・ガールズ”の1人と結婚したのはマンチェスター・Uのデイヴィッド・ベッカムであり、当時リヴァプールで名実共に中心選手だったスティーヴ・マクマナマンは、長年にわたって交際を続けていた弁護士のヴィクトリア・エドワーズさんと2002年の夏に結婚した。18歳でマッカ(マクマナマンの愛称)に出会い、一目惚れをしたというヴィクトリアさんは、一男二女を育てながら、法律にまつわる講演なども精力的にこなしてきた知的美人だ。

 そんなヴィクトリアさんの妹であるルーシーさんが2013年に籍を入れた相手は、マクマナマンと90年代後半にリヴァプールで共にプレーをしたジェイソン・マカティアだった。2人の結婚式でマクマナマン一家は大活躍。マッカはメインアッシャー(新郎の付添人)、ヴィクトリアさんは花嫁の付添人を務め、3人の子供たちはそれぞれフラワーガールとページボーイ(キリスト教式の結婚式で聖書を祭壇まで運ぶ役割の男児)を務めたという。

 マカティアは2019年に受けたインタビューにて、マクマナマンとの関係について言及。現役時代から仲が良かったものの、2人の仲は義理の兄弟になったことでさらに親密になったようだ。「マッカと僕の妻は姉妹だから、我々は常に一緒だよ。明日からも一緒に旅行に行くんだ」と明かしていた。

■ジョナサン・ウッドゲート&スチュワート・ダウニング

 幼い頃から家族ぐるみの付き合いだった親友の間柄は、サッカー界での関係性が移ろい行く中でも崩れることはなかった。

 ミドズルブラで生まれたジョナサン・ウッドゲートとスチュワート・ダウニング。2人は地元の少年サッカーチーム「マートン・ボーイズ」でコーチをしていたダウニング父の指導を受けた後、ミドルズブラのアカデミーに加入した。5歳違いながら互いを親友と認識する2人がミドルズブラのトップチームで共にプレーをしたのは、ウッドゲートがリーズとニューカッスルを経て、レアル・マドリードまでステップアップした後で地元クラブに戻って来た2006−07シーズンのことだった。

 翌シーズンは冬の移籍市場で再び故郷を離れたウッドゲートだったが、2012年の夏に古巣に復帰。翌年には長年の恋人であり、ダウニングの姉であるナタリーさんとの間に長男が誕生。2015年の夏に結婚し、その2年後に長女も誕生した。一方、2009年の夏にアストン・ヴィラ、2011年の夏にリヴァプールへ移籍をしたダウニングは、ウッドゲートが正式に義理の兄となったタイミングで“ボロ”(ミドルズブラの愛称)に復帰。義兄の現役最後のシーズンをチームメイトとして過ごした。

 翌年から2人の関係性はミドルズブラの“コーチと選手”に変化。2018−19シーズンの終盤には、ダウニングが契約上の問題(※あと1試合スタメンでプレーをすると、新契約をクラブが提示しなければならなかった)でピッチに立てないという苦境に立たされたが、2人の間に摩擦は生じなかったという。ウッドゲートによれば「この件に関し、私にできることは何もないことをスチュワートは完全に理解していた」とのこと。

 ウッドゲートがミドルズブラの監督に昇格した2019年の夏に、ダウニングはブラックバーンへ移籍し、2人は別の道を歩むこととなった。しかしその後、ボーンマスでも監督経験を積んだウッドゲートは2022年10月にミドルズブラに戻り、マイケル・キャリック監督のアシスタントに就任。ダウニングはその翌月から同クラブのユースチームでコーチ業に着手している。

■スコット・パーカー&ハリー・アーター

 スコット・パーカーがいなければ、義弟のハリー・アーターはプロ選手にすらなれなかったかもしれない。

 チャールトンの育成組織でキャリアをスタートさせた9歳違いの2人。サッカー選手としての滑り出しは対照的だった。同クラブのトップチームでデビューをした16歳の時に、アーターの姉であり、後の妻となるカーリーさんと出会ったパーカー。23歳の時にイングランド代表デビューとチェルシーへの移籍を果たすと、その後ニューカッスル、ウェストハム、トッテナム、フルアムを渡り歩き、イングランド代表としても通算18試合に出場。ウェストハム時代の2010−11シーズンにはFWA(ライター協会)年間最優秀選手にも選ばれるなど、充実した選手時代を過ごした。

 一方のアーターは、トップチームでデビューすることなくチャールトンを放出されることに。19歳にしてノンリーグでプレーをすることになったアーターに、手を差し伸べたのがパーカー夫妻だった。義弟を精神的に励ますだけでなく、財政的な支援も行ったというパーカー。同居をさせ、家事や芝刈り、子供の送り迎えといった“アルバイト”を提供したのだという。アーターは当時を振り返り、おかげで同じ境遇に立たされた若者が抱える経済的な心配をせず、プレーに専念できたと感謝している。

 2010年夏に当時3部のボーンマスとの契約にこぎつけたアーターは、2014−15シーズンにチャンピオンシップ(イングランド2部)制覇を果たし、26歳でようやくプレミアリーグの選手に仲間入りを果たした。なお、プレミアリーグ昇格を決めたシーズン、ボーンマスはパーカー擁するフルアムに2戦2勝しており、アーターは1得点1アシストの活躍を見せている。

 現役引退後に監督業を選んだパーカーは、当時チャンピオンシップのフルアムを率いていた2019年の夏、ボーンマスから1年間のレンタル移籍でアーターを獲得。アーターはチャンピオンシップ28試合の出場で2ゴールを挙げ、同クラブのプレミア復帰に貢献した。

(記事/Footmedia)

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