「儒教は資本主義に不利」の定説を覆した日本と「アジアの四小龍」 孔子の教えは、いかに起業家精神を引き出したか
2025年3月4日(火)4時0分 JBpress
『論語』に学ぶ日本の経営者は少なくない。一方、これまで欧米では儒教の価値観が時代遅れとされ、資本主義やグローバル化には合わないと考えられてきた。だが最近になって、その評価が変わりつつある。本連載では、米国人ジャーナリストが多角的に「孔子像」に迫る『孔子復活 東アジアの経済成長と儒教』(マイケル・シューマン著/漆嶋稔訳/日経BP)から、内容の一部を抜粋・再編集。ビジネスの観点から、東アジアの経済成長と儒教の関係をひもとく。
今回は、日本や「アジアの四小龍」と呼ばれた韓国、台湾、香港、シンガポールが、1950年代以降に成し遂げた目覚ましい経済成長において、儒教的価値観がどのように作用したかを分析する。
経済成長を支えた「ポスト儒教」
だが、第2次大戦後、戦災に遭った日本では孔子と資本主義の関係の再評価が契機となり、大きな変化が起きる。日本は産業や国富の再建に向けて、急速な経済発展をめざすことに乗り出し、世界中が啞然(あぜん)とするほどの驚異的な成功を果たす。日本経済は、1960年代に毎年平均10%以上という不可能と思われるほどの経済成長率を示し、1967年にはアメリカに次いで世界第2位の経済大国となる。
自動車、鉄鋼、テレビ、船舶、ファックス、半導体などの輸出を手掛けるようになった日本企業は、世界市場シェアの大半を占めるようになり、過去何世紀かで初めて欧米の優位に挑戦するようになる。「1970年代後半には日本が世界第1位の経済大国アメリカを凌駕(りょうが)するかもしれない」との予測が専門家から出ると、欧米は大いに狼狽(ろうばい)した。
ちなみに、急成長を遂げたのは日本だけではない。東アジア全体を通じ、極貧で戦禍に苦しんだ国々も豊かになっていく。「アジアの四小龍」と呼ばれた韓国、台湾、香港、シンガポールは、製造と輸出の拡大によって日本と似たような経済成長を経験した。これには、経済学者も困惑するばかりだった。
20世紀中頃のアジアの植民地時代末期に、先の国・地域はもともと脆弱な経済力をほぼ失い、自然資源は限られ、産業基盤や社会基盤も貧弱だった。彼らに比べれば、他の発展途上国、特にアフリカやラテンアメリカ諸国のほうがよほど可能性に満ちていた。
だが、「アジアの四小龍」は、ほぼ各自の経済政策だけで他の新興国よりも優れた経済成長を遂げた。他の開発途上国は驚愕し、生真面目な世界銀行さえ、この現象を「奇跡」だと称賛した。
あるアナリストは「アジアの四小龍」の成功が単純な経済理論だけではどうにも説明できず、次のように問うた。
「他の途上国の多くができなかったのに、これら東アジア社会だけが繁栄への道を正しく歩むことができたのはなぜか?」
東アジアの不可解な成功の背景を探ろうと、学者たちが現地に赴いた。その結果、これらの社会には他の発展途上の国・地域より急速な経済発展を可能にする豊かな土壌が生まれる独特で特別な何かがあるはずだと考える者もいた。
アジア専門家が日本や「アジアの四小龍」を観察していると、いずれも重要でおそらく必要不可欠な要因を共通して持っているとわかった。それは孔子である。
専門家の中には、東アジアとそれ以外の世界の間の決定的な違いは孔子の教えであると主張する人もいた。東アジアが並外れた経済的成功を遂げたのは、低迷する他の世界にはない孔子の存在で説明できるとした。
儒教を新たに擁護する学者によれば、日本や「アジアの四小龍」にとっての儒教は、国教として推進された古代王朝時代的なものではない。東アジアの人々には孔子の教えが生き生きとして素晴らしいものと認識されており、彼らの社会生活に深く根付いていた。
こうした社会を表す言葉が生まれた。「ポスト儒教」である。これを唱える観察者たちは、偉大な賢者の教えが東アジアの人々の行動様式や態度に影響を与え、その地域の経済発展の基盤を築いたという。そして、儒教が経済を促進したという証拠は、中国が1980年代にまた新たな儒教的経済大国として世界の舞台に登場したことで補強された。
かつて広く受け入れられていた「儒教は資本主義に不利である」という定説は、驚くほど速く完全に覆された。中国専門家のハーバード大学教授ロデリック・マクファーカーは1980年、ウェーバーを批判し、「儒教は東アジアの急成長経済の台頭において、プロテスタントと西洋における資本主義の台頭との結びつきと同じくらい重要である23」と主張した。
反論の大半は、儒教的家族が持つ経済力の再評価に基づく。もはや儒教は知的ビジネスや起業家精神にとっての障害ではなく、儒教的家族は東アジアにおける資本主義興隆の原動力となり、民間事業の成功に必要な意欲や人脈、資金を提供した。
23 Roderick MacFarquhar, “The Post-Confucian Challenge,”The Economist, February 9, 1980, 68.
儒教に触発された強烈な向学心が近代産業に不可欠な熟練労働者を生み出し、儒教的家族で培われた倹約精神が投資に回せる資金の蓄積を促した。
さらに、家族の幸せを増やす親孝行の義務は、東アジアの人々が勤勉に働くことを奨励し、成功への動機付けにもなった。親孝行の精神は個人の意欲を抑え込むことなく、逆に爆発させたのだ。
こう見ると、儒教文化の親族意識が事業活動を不合理に歪めたというウェーバーの主張は間違いであり、実際には効率的な資本主義的活動を後押ししたと考えるのが正しい。
家族や親しい友人の人間関係があれば、ベンチャー企業を成長させる資金や情報の提供先となり、信頼できる共同経営者も見つかる。加えて、家族内で教え込まれた社会常識のおかげで、真っ当な儒教徒も理想的な資本主義者に生まれ変わる。
自立した個人主義的な欧米とは異なり、儒教的価値観を持つ東アジアの経営者や労働者は、自分たちの成功だけでなく、家族や共同体のためにも起業家精神に満ちたエネルギーを発揮した。その結果、東アジア社会全般が経済成長を遂げるのに役立った。
儒教徒の従業員は親の権威に従うことに慣れているため、上司にも素直な態度を示すことから、穏やかな労使関係が育った。さらに、政府に敬意を払うように教えられてきたことで、国策に受容的で、重大改革も円滑に実施できた。
こうして、20世紀の儒教徒は過熱気味の急成長に必要な要素をすべて持っていたのである。すなわち、勤勉で禁欲的な工場労働者、意欲的な企業家、献身的な市民である。彼らは国家の長期的な大義のために、目先の利益追求を控えようとした。マクファーカーは次のように指摘している。「ポスト儒教的経済人は懸命に働いて買い物もするが、それ以上に貯蓄に励む。また、能力主義と同じように年功序列も認める…自分の成功は共同体の利益と不可分であり、共同体の指導を受け入れる24」
儒教に根付いた安定を求める欲求と権威への従順さは、儒教徒を忠実で献身的な従業員にし、より個人主義的な西洋人よりも現代の企業での生活や仕事に適していると、これらの学者たちは主張した。
したがって、孔子の影響はアジア企業が西洋との競争において優位に立つ助けとなった。儒教は、対立の多い西洋では欠けていた経営者と労働者の協調を促し、従業員同士の強い結びつきが、彼らを堅実なチームプレーヤーにした。マクファーカーは、こう推測する。
「もし西洋の個人主義が産業化の草創期に適していたとすれば、ポスト儒教的な『集団主義』は大規模産業化の時代により適しているかもしれない。西洋では『組織人間(オーガニゼーション・マン)』はやや嫌悪される存在だが、日本では『会社人間(カンパニー・マン)』は理想の存在である25」
24 Ibid., 71.
25 Ibid.
<連載ラインアップ>
■第1回 ユニクロ柳井正氏や『人を動かす』のD・カーネギー氏も注目 なぜ東アジアの経営者は孔子の教えを重視するのか?
■第2回 「儒教は資本主義に不利」の定説を覆した日本と「アジアの四小龍」 孔子の教えは、いかに起業家精神を引き出したか(本稿)
■第3回 リー・クアンユー政権下のシンガポールを急成長させた「儒教資本主義」は、なぜ「縁故資本主義」に変質したのか?
■第4回 なぜ大韓航空機墜落事故が起きたのも孔子のせいと考えるのか? 儒教的資本主義を頭ごなしに否定すべきでない理由(3月18日公開)
■第5回 レノボ創業者の柳傳志は、なぜ中国人にCEOを任せるのか? 米国人社長の手法が中国企業には馴染まないと判断した理由(3月25日公開)
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筆者:マイケル・シューマン,漆嶋 稔