「あいつの家のトイレが永遠に詰まればいい」と思うほど嫌なことをされたとき、運がいい人がとる行動
2025年5月6日(火)9時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bet_Noire
※本稿は、真木あかり『「ツイてない」「もう無理」に効く占いと技術』(集英社)の一部を再編集したものです。
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■人生のビターな部分が、人を豊かにする
占いというものに深く関わるようになって20年が経ちました。当時は20代、仕事もプライベートも八方塞がり。「自分ばかりがなぜこんな目に」と思う日々でした。「なんとかこの生きづらさを解消したい。自分だって幸せになりたい」と、占いにヒントを見出そうとしていたように思います。そんな私を憐れんでか、師事していた師匠はこう言いました。
「幸運ばかりの人もいなければ、不運ばかりの人もいないよ。人生の前半が報われなかったとしても、ひねくれずに努力すれば人生の後半は必ず豊かになる。だから悲観せずにいなさいよ」
「光陰矢の如し」とはよく言ったもので、あれよあれよという間に月日は過ぎ、人生の午後と呼ばれる年齢になった今、思います。師匠の言葉は確かに、その通りだったと。占い師としてさまざまな方の人生と向き合い、人と話し、個人としても人生をやってきました。光のなかにいるように見える人にも、必ず陰があります。いい時期はずっとは続かず、波があります。人の裏をかいてうまくやっている人は、信頼をすり減らしています。幸運ばかりの人もいなければ、不運なばかりの人もいない。そして、「不運にどう立ち向かったか」こそが、その人の人生を豊かなものにするのだと、思うようになりました。
西洋占星術でも、吉とされている星の角度は「当たり前のこと」として感じにくいのです。「凶星」と呼ばれる星や、「凶角」などと呼ばれる星々の角度がもたらす出来事こそが人を鍛え、その人の強みを作ると言われています。幸運というのは嬉しい、でも、そればかりでは人は甘えてしまうのでしょうね。不運が人を作るとまでは申しませんが、どう対処するか、何を学ぶかで仕事や人間関係がグッと豊かなものにできるのだろうと思います。
人生において避けることができない不運というものを、どう対処するのか。失意や悲しみをどう扱うべきなのか。予測して、活かすにはどうするのか。まずは受け止め方、考え方の部分から不運の解像度を上げていきたいと思います。
自分は自分が知っている範囲の未来しか想像できません。「思い通りの人生」を送ろうとするのは、自分の小さな視野のなかで生きること。「思った以上の人生」にはならないのです。幸運も不運もそれぞれに受け止め、活かしていく。それが最終的に、いい人生につながるのですね。
では、実際に不運について考えてまいりましょう。
■「不運」を感じたらまずは落ち着こう
「ツイてないなぁ!」「不運だ」などと感じることがあったとき、どのような行動を取ったらいいでしょうか。
まずは、落ち着きましょう。それができたら苦労はないのですが、茫然自失にせよ慌てふためいている状態にせよ、心乱れているときに決めたことはたいてい乱れているのです。「まずは安全が確保できる場所に移動する」「いったん作業に区切りをつける」といった最低限の対応をしたら、心が落ち着くまで待ちましょう。できるだけ人の邪魔が入らない場所で、そのとき一番楽な姿勢を取って、ゆっくりと息をしてみるといいだろうと思います。ストレス源からは、離れてください。
写真=iStock.com/Milko
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このとき、「自分が悪い」「全部自分のせいだ」などといった自責の発想や、「どう責任を取ればいいのか」などといったことは、まだ考えなくて大丈夫です。原因も責任の所在も、ごまかし方も、落ち着いてから考えること。乱れているときに考えれば、不運を過度に大きく扱ってしまいかねません。
「自分はいつもこうだ。慌てて言い返すこともできなくて……」などと、自分をパターン化して責めることも、もうしなくて大丈夫です。頑張って生きているのに、わざわざ自分を望まないパターンにはめたら自分がかわいそうです。もし、こうした発想がクセになっているようであれば、「本当にいつもそうなの?」「例外なく、百発百中でそうなの?」「これからも1000%無理って断言できる?」と、丁寧に自分に反論してみませんか。流れで極端な発想に陥っているだけで、決めつけている自分がバカバカしく思えてきたら大成功です。
大事な友達が「私はいつも××で」と言ったら、全力で「そんなことない。だってあのとき……」と反論したくなりますね。それと同じように、自分を全力で反論しにかかるのです。何度でも、何度でも。慣れれば「また変な発想しちゃった! 今のナシ笑笑笑」なんて、自動で思えるようになります。
怒りを感じている場合は、ひとりになれる場所を確保して思いのたけを吐き出してみるのもいい選択です。どんなに口汚くののしってもOKですし、むしろそれが大事です。声を出せない場所であれば、紙に罵詈雑言を書いてビリビリに破って捨てるのもおすすめです。軽めの不運であれば、それでだいたい気が済むこともあるでしょう。
落ち着いてよくよく考えてみると、日常的な不運というのはだいたい「今この瞬間は不運だと思っているが、実はそればかりでもない何か」です。「不運だ」とジャッジすることで無駄に精神力を削ったり、他人に対するねたみ・そねみで胸をいっぱいにしたりしていては人生を無駄にするようなもの。自分は世界で一番不幸だなどと思っても、一円も儲かりません。そんな時間があれば、寝たほうが100倍有益です。そうした不運脳は、作らずにおきましょう。
■運はただの「表層」「印象」に過ぎない
運というのは「運ぶ」と書きます。物事が滞ることなく進んでいくことが、「運ぶ」です。すべてのことはただただ運んでいて、私たちはそれを見て「幸運だ」「不運だ」とジャッジします。ただ、本質的には、その時点で起こっていることが果たして不運なのか、幸運なのかはわかりません。物事の表層だけを見て、望ましくないこと=不運としているに過ぎないのです。
問題は、ひとたび不運と思ってしまうと、人はそこから動けなくなってしまうことにあります。不運の中心に自分をピン留めしてしまう。その場で足踏みしかできないような状況では大局観は失われ、手の届く範囲のことしかできなくなってしまいます。そうなると、ただ「運ぶ」状態にあったものまでも停滞しかねません。
嫌なことが起きて、反射的にジャッジしてしまうのは仕方のないこと。ただ、そこで流れを止めてしまうのは誰にとっても本望ではないはずです。不運とジャッジすることで、不運に「する」ことが、最大の不運であるとも言えるでしょう。
自分が見ているのは「表層」「印象」に過ぎないことを自覚しておきましょう。そして「自分はまだまだ一部しか見ていない。これからだ、まだわからんぞ」と次へとつなげていくのです。その気持ちが、不運を不運のままに留めておかない運を呼び込むはずです。
写真=iStock.com/Chris Gordon
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■不運の解像度を上げる3つのフレームワーク
嫌なことが起これば「これはどこからどう見ても不運でしょうが!」と思うのが人間です。息をするように不運と思ってしまう、それがクセになっている人こそ、発想の転換ができるフレームワークをいくつか知っていると便利です。
3つのフレームワーク
①「コップの水」……今“ある”ものをどう受け止めるか
コップに半分、水が入っている。それを見て、Aさんは「半分しか入っていない」と言った。Bさんは「半分も入っている」と言った。
これはビジネス書でよく出てくる例えですね。欠乏を強く感じていると、人は自然と守りに入りがちです。「しか」と思うと、頭は自然に終わりのほうへ向かっていきますし、「思い切った選択は避けて安全にやろう」と考えるのはごく自然な流れです。一方、「も」と思ってみると、これからが可能性に満ちているように感じられるもの。「あんなことも、こんなこともできそうだ」と創造的な未来につなげていけます。
②「塞翁が馬」……時間の経過を視野に入れる豊かさ
国境の塞(とりで)の近くに住んでいる男がいた。あるとき、生活に欠かせない馬が囲いを破って逃げてしまったが、男は動じない。数カ月後、馬は別の馬を連れて戻ってきた。しかし男は喜ばない。男の家には仔馬が生まれ多数の馬を抱えるまでになったが、あるとき息子が落馬をして大ケガを負ってしまう。しかし男は動じることはない。そののち、戦争が起こり若者はみな徴兵され戦死したが、息子は体が不自由なため徴兵を免れ命が助かった。
これは中国古典の『淮南子(えなんじ)』に出てくる話で、人の世の幸不幸の移ろいやすさを意味する言葉です。幸運を喜べず「次また不運が来る」と思いすぎるのは個人的に思うところもあるのですが、不運を過度に大きく扱わず長期的な視野を持つ姿勢には学ぶところがあります。実際、現代は何もかもがスピーディーに変化し、流行も注目を集める人も、評価されるタイプもころころと変わっていきます。今は不運と思っていても、オセロで白黒が反転するようにぱきっと幸運に転じる可能性は多々あります。
③「誕生石」……不運のなかにも幸せがある
病院を経営する夫と健康かつ利発な娘たちをもつ、資産家の奥様。何不自由のない生活を送っているようなのに「娘が不憫(ふびん)で仕方がない」「手の施しようがない」「一生の不覚」と嘆く。家庭教師が理由を聞くと「上の娘の誕生石はしまめのう(縞瑪瑙)だから」。ブルーサファイアにしてあげたかったとこぼすのだった。家庭教師は「人はどんな幸せのなかにも不幸を見出す天才である」と考える。
これはロシア語通訳として活躍された米原万里さんの『真昼の星空』(中公文庫)という本に収録されたその名も「幸か不幸か」というエッセイに出てくるエピソード。家庭教師をしていた米原さんは嘆く奥様に「先生はよろしいですわね。4月の誕生石は、ダイヤモンドですもの」と言われ、宝石とは無縁の人生ながらそれが幸運のように思えてきて「人はどんな不幸のなかにも幸せを見出すおめでたさも持ちあわせている」と結びます。
■「100%の不運」はそう多くない
コインの裏表のようにくるくると変わる幸運と不運。あなたはどちらの視点を持っているでしょうか。不運のほうを感じがちであっても、それは決して悪いことではありません。人間はもともとネガティブな要素のほうを強く感じるものですし、だからこそ危険を回避して、生き残ってこられたわけです。
真木あかり『「ツイてない」「もう無理」に効く占いと技術』(集英社)
ただ、もし「不運だ!」と思ったときは、3つのパターンのどれかに当てはまらないか、考えてみるといいだろうと思います。
①なら、「残された可能性をじっくり見てみよう」
②なら、「できる対処をして成り行きを見守ろう」
③なら、「逆にオイシイ、むしろありがたいという点はないか探してみよう」
といった感じです。
念のため申し上げておきますが、私は決してポジティブ・シンキングの持ち主ではありません。編集者さんから電話が来れば「打ち切りか?」とドキドキしますし、人から嫌なことをされれば「あいつの家のトイレが永遠に詰まってしまえばいいのに」などと暗い妄想が頭に浮かびます。いつもだいたい、うっすらネガティブ。傷や違和感を無視するようにして安易なポジティブ発想をするのは、問題解決を遠ざけるとすら思っています。ただ、現実に即して考えると、事故や事件に代表されるような「100%の不運」というのは、生活のなかではそう多くはないのです。振り回されすぎないようにしたいものです。
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真木 あかり(まき・あかり)
占い師
学習院大学文学部卒業、東京福祉大学でも心理学を学ぶ。フリーライターなどを経て占いの道に。四柱推命を中心に、占星術や九星気学、タロットカード等を用いて鑑定・執筆を行っている。女性誌やウェブメディアでの連載多数。著書に『タロットであの人の気持ちがわかる本』(説話社)、『金運星占い』(KADOKAWA)等がある。
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(占い師 真木 あかり)