大谷翔平にとって「最高の親友」だったのに…メディア完全シャットアウトの中で水原一平がチームに語ったウソ
2025年3月14日(金)7時15分 プレジデント社
米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手(右)と水原一平氏(=2024年2月、ロサンゼルス) - 写真=ゲッティ/共同通信社
写真=ゲッティ/共同通信社
米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手(右)と水原一平氏(=2024年2月、ロサンゼルス) - 写真=ゲッティ/共同通信社
■最高の親友による最悪の裏切り
日本生まれながらにして幼少期の大半を南カリフォルニアで過ごした水原一平は、2012年に日本へ帰国し、同年、北海道日本ハムファイターズで雇用された。
メジャーリーガー投手であるクリス・マーティンや、そのほかの英語圏出身者の通訳を務めることになった。
大谷翔平も同年、18歳の新人選手として入団した。大谷がロサンゼルス・エンゼルスに加入するために渡米すると、水原も同行することになり、四六時中彼の傍にいるようになった。大谷に殺到する取材や雑音を裁きつつ、唯一無二の二刀流選手が野球に集中できる環境をつくるのが役目だった。
「あの2人は、最高の親友として見ていたよ」
そう振り返るのは、エンゼルスのフィル・ネビン前監督である。
水原の父親はアナハイムでシェフをしており、エンゼルスが地元にいるときは大谷と水原はほぼ毎日このレストランで食事していた。
シーズンオフになると、水原は大谷のキャッチボールの相手も、ウェイトトレーニングの相棒も務めるし、2021年にコロラドのクアーズ・フィールドで行われたオールスターのホームラン競争では、大谷が打席に立つ際にキャッチャーを務めたこともあった。
■エンゼルス時代から「違法賭博」に手を染めていた
水原は大谷にとって万能の右腕、最側近であり、マネージャーとしてコロナ禍のロックダウン中には衣食を運ぶなど、とにかくありとあらゆる業務をこなしていた。そんな業務の1つに、大谷の銀行口座開設も含まれていた。
しかし、水原は大谷がまだエンゼルスに所属していたある時期から、スポーツ賭博を合法化していない12の州の1つであるカリフォルニア州に拠点を置く、悪名高いブックメーカーのマシュー・ボイヤー主宰の違法賭博に、手を染めるようになっていた。
ボイヤーはもともと、商品取引のトレーダーで、ラスベガスにある2軒のカジノで累計42万5000ドルの負けを記録し、2011年に破産宣告を受けたわけだが、マイナーリーグの投手から胴元に転身したウェイン・ニックスを中心とした違法賭博を、南カリフォルニアで主宰したことにより連邦捜査の標的となった。そして捜査は、元ドジャースのヤシエル・プイグとエンゼルス時代に大谷のチームメイトだったデビッド・フレッチャーにも広がった。
■「大谷の側近」がゆえ賭け額は大きかった
水原は2021年に、サンディエゴでのポーカーゲームでボイヤーと会ったという。すぐに水原はボイヤーか、その相棒——のちに、リアリティテレビ番組「リアル・ハウスワイブズ・オブ・オレンジ・カウンティ」に出演していたライアン・ボヤジアンと判明——を通じて、国際サッカー試合、バスケットボール、アメリカンフットボールの試合などで賭けるようになった。
のちに連邦捜査の結果が公表されると、水原は2021年12月から2024年1月までの間に、約1万9000回の賭けを行っており、累計1億4200万ドル勝ったが、1億8300万ドル負けていた——。1日あたり平均25回賭けをしており、金額は最低10ドルから最高16万ドルの間を賭けていた。なお、MLBの試合に賭けている証拠は出てこなかった。
ボイヤーは、大谷に近しいという特殊な立場から、とりっぱぐれはないと踏んで、水原には賭けられる金額の設定を大きくしていた。
そして、水原は負けをカバーするために大谷の銀行口座にすがりついた。
■「大谷のふり」で連絡先を変更
特別捜査官は、水原がアリゾナで大谷のために開いた銀行口座の連絡先電話番号とメールアドレスを大谷のものではなく、水原のものに変更していたことをつかんだ。これにより水原は、銀行から大金が動く際に、連絡が大谷へいくことを阻むことができた。
水原が銀行詐欺・虚偽の税務申告で告発されたあとに、自分で大谷の口座から大金を送金するための承認をできるようにして、さらに電話でも大谷のふりをして——この音声記録は当局が押収した——送金手続きをしていたことが判明した。
「この被告の騙しと窃盗の規模は甚大である」
合衆国司法省のマーティン・エストラーダ連邦検事は、公式会見でこのように断言した。
「自身に対する大谷氏からの絶対的信頼と特別な立場を悪用して、自身の賭博中毒をここまで悪化させてしまった」
さらに水原は、大谷の銀行口座から歯科矯正費用として約6万ドルをくすね、かつ32万5000ドル相当のベースボールカードを買い集めて、利益を出すことをもくろんでいた。
水原の賭博中毒が最初に判明したのは、2024年3月、ドジャースがちょうど韓国のソウルで歴史的な開幕2連戦に臨もうとしているそのときだった。
■「メディアシャットアウト」の場で語ったこと
ESPNのレポーターが、ボイヤーに連邦捜査の手が伸びていることを最初につかみ、そこには大谷の名前で行われた銀行振り込みの記録も含まれていた。
水原はESPNの取材に応じ、3月20日に行われた90分間の独占取材で、2023年のうちに8〜9回ほど大谷の口座にログイン、送金記録があることについて、大谷が自分の借金を肩代わりして、支払いを行ってくれたのだと主張した。
事態は一気に大転回した。
韓国におけるドジャースとサンディエゴ・パドレスの開幕戦を終えたのち、水原はクラブハウスで事情説明をすることになった。
報道陣はこのクラブハウスから完全に締め出されており——チームのオーナーの1人であるマーク・ウォルター、そして大谷の代理人のネズ・バレロが通り過ぎるのを見守るばかりだった——そこで水原はチームに対し、自身がギャンブル依存症であることを告白した。
報道陣がクラブハウスに入ることを許されたときには、大谷は上機嫌で、チームの広報担当者と冗談っぽいやりとりをしており、自身のドジャースデビューについて聞こうとする報道陣をうまくかわしていた。
大谷は取材に応じた。水原の姿は近くのどこにも見られず、大谷は何分間か日本人記者に対して直接日本語でやりとりを行った。最終的に水原は再び姿を現し、英語圏の記者向けにいくつかの質問と回答を通訳した。
■大谷は水原が何を話していたのかわからなかった
のちになって大谷は、この時点で水原がチームに対して何を話していたのか、完全には把握していなかったことを認めた。
「あのミーティングで、あの人は全部英語で話していましたから」
ドジャースがアメリカに戻ったあとに公表した長文の声明で、大谷はそう振り返った。
〈あのときの僕には通訳がおらず、彼は英語で話し続けていたので、僕は彼の言っていることが完全にはわかりませんでした——ただ何かおかしいことが起こっていると感じただけでした。あのとき、彼はホテルに戻ってからもう少しくわしいことを直接話したいと僕に言ってきました。——もちろん、僕は一平さんがギャンブル依存症だとか借金まみれだったとかはまったく知りませんでした〉
■「借金肩代わり」説はあっけなく崩れた
次の日の朝、水原の借金を大谷が肩代わりしていたという物語はあっさりと崩された。
水原は、前日の証言を完全撤回したのだ。大谷についた弁護団は、この元通訳を「大規模窃盗」で告発した。
「報道陣からの多数の問い合わせに答えるが、われわれはショウヘイが長年にわたる大規模窃盗の被害者であることを発見し、本件の捜査をあらためて当局に要請する次第である」
その日に大谷側弁護団が出した声明である。
水原はドジャースから即時解雇処分となったが、球団はこの件のコメントを出さなかった。
「言えることは何もないよ。本当に何もない」
ソウルでの2試合目を前に、報道陣がアンドリュー・フリードマン編成本部長に直撃した際の返答だ。
ロバーツ監督には、大谷に対して特別な配慮をして休養を与えるという考えはなく、大谷はそのまま試合に出て5打数1安打、犠牲フライ1本と高尺スカイドームのフェンスぎりぎりに飛んだ大飛球2本という結果に終わった。
■ドジャースの不安と苦痛に満ちた24時間
ドジャースCEOのスタン・カステンおよび関係者全員にとって、恐ろしい不安と苦痛の24時間だった。大谷翔平にドジャーブルーのユニフォームを着せることにより——球場内外で——得ようとしていたものが一気に雲散霧消するおそれが出てきたからだ。
ドジャースCEOのスタン・カステン(画像=MissChatter/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)
ソウルにいたマーク・ウォルターから第一報を受けたのは、韓国での開幕戦が始まる日だったという。
「ちょうど、本人が聞かされたばかりの疑惑内容を私に伝えてきたよ」
カステンはあの瞬間を振り返った。
「あれから9時から15時の間だったかな。もっと短い時間だったかもしれないが、『なんだ、これなら全部が消えることはないな』と確信できるようになるまで、たしかそれくらいだったと思う。何もかも消えることはなさそうだとね」
2024年シーズン後半に、カステンは自身のオフィスからドジャースタジアムに向けて歩きながら回想した。
「最初の数時間は、状況は十分に悪いものではあるけれども、ショウヘイ個人にとって致命傷にならないかと心配した。なるほど、彼は親友を助けたんだ。自分で賭けたわけではない。もしそういうことなら、われわれとしては十分対処できると思った。だが、われわれとしてもことを慎重に進めなければならなかった。繰り返すが、当初の報告では『あるメディアが次のような記事を出す』という話だった。われわれは3月20日中、身構えていたが何も出なかった。いや、待てよ。これは全部ガセなのかと思ったよ。それから24時間から36時間くらいの間、われわれには何が起こるかまったく見当がつかなかった。ついに真相が知らされたのが、韓国での開幕戦8回に入ったころで、全容を知らされたんだ」
■話が二転三転、チームは混乱
だが、3月21日には、ドジャースはまったく別のシナリオに対処する必要に迫られた。大谷はギャンブル依存症で借金まみれの友人を救ったわけではない。実は、この友人にカネを盗まれていたのだ。カステンは語る。
「いざ次の状況が出てきたからといって、われわれの恐怖感がすぐに消えたわけではなかったよ。最初の反応は『おい、何がどうなっているんだ? いつの間にか、まったく違う2つの物語が出まわっているではないか』だった。思い出してほしいのは、われわれがロッカールームで選手一同に事件を伝えたのは、午後の9時とか10時だったことだ。そこから翌日朝7時までには、もう第2弾の話が出まわっていたんだぞ。われわれは朝食の席で選手全員のところを回り、『昨日の話なんだけれども……』と話しかけないといけなかった。実は、完全にひっくり返ったんだ。もう困惑するしかなかったよ」
この一件は、日本とアメリカで大爆発した。
■「代打ち説」すらささやかれる始末
当初、大谷が沈黙を貫き、水原が物語を変えたことにより、大谷がどれほど通訳の賭博に関与していたのかについてさまざまな憶測が飛び交った。
ビル・プランケット『SHO-TIME 3.0 大谷翔平 新天地でつかんだワールドシリーズ初制覇』(徳間書店)
もしや、水原は大谷自身が数百万ドルを賭ける際の代打ちだったのではないか? なぜ、水原はこんなに簡単に大谷の口座に手をつけることができたのか? なぜ、水原は物語を変えたのか? もしや、大谷のすべての罪を被るかわりに報酬を受け取っているのではないか? 長年「スポーツニッポン」で記者を務める奥田秀樹は、この件が報じられた際に大阪の自宅で仕事をしていた。
「反応はアメリカ側と同じだったのではないか。100パーセント、サプライズという意味で」
あとになって奥田は、日本での反応についてこう振り返った。
「水原一平は、日本人ファンの間では、ある種、アイドルに近い存在になっていたからね。ほとんどの人が彼のことを好いていた。大谷翔平のいちばんの親友だった。通訳者としての技量も高かった。私の息子は生まれも育ちもアメリカなのだけれど(奥田がMLB取材を続ける間に生まれた)、水原の通訳能力は最高の1人だと絶賛していたよ。本当にみんなが水原のことを大好きだったんだよ」
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ビル・プランケット
記者
1961年12月30日、ミシガン州デトロイト生まれ。40年以上、日刊紙で執筆を続け、この25年はオレンジ・カウンティ・レジスターと関連紙で記事を掲載している。2003年シーズンよりMLBの取材に入り、最初の数年間はロサンゼルス・エンゼルスを担当していたが、その後の大部分はロサンゼルス・ドジャースを担当している。殿堂入り投票権をもち、スポーツネットLA、MLBネットワーク、そのほか全米ラジオ番組等にも出演多数。
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(記者 ビル・プランケット)