どうしても「愛子天皇」を意識してしまう…悠仁さまの「メモなし、笑顔の会見」に垣間見えた若きプリンスの苦悩

2025年3月18日(火)8時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mtcurado

皇位継承順位2位で、秋篠宮家の長男の悠仁さまが成年となって初めての記者会見を行った。コラムニストの矢部万紀子さんは「悠仁さまはいつも笑顔が少なくつまらなそうな様子だったが、印象が変わった。だが、どうしても3年前の愛子さまの会見を思い出してしまい、複雑な気持ちになった」という——。
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■「スタイル抜群」「笑顔」に“少しほっとした”


秋篠宮家の長男悠仁さま(18)の初めての記者会見が、3月3日に開かれた。「成年皇族としての自覚を持ち、しっかり役割を果たしていきたい」と述べた悠仁さまについて多くの報道がなされたが、一つ気になったことがある。悠仁さまはスタイル抜群なのに、そのことが全然、報じられていないのだ。


記者会見場に入ってくる悠仁さまの写真を見て驚いた。スーツ姿の全身が写っていて、一目で腰の位置が高いとわかる。歩幅も広い。報道陣の方を向いた顔の印象より、悠仁さまの足の長さが印象に残る。小さな頃からのスリムな体型に「背が高い」感も加わって、トータル「悠仁さまはスタイル抜群」だとはっきりわかった。


それなのにこの事実、私が調べた限りでは、ほぼ指摘されていない。宮内記者会の皆さんには全くもってテーマ外ではあるにしても、不思議だ。その話は後述するが、その前にもう一つ、この会見でわかったことがあった。それは、「悠仁さまはよく笑う」ということだ。何度も見せた笑顔は少しはにかんでいる様子で、とてもキュートだった。


足長+笑顔=今どきの高校3年生。この事実に、何というか少しほっとした。うれしかった。記者会見以前、私にとっての悠仁さま像が「いつもつまらなそうに見える男子」だったからだ。


写真=時事通信フォト
成年に当たり、初めて記者会見をされる秋篠宮家の長男悠仁さま=3日午後、東京・赤坂御用地内の赤坂東邸 - 写真=時事通信フォト

■“つまらなそうな顔”になって当然だった


悠仁さまは筑波大学附属高校に入学した2022年から、夏に開かれる「全国高等学校総合文化祭(総文祭)」の開会式に出席している。秋篠宮さまと紀子さまが出席していた行事に悠仁さまも加わり、2022年は東京、2023年は鹿児島、2024年は岐阜と訪問している。その都度、映像や写真が流れたが、悠仁さまはいつも困ったような、つまらなそうな顔でひょろりと立っていた。


それはそうだろうな、と思っていた。幼稚園から中学までお茶の水女子大の附属に通った悠仁さまは、筑波大学附属高校へと進んだ。この名門校への進学が「提携校進学制度」によるものだったことから、入学前から「特別扱い」だとネットや一部メディアが書き立てた。入学後は「成績不振」だと書かれ、大学進学にあたっては「東大に推薦で進学する」という一方的な憶測からインターネット上で「反対する署名活動」まで起きていたのだ。


これではつまらなそうな顔になって当然だ。皇室に生まれた不幸を抱え、両親との外出もさぞつらかろう。勝手にそう想像し、何てお気の毒なのだろうと思っていた。


■悠仁さまは笑わない、と思っていた


2024年12月には筑波大学に推薦入学で合格したことが発表され、その翌日に西村泰彦宮内庁長官が「根拠のない情報が流れていたのはまさに事実」「私も心を痛めている」と述べたと報じられた。心を痛めていたならもう少し何とかできなかったのか、と言ったところで時は戻せない。おめでたい合格発表が、悠仁さまのつらさとセット。そんなふうに感じた。


筑波大学筑波キャンパス(写真=カンリカ/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons)

2025年2月には、悠仁さまが舞鶴引揚記念館を一人で訪問する様子が報じられていた。ニュースで見ると悠仁さま、やはり困ったような、つまらないような、そんな顔をしていた。こういう場所でニコニコするわけにいかないことはあるにしても、悠仁さまは笑わないなーと改めて思った。


少し話はそれるが、悠仁さまはお茶の水女子大附属小学校1年生の12月に沖縄県を訪問し、国立沖縄戦没者墓苑で花を供えて以後、戦争にまつわる行事や場所への訪問を重ねている。直近が舞鶴引揚記念館だ。悠仁さまは「帝王学」を学んでいないなどと言われたりするが、これは立派な帝王学だと思う。


■愛子さまの初めての記者会見を思い出した


さて、初めての会見に話を戻すと、足長と笑顔といううれしい気づきがあったにはあったが、同時に悠仁さまの“お気の毒問題”も消えなかった。受け答えの様子を見て、「やっぱりそうだよなー」と思ったのだ。


悠仁さま、メモを見ることなくすべての回答に答えていた。暗記していた。そして記者の目を見て話していた。だけど「メモなし、暗記、すごい」より前に「このスタイルしか、とりようもないよなー」と思ってしまった。そう、このスタイルを3年前に見ているからだ。


2022年3月、20歳になって3カ月の愛子さまが、初めての記者会見に臨んだ。そこでの愛子さまはメモを見ることなく、一人ひとり記者の目を見て、すべての質問に答えた。ユーモア、賢さ、上品さ、家族の絆……。全てが伝わり、愛子さま人気を不動のものにした会見だった。


悠仁さまにしてみれば、愛子さまの会見をデフォルトにする以外の選択肢はなかっただろう。悠仁さまに質問したテレビ東京の新見多一記者は、悠仁さまの「メモなし」スタイルについて「18歳だからできること」と言い、緊張ぶりについて「悠仁さまが両手でギュッと膝小僧をつかんでいるようにされているのが、最前列の私からよく見えた」と言っていた(テレ東BIZ「皇室ちょっと昔の話(5)」2025年3月5日)。


■お気の毒で、複雑な気持ちになった


そう、18歳の悠仁さま、頑張った。だが、純粋に頑張りとして見る前に、愛子さまと比較してしまう。それはかなりお気の毒な事態だと思う。


実は冒頭からそうだった。悠仁さまは最初の質問に答える前に「現在、岩手県などで発生している山林火災により被害が生じていることを案じております」と述べた。愛子さまも3年前、同様に「昨夜の地震により、亡くなられた方がいらっしゃると伺いまして心が痛んでおります」と述べてから、回答に移っている。ちなみに昨夜の地震とは福島県沖地震で、最大震度6強を記録した。


災害大国・日本だから、大規模な山林火災の最中に会見が設定されていたり、会見前日に地震が起きたりということがあっても不思議ではない。とは言え悠仁さまの「案じております」を聞いた瞬間に愛子さまの会見を思い出し、複雑な気持ちになった。


複雑さの元をたどれば、悠仁さまが「次男の家に生まれた長男」で愛子さまが「長男の家に生まれた長女」だというところに行き着くと思う。上皇さまの次男である秋篠宮さまの家で育った悠仁さまは、皇位継承順位2位。長男である陛下の家で育った愛子さまは、皇位継承資格なし。それって当然だよね、と思える状況ではないと感じている国民は多いだろう。


写真=iStock.com/golaizola
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/golaizola

■これまで“素顔”がほとんど見えなかった


雅子さまの適応障害が公表されたのは愛子さまが2歳の時だ。それ以来、皇室典範で決められている「男系男子による継承」の無理さを多くの国民が知ってしまった。少なくとも悠仁さまに結婚相手を見つけるのは至難の業だと、大半の国民は思っているはずだ。そのような中、悠仁さまはこれからも「将来の天皇」を背負っていく。その都度、愛子さまのことが思い出される。そのことがはっきりしたのが、今回の会見だったと思う。


ここでまた「スタイル抜群の悠仁さま」に話を戻す。この事実がこれまでほとんど報道されていないのは不思議だと最初の方で書いた。これまで悠仁さまの素顔がほとんど見えなかったことが大いに関係していると思う。


お誕生日や入学、卒業などの節目に写真が公開されることがあっても、それは「素顔」とは言いにくい。例えば悠仁さまは、実は大変スキーが得意なのだそうだ。愛子さまはスキー1級の腕前で、映像が公開されたこともある。だが、悠仁さまも同じように上手だということは、まるで公表されていない。だから筑波大学附属高校でバトミントン部に入ったと言われても、どうにもピンとこない。これでは「スタイル抜群」など知る由もない。


■何かするたびに愛子さまと比べられてしまう


それは秋篠宮さまの、天皇家への遠慮なのだと解説してくれた人がいた。新聞社で何十年も皇室取材に携わったジャーナリストだ。次男に生まれた秋篠宮さまは、長男である天皇家より目立ってはいけないという思いが強い、と。


今回の会見について、「家族とのエピソードが少ない」などといった指摘も出ていたが、「遠慮」という目で見ればあのくらいが適量なのかとも思えてくる。同時に、何を言ってもネット民へのガソリンになってしまうと思ったのかもしれない。


そんな深読みをしてしまうほど、悠仁さまは大変だ。この大変さを解決するには、皇室の時代にあったあり方を考えるほかにない。だがそれを論じるべき国会の動きは、すごく鈍い。「女性宮家の創設」や「旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎える」ことを与野党で協議していると時々伝えられるが、本音のところは「悠仁さまがいるのだから、慌てて議論する必要なし」ではないだろうか。


一方、世論では女性天皇という選択肢がメジャーになっている。2024年5月の毎日新聞の世論調査によると、81%が女性天皇に賛成だという。ジェンダー視点からも、そして安定的皇位継承の観点からも、「愛子天皇」を思う人は増えこそすれ、減ることはないだろう。だからこれからもずっと、悠仁さまは何かをするたびに愛子さまと比べられるに違いない。


4月から筑波大学生命環境学群1年生になる悠仁さまで気掛かりなのは、通学手段でもどこに住むかでもなく、このことだ。


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矢部 万紀子(やべ・まきこ)
コラムニスト
1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。宇都宮支局、学芸部を経て、週刊誌「アエラ」の創刊メンバーに。その後、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理、書籍編集部長などをつとめる。「週刊朝日」時代に担当したコラムが松本人志著『遺書』『松本』となり、ミリオンセラーになる。2011年4月、いきいき株式会社(現「株式会社ハルメク」)に入社、同年6月から2017年7月まで、50代からの女性のための月刊生活情報誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長。著書に『笑顔の雅子さま 生きづらさを超えて』『美智子さまという奇跡』『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』がある。
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(コラムニスト 矢部 万紀子)

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