日本人だけがそのスゴさに気づいていない…セナ、シューマッハと肩を並べた「F1界の大谷翔平」が鈴鹿を走る意味

2025年4月5日(土)14時15分 プレジデント社

2025年4月3日、鈴鹿国際サーキットで開催された2025 F1世界選手権シリーズ Lenovo 日本グランプリレースのメディアデーに参加したオラクル・レッドブル・レーシングの#22角田裕毅(日本) - 写真提供=Lapeyre Antoine/ABACA/共同通信イメージズ

4月4日、F1日本グランプリが鈴鹿サーキットで開幕した。エンタメ社会学者の中山淳雄さんは「注目は日本人ドライバー角田裕毅だ。日本GP直前にレッドブルというチームに移籍したが、これは日本のモータースポーツの歴史に残る事件といえる」という——。

■F1でおきた日本人ドライバーの衝撃の移籍


今シーズンのF1グランプリ開始すぐに、日本人ドライバー角田裕毅がレッドブル移籍という激震が走った。


レッドブルは、2022、23年と2年連続で優勝したトップチームだ。ファーストドライバーといわれるエースはマックス・フェルスタッペンという4年連続F1チャンピオンになった今F1界で最も輝いている男である。


そこに角田が移籍したことがなぜ“激震”なのか、について昨今のF1事情を含め説明したい。


写真提供=Lapeyre Antoine/ABACA/共同通信イメージズ
2025年4月3日、鈴鹿国際サーキットで開催された2025 F1世界選手権シリーズ Lenovo 日本グランプリレースのメディアデーに参加したオラクル・レッドブル・レーシングの#22角田裕毅(日本) - 写真提供=Lapeyre Antoine/ABACA/共同通信イメージズ

F1は10チームが2名ずつドライバーを出し、全20名によって年間23カ国のレース場で競争するスポーツだ。つまり世界でのトップ20人「しか出られない」という意味では、他スポーツではありえないほど狭き門の世界だ。


毎年3〜11月の9カ月間、欧州、南米、アジア、中東とほぼ毎週のように移動し、火〜水でマシン整備、木〜日で本番とその準備を延々と繰り返す。年間22〜24回のレースを行い、その合計ポイントで年間のチャンピオンが決まる。


現在、日本でのF1への関心はイマイチで低迷中、といったところだろう。


かつて1990年代前半のバブル期に、フジテレビが片山右京アイルトン・セナの姿を放映していたが、その頃までが人気のピークだった。


■日本での人気はイマイチだけれど…


2024年の鈴鹿では3日累計で「22.9万人」と、1994年と2006年に記録した36万人という水準にはここ最近達していない。これは世界二十数カ所の開催地の中ではかなり下位の集客数となっている。


底打ちした2017年以来漸増傾向であるとはいっても、かつての「ブーム」と言えるような規模にはなっていない。


Formula1 Data/F1情報・ニュース速報解説「F1日本GP:歴代観客動員数の推移 1987年〜2024年までの歩みと背景」より筆者作成

しかし、世界に目を向けるとF1は毎年400万人が観戦し、20億人が視聴するスポーツとなっている。F1の運営権が2017年にアメリカのメディア企業に移ったことから、一気に市場の開拓が進んだ。


F1はスポーツビジネスとして劇的に変化し、過去最大の盛り上がりを見せている。象徴的といえるのは、2019年に始まったNetflix「栄光のグランプリ」の放送だろう。これにより、それまでF1に関心の薄かった若年層、とくにアメリカ大陸のファンを一気にひきつけたのだ。F1が1920年代の欧州から始まり、100年かけてどういった歴史をたどってきたかについては前回記事に詳しい。


F1に参入する企業も相次ぎ、いまやサッカーやアメリカ4大スポーツに次ぐトップスポーツの一角をなす。観戦チケットの値段も日本円で5万〜10万円と高価格だが、各地のレースでは完売が続いているのだ。


■ドライバーの能力=チーム力ではない


F1の魅力はなんといっても速度。平均持続230km、最高時速約400kmは陸上のあらゆるスポーツで最高地点だ。だがその見返りとして身体への負担は過酷そのもの。フルブレーキを踏むと300kg級の負荷がかかり、失神することも珍しくない。


コックピット内は気温50〜60度。動かない操作系スポーツでありながらが、心拍数180回/分、陸上の800m走を続けているような動悸の中、約2時間のレース中はわずかな集中力のブレも許さない(下手すると死ぬ、という競技は他のスポーツにはない恐ろしさだろう)。


レーサーが持つハンドル(操作盤)はまるで戦闘機のパイロットの操縦桿で、何十パターンもあるボタンの組み合わせをコンマ何秒のタイミングで、2時間ほどのレース中判断し続けないといけない。


「究極のスポーツ」という表現がなんともぴったりなF1だが、その究極性はレースの外側にこそ広がっている。F1においてレーサーのアスリートとしての「実力」は最低条件にすぎないからだ。


F1はマシンを使い、大量のチームがサポートする。1選手の技量以外の部分が強く作用してくるスポーツだ。だからこそ、傑出したレーサーは「どのチームに所属するか」「そのチームにスポンサー・協賛はどのくらいバックアップがあるか」といった周辺環境が死活問題なのだ。


チームを支えるチームごとの組織は300〜1000名を擁する一大会社組織となっており、当日レースピットに見える数十人というのはあくまで氷山の一角に過ぎない。


写真=iStock.com/ZRyzner
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ZRyzner

■200億円が2人のドライバーに注ぎ込まれる


総責任者である「チーム代表」はもちろん、チームの所有者である「オーナー」の意向にも配慮しながら組織をまとめつつマシン開発を担う「テクニカルディレクター」がいる。


もちろん、レース中の分析を行う「ストラテジスト」も。


それらが1チームとなって2人のエースドライバーに付きっ切りとなる。この大集団は世界中をサーキットサーカスしながら、全10のチームの争いの中で逐次指令を出し、勝ち抜いていく。


勝利にはそれ例外の要素も必要だ。車体を開発し運営する技術力、そこにチームとしての組織力があり、スポンサー・協賛を味方につける調達力、協会交渉から選手引き抜きまで含めた政治力も必要になる。ひとつのグランプリ優勝の背景にこれだけ多くのヒト・モノ・カネが結集しているスポーツは他にないだろう。


1チーム予算は年間50億〜200億円といわれる。それがたった2人のドライバーが勝利するために費やされているのだ。そのチームのドライバーになるだけでもすごいのだが、F1界でトップに君臨するレッドブルというチームに、角田裕毅は入り込んだのだ。


英国・バッキンガムシャーにあるレッドブル・レーシング、ミルトン・キーンズ(写真=Morio/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

■フェラーリ、メルセデスよりも上のレッドブル


レッドブルについて説明していこう。


エナジードリンク「レッドブル」のシリーズで知られるオーストリアの企業であるレッドブルは、フォードからチームを買って、2005年からF1に参入した。


2010年にランキング1位を獲得。それ以後も好成績を収め続け、10〜13年、22〜23年に優勝している。


歴代のチーム別勝ち星数(1位獲得数)をみると、いかに“資本主義的”で偏った世界かが見えてくる。フェラーリ、マクラーレン、メルセデンス・ベンツ、このトップ3だけで1950年からの累積回数の5割を占めてしまう。


出典=motorsport-total.comより著者作成

だが鳴り物入りで入ったレッドブルはたった20年で歴代5位の113勝をおさめており、「21世紀におけるトップチームの一角」といってよい。


対して角田がこれまで所属していた「アルファタウリ」(レッドブルグループ)は改称前の「ロッソ」時代も含めて勝ち星ゼロ、である。ホンダがこの半世紀、何度もF1に参入しては撤退し、過去3度だけ勝利したがまだまだ“世界の背中”は遠い、それほどまでにチームごとの力に差があるのがF1の現状だ。


ちなみに、ここ2〜3年のレッドブルの年間獲得賞金は200億円前後で、2023年はメルセデスやフェラーリを抜いて1位となっている(レッドブル:約207億4000万円、メルセデス:約194億1000万円)。下位のアルファタウリというチームで100億円程度だ。


2022年10月7日、9年ぶりにダブルタイトルを獲得したRB18(写真=ごひょううべこ/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

■これはもう事件といえる


レッドブルの企業業績は絶好調だ。71億€(2020)→112億€(2024)とこの5年で1.5倍に成長、彼らが参考にし「リポビタンD」で成功していた大正製薬の10倍規模にまで成長している。これはまるで「オニツカタイガー」で有名だったアシックスの代理店から始まったナイキが、15倍規模になってしまったのと同じような話だ。


各社が先を競うがゆえに、F1カーの開発費はずっとうなぎ上りだった。1台4億ドル(約600億円)にまではねあがった2020年までの開発費の過当競争をみて、ルール制限が設けられ、近年は1.5億ドルの製造・開発費に「引き下がって」はいるものの、この段階でももはやハリウッドの超大作映画1本分である。


そもそも“消耗品”でもあるタイヤ自体が1セットで数十万円という単位である。それを1レースに何度も履き替え、事故でも起こした日には修理で数千万円〜数億円が吹き飛ぶ。1人のレーサーが育つまでに、一体いくらのお金が溶かされてきたのかを想像すると眩暈すら覚える。


だからこそ、である。角田がトップチームのレッドブルに(2024年末に業績を残せずに契約を打ち切られたセルジオ・ペレスに代わってセカンドドライバーとはいえ)迎え入れられたことが、いかに大きな“事件”であるかということを改めてみてもらいたい。


フェラーリのミハエル・シューマッハ、マクラーレンのアイルトン・セナ、メルセデスのルイス・ハミルトン……。F1に興味はなくとも、トップチームのドライバー名だけは聞き覚えがあるのではないだろうか。錚々たるメンツに角田がひとまず並んだ。そして、F1の世界トップ級に足をかけるチャンスがグッと広がったといえるのだ。


義兄弟セバスチャン・シュタール(左2人目)とシューマッハ(2003年)(写真=パドック1990/Self-published work/Wikimedia Commons

■なぜ角田が選ばれたのか


そもそもなぜ下位チームに所属していた角田は一気にトップチームに駆け上がったのだろうか。


2000年生まれの角田裕毅はモータースポーツをしていた父の影響で4歳からキッズカート、ジュニアカート競技で育った。2015年にフォーミュラにデビュー、2018年に欧州に移住。2019年F3→2020年F2→2021年F1アルファタウリでのデビューするときには「20年に一度の大型ルーキー」と称され、日本人選手としては最年少でF1ドライバーだった(中島悟が34歳、佐藤琢磨が25歳、小林可夢偉が23歳でデビュー)。


だがメンタルスポーツとしてのF1に苦戦した時期もあった。コックピットにおけるチームとの会話は放送・配信されている。そこで感情的になる映像がしばしば映し出されたのだ。アグレッシブさの現れとも言えるが、安定性に欠くと判断されたのだ。


アルファタウリ時代の角田の年間を通じた成績は14位(2021)→17位(2022)→14位(2023)→12位(2024)。順位だけみてみれば、そのすごさの実感がわきにくいかもしれない。


だが堅実な走りを見せており、2023年の鈴鹿では10位(20人中10位以上に入るとポイントがつく)にもランクイン。この実績や、感情のコントロール面での改善、レッドブルが不調だったドライバー(ペレス)の代わりを探していたことなどがあり、今回のシンデレラストーリーが実現するところとなった。


■再び日本でF1ブームとなるか


1950年以来、登録されている世界F1ドライバーは781人。これはあらゆるスポーツのなかで最小。かつて宇宙飛行をした経験者は人類のなかで700人弱、それと同数なのだ。


筆者作成

この大舞台に立つことが許された日本人は20人前後。それ以上に「現役としてレースに出続けること」がいかに難しいかは、過去片山右京で6年(現役1992〜97年)、佐藤琢磨(2002〜08年)と中嶋悟(1987〜91年)が5年、10年前に小林可夢偉(2009〜14)が4年間という記録からもわかるだろう。


日本人F1選手の年間戦績は、中嶋悟が12位(1987、ロータス)、片山右京が17位(1994、ティレル)、佐藤琢磨が8位(2004、BAR)、小林可夢偉が12位(2012、ザウバー)である。


こうした中で、下位チームから常勝軍団レッドブルの2名しかない枠のトッププレーヤーに選ばれた角田は、「F1界の大谷翔平」とでもいえるような衝撃だ。今後「出場記録」としては片山右京を超え、「順位」としては佐藤琢磨を抜く可能性がグンと上がった、ということになる。


これでF1ファンが盛り上がらないわけがない。


Z世代アスリートのグローバルでの活躍が目覚ましい。1994年生まれの大谷翔平(野球)に始まり、同年齢の羽生結弦(スケート)や渡邊雄太(バスケ)。1993年の井上尚弥(ボクシング)、1997年の三笘薫(サッカー)や2001年の久保建英(サッカー)らと並び、いや確率論でいえばそれら以上に希少な角田裕毅の活躍は、F1という「バブルで終わった」スポーツに再び耳目を集める最大のチャンスが来たといってよいだろう。


2025年4月4日、F1第3戦日本GPが開幕する。そして今週末4月5〜6日でホームの鈴鹿で角田がどんな走りをみせるのか。そしてセナやシューマッハなど名だたる名ドラーバーにどれだけ近づけるか、非常に重要なポイントとなるだろう。


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中山 淳雄(なかやま・あつお)
エンタメ社会学者、Re entertainment社長
1980年栃木県生まれ。東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。著書に『エンタの巨匠』『推しエコノミー』『オタク経済圏創世記』(すべて日経BP)など。
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(エンタメ社会学者、Re entertainment社長 中山 淳雄)

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