五代目瀬川と蔦重の純愛関係は史実だったのか…「ドラマにおけるフィクション」と言い切れないこれだけの理由

2025年4月6日(日)8時45分 プレジデント社

2019年オスカープロモーション晴れ着撮影会で着物姿を披露する小芝風花さん=2018年12月4日、東京都港区の明治記念館 - 写真=時事通信フォト

NHK大河ドラマの主人公・蔦屋重三郎と吉原の花魁・五代目瀬川はどんな関係だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「吉原で働く男性と女郎の禁断の関係は珍しくなかった。ふたりが親密関係にあっても不思議ではない」という——。
写真=時事通信フォト
2019年オスカープロモーション晴れ着撮影会で着物姿を披露する小芝風花さん=2018年12月4日、東京都港区の明治記念館 - 写真=時事通信フォト

■NHK大河の「小芝風花の魂の演技」をあなたは見たか


五代目瀬川(小芝風花)を1400両(1億4000万円程度)で身請けした盲目の富豪、鳥山検校(市原隼人)は、彼女の心が吉原にあって自分にはないと疑いはじめた。そして、吉原の人たちへの親しみと検校への親しみは別のものだ、と説明する瀬川(瀬以と呼ばれている)に「どこまで行こうと女郎と客、ということだな?」と突き放すように言った。NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の第13回「お江戸揺るがす座頭金」(3月30日放送)。


その後、検校は瀬川を屋敷の離れに閉じ込め、従者に彼女の部屋を調べさせると、蔦重がつくった本が出てきたので、検校は瀬川の心が蔦重にあると確信する。そして瀬川に、蔦重との不義密通の疑いをぶつけ、瀬川が否定しても聞き入れず、「いくら金を積まれても心は売らぬ。そういうことであろう?」と問うた。


そこまでいわれて瀬川は腹をくくり、かつて使っていた廓言葉で表明した。「蔦重はわっちにとって光でありんした。重三を斬ろうがわっちを斬ろうが、その過去を変えることはできんせん」。


そのうえで、蔦重への思いが消えればいいと願っていると伝え、検校の刀を手にとって自分の胸に当て、「信じられぬというならどうぞ。ほんにわっちの心の臓を奪っていきなんし」と、毅然と言い放った。


小芝風花の魂がこもった演技に、しびれた視聴者も多いのではないだろうか。


■蔦重と瀬川の本当の関係


そして、4月6日放送の第14回はタイトルも「蔦重瀬川夫婦道中」。次回予告では、蔦重と瀬川が抱き合う場面が流れた。「夫」の鳥山検校が悪質な座頭金、すなわち目が不自由な人に対する幕府の保護策を逆手にとった高利貸しで摘発され、蔦重と瀬川のあいだにあらたな展開が繰り広げられそうだ。


ここまで蔦重と瀬川は、幼馴(な)じみであるだけでなく、ともに男女として思い合っている関係として描かれてきた。第9回「玉菊燈籠恋の地獄」(3月2日放送)では、瀬川が鳥山検校に身請けされそうだと耳にした蔦重は、「俺がお前を幸せにしてえの。だから、行かねえでください」と瀬川に告白している。


それは瀬川が待ち望んでいた言葉だった。2人は将来を誓い合い、瀬川の年季が明けるまで待つのが困難だと認識してからは、蔦重は足抜け、すなわち瀬川を吉原から逃がす計画まで立てた。


さて、「べらぼう」で描かれる蔦重と瀬川の純愛関係は、はたしてどこからどこまでが史実で、どこからどこまでがフィクションなのだろうか。


清水晴風[編]『あづまの花 江戸繪部類』(画像=国立国会図書館デジタルコレクション

■意外な蔦重の生い立ち


蔦重は寛延3年(1750)正月7日に生まれたという。国学者で狂歌師としても知られる石川雅望による蔦重の墓碑銘には、「喜多川柯理(からまる)、本姓は丸山、蔦屋重三郎と称す。父は重助、母は広瀬氏、寛延三年庚午正月初七日、柯理を江戸吉原の里に生みて出づ。幼にして喜多川氏の養う所となる」と記されている。(カッコ内は編集部作成)


また、戯作者の太田南畝(なんぽ)の手になる蔦重の母の墓碑銘には、「広瀬氏は書肆(しょし)耕書堂の母なり。諱(いみな)は津与、江戸の人。尾陽の人丸山氏に帰し、柯理を生む」とある。


そこからわかるのは、蔦重は尾張出身の(尾陽とは尾張地方のこと)丸山重助と江戸生まれの広瀬津与のあいだに、吉原に生まれたが、幼少時に実の父母のもとを離れ、喜多川氏に育てられた、ということである。丸山重助が吉原にいた理由はわからないが、だれかを頼って尾張から出てきたのだろう。喜多川氏のことも具体的にはわからないが、吉原で「蔦屋」を名乗る妓楼や引手茶屋を経営していた者だとされる。


蔦重はのちに天明3年(1783)になってから、実の両親を自身の新居に迎え入れているから、関係が切れたわけではなかったようだが、なんらかの理由で幼少時に親元を離れ、以来、喜多川氏のもと吉原で育ったということのようだ。


山東京伝『箱入娘面屋人魚』(部分)(画像=国立国会図書館デジタルコレクション/PD-Japan/Wikimedia Commons

■2人が幼馴染だった可能性は…


一方、五代目瀬川については生年もふくめ、前半生のことがなにもわかっていない。わかっているのは、妓楼の松葉屋に伝わる名跡「瀬川」を継いだのち、安永4年(1775)に鳥山検校によって身請けされた、という一事に尽きる。


したがって、もうおわかりと思うが、蔦重と瀬川が幼馴じみで相思相愛の関係にあった、というのはフィクションである。だが、その描き方に違和感を覚えるかといえば、私には違和感はほとんどない。以下にその理由を述べようと思う。


瀬川の生年はわからないが、身請けされた年がわかっているので推測はできる。禿(かむろ)や振袖新造を経て、女郎が一人前に客を取りはじめるのは16〜17歳ごろが多かった。そこから呼出しや昼三といった花魁として認められ、「瀬川」という名跡を継ぐまでには、それなりの時間がかかったとするなら、身請けされた安永4年には20歳は過ぎていた可能性が高いのではないだろうか。


蔦重は瀬川が身請けされたときには、満年齢で25歳だった。瀬川と同じ年齢だった可能性も否定はできず、年齢差があっても4〜5歳程度なら、同世代といっても差し支えなかろう。女郎は一般に、子供のうちに貧しい農村などから吉原に売られてくるケースが多かったことを思えば、吉原で生まれ育った蔦重と瀬川が幼馴じみだった可能性は、決して低くはない。


■「べらぼう」が描く吉原の現実


蔦重は前述のとおり、幼くして実の父母と引き離され、幼少期に困難を強いられたことは想像に難くない。「べらぼう」では、蔦重も瀬川もともにつらい幼少期を過ごしたため、答えが出ない事柄の前ではいつも、楽しい空想を巡らせてきた、という設定になっている。


むろん、史実の2人についてはわからないが、2人がともに楽しいことでも考えていないと気が紛れないような、つらい幼少期を過ごした可能性は高く、仮に本当に幼馴じみだった場合、意気投合したとして少しも不思議ではない。


要するに、2人の関係はフィクションであっても、当時の吉原の現実がこの2人の姿によく映し出されている。だからフィクションの人間関係にリアリティーがあるのである。


仮に幼馴じみではなかったとしても、蔦重が瀬川と面識がなかった可能性はほとんどない。蔦重が吉原大門口の五十間道に書店を開店したのは、安永元年(1772)とされる。遅くともそのころには貸本業に勤しみ、吉原の妓楼や引手茶屋などに足繁く通って本を届けていたと思われる。


また、吉原のガイドブックである『吉原細見』を販売するだけでなく、『細見』のための情報を集め更新する「改め」の仕事もしていたので、そのためにも吉原をくまなく歩いていたはずだ。そもそも改めの仕事が得られたのも、吉原に精通していたからだろう。


瀬川(名伎三十六佳撰)(画像=国立国会図書館デジタルコレクション/PD-Japan/Wikimedia Commons

■禁断の関係になった男女が向かった場所


だから、蔦重と瀬川のあいだに信頼関係や、それを超えた相互の恋愛感情が、あったとしても不思議ではないし、なかったと言い切ることはできない。


ただし、吉原では女郎が吉原で働く男と恋愛関係に陥ることは固く禁じられていた。下働きの若者はむろんのこと、妓楼の楼主であっても厳禁だった。女郎は吉原にとって大事な商品であり、いわば資本だった。吉原で働く男がそこに手をつけ、秩序を乱してしまっては、商売は成り立たない。


だから、吉原の男は、近くの岡場所、すなわち非公認の遊里で遊ぶのが一般だったが、吉原内の恋愛がご法度だったのは、裏を返せば、現実にはそれが多かったからでもある。揚屋町の裏手には、通商「裏茶屋」という現代のラブホテルがあり、そこは禁断の関係になった女郎と吉原の男の逢瀬の場にもなっていた。


ただし、関係が発覚すれば、男は吉原を追放され、女郎は折檻を受けたり、別の店に移籍させられたりするなどのペナルティを科せられた。


『べらぼう』でも瀬川の花魁時代、彼女と蔦重がたがいの思いを公にしなかったのは、彼らが当時の吉原の掟に従って生きているように描かれているからである。現実には、吉原で暮らす男女のあいだにも、無数の恋愛関係があったようだが、いま述べたような理由で、歴史に記録されていない。そのなかに蔦重と瀬川というカップルがあったとしても、少しも不思議ではない。


だから、蔦重と瀬川の関係はフィクションであってもリアルなのである。


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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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