NHK大河の「五代目瀬川」と史実はここだけが違った…当時の浮世絵を見ればわかる吉原伝説の花魁の本当の姿

2025年4月13日(日)9時15分 プレジデント社

2022年オスカープロモーション新春晴れ着撮影会での小芝風花(=2021年12月9日、東京都港区の明治記念館) - 写真=時事通信フォト

NHK大河ドラマ「べらぼう」で小芝風花さん演じる、吉原の花魁・瀬川とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「彼女について残されている史料は多くはないが、ドラマでの描かれ方に違和感を覚えるところはほとんどない。ただ一点だけ、史実と異なる点がある」という——。
写真=時事通信フォト
2022年オスカープロモーション新春晴れ着撮影会での小芝風花(=2021年12月9日、東京都港区の明治記念館) - 写真=時事通信フォト

■五代目瀬川と蔦重のその後


幕府による盲人保護策を逆手にとった法外な高利貸し(座頭貸し)が摘発され、捕らえられた鳥山検校(市原隼人)。この男に身請けされ妻になっていた五代目瀬川(小芝風花)も連行されたが、追って釈放され、花魁時代に所属していた吉原の妓楼、松葉屋の預かりになった。NHK大河ドラマ「べらぼう」第14回「蔦重瀬川夫婦道中」(4月6日放送)。


吉原の五十間道にあらたに店を借り、年明け、すなわち安永8年(1779)正月から本屋を開くことになっていた蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)は、「できれば店、一緒にやってもらえねえかと思って」と瀬川を誘う。


そのときは、検校の妻なので不可能な話にしか思えなかった瀬川だが、行所の白洲で検校との離縁を言い渡された。瀬川の面倒を見ることは遠慮したいと、検校から申し出があったという。瀬川はそれを、蔦重への思いが消えない自分への検校のやさしさと受けとり、礼をいった。


ともかく、こうして瀬川が自由の身になったことで蔦重は大よろこびし、彼女と所帯をもって本屋を一緒に切り盛りする準備に奔走。2人で楽しそうに、あたらしい本のアイデアを出し合った。


ところが、年が明けると瀬川は手紙を残して姿を消していた。


■この点だけは史実と大きく異なっていた


瀬川は2つの理由から蔦重を慮って、みずから姿を消したのだった。


一つは、鳥山検校が多くの人から恨まれる存在で、その妻となった自分もまた、同様に恨まれていると認識したからだった。瀬川が一時的に身を置いていた松葉屋の寮に、堕胎して体調を崩した松崎(新井美羽)という若い女郎が運び込まれ、瀬川は身の回りの世話をしていたが、ある日、包丁で瀬川を襲ったのだ。座頭金に苦しめられて自殺した両親への恨みを晴らそうとした、とのことだった。


もう一つは、大文字屋(伊藤淳史)が神田に屋敷を買うべく、手付金まで払ったのに、取引が一方的に取り消され、それを奉行所に訴え出ると藪蛇(やぶへび)なことに、吉原の人たちは「四民の外」、すなわち士農工商の下だと判定されてしまったこと。これから本屋として羽ばたこうとしている蔦重にとって、吉原の代名詞のような自分が足かせになってはいけないと考えたのだった。


別れの手紙をしたためながらあふれ出る瀬川の涙に、涙を誘われた視聴者も多いのではないだろうか。


ここまで小芝風花の迫真の演技で、強い存在感を放ってきた瀬川。吉原という場所をさまざまに象徴するように描かれてきた彼女の登場がここまでかと思うと、瀬川ロスに陥りそうな気にさえさせられる。


ただ、ここまで「べらぼう」で描写されてきた瀬川像には、ひとつだけ大きく史実と異なる点があった。


■史実のとおりに描写すべきとは思わないが


それは「お歯黒」によって、歯を黒く染めていなかった点である。


最初に断っておくと、私は史実のとおりに描写すべきだったといっているのではない。むしろ、白い歯のままでよかったと思っている。小芝風花の瀬川がどんなに凛とした姿を見せても、どんなに健気な表情を見せても、口元から覗く歯が真っ黒だったら、げんなりする視聴者が多かったのではないだろうか。私自身、そうだったと思う。


お歯黒が現代人の美意識に著しく反する以上、その点で史実にこだわり、視聴者のドラマへの集中力を削ぐようなことをする必要はない。とはいえ、本当はどんな姿だったのか、だれがどんな理由でお歯黒にしていたのか、知っても損はないと思う。


芳年『風俗三十二相 しなやかさう 天保年間傾城之風俗』,綱島亀吉,明治21. 国立国会図書館デジタルコレクション(参照:2025年4月9日)

東西約327メートル、南北約245メートルの長方形の町だった吉原は、城郭のように堀で囲まれて女郎たちの逃亡を防いでおり、その堀は「お歯黒どぶ」と呼ばれていた。女郎たちが使ったお歯黒の汁をここに捨てたからとも、水がお歯黒のように黒ずんでいたからともいわれるが、いずれにせよ、吉原がお歯黒と縁が深い場所だったことを暗示している。


■なぜ花魁もお歯黒だったのか


江戸時代、女性は結婚するとお歯黒によって歯を染めるものだった。江戸時代も初期には、とくに武家の娘は8歳や9歳でお歯黒をしたようだが、蔦重の時代の庶民は結婚前後に歯を黒く染めていたようだ。要するに、成人するための通過儀礼のひとつがお歯黒だったのである。


成人女性の象徴にはもうひとつ、眉を剃り落とすことがあった。20歳以上の女性のほとんどが眉を剃っており、蔦重の時代には、出産を機に剃ることが多かった。「べらぼう」に登場する松葉屋の女将のいね(水野美紀)や、大黒屋の女将のりつ(安達祐実)ら、吉原の既婚女性たちは軒並み眉がないが、こうした理由による。


そして吉原の女郎も、振袖新造(まだ水揚げが済んでいない若い女郎)が女郎としてはじめて客をとる「突き出し」の日から、お歯黒にする習わしだった。


京都や大坂の女郎も原則、お歯黒に染めていたようだが、江戸では唯一の公認の遊郭である吉原を除くと、岡場所の私娼らは、また吉原でも芸者は、お歯黒にしていなかった。そもそも吉原の女郎たちも、未婚なのにお歯黒にしているということは、社会全体から見れば例外だったわけだが、あえてお歯黒にした背景には、客の一晩だけの妻になる、という意味がこめられていたともいわれる。


花魁を描いた錦絵も、口元をよく見ると、覗く歯は黒く塗られていることが多い。


このため、年季が明けて吉原から解放されれば、女郎の歯は白に戻っていた。しかし、瀬川に関しては、身請けされてすぐに鳥山検校の妻になったので、お歯黒のままだったはずである。


■男性も歯を黒く染めていた


お歯黒は日本最古の化粧ともいわれ、『魏志倭人伝』や『古事記』にまで記述がある。平安時代に、最初は女性の成人の儀式として広まり、平安末期には男性のあいだにも広がった。したがって、昨年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の登場人物も、史実においては女性を中心に、多くがお歯黒にしていたはずである。


この習慣は次第に男性のあいだにも広がり、戦国時代には成人の儀式として定着したようだ。ということは、一昨年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の登場人物も、史実においては名立たる武将までが、お歯黒だった可能性がある。


だが、太平の世が終わると、天皇や公家を除いて男性がお歯黒をすることはなくなり、一般のあいだには、女性の化粧習慣として残ったのである。


ところでお歯黒は、大きく分けて2つもので構成されていた。ひとつは五倍子(ふし)粉。これはウルシ科のヌルデという木にできる虫こぶを粉にしたもので、タンニンが主成分だった。もうひとつはお歯黒水。酢、米のとぎ汁、酒、茶汁などからなる液体(酢酸)に針や釘などを入れた、つまり鉄を溶かした茶褐色の溶液で、鉄漿水(かねみず)とも呼ばれた。


ヌルデ、フシノキ(写真=KENPEI/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons

お歯黒水を沸かし、それに五倍子粉を混ぜたものを、楊枝で歯に塗っていたようだ。2つの成分が化学反応によってタンニン酸第二鉄に変化し、歯のエナメル質に染みこんで、黒く染まったという。


■予防歯科としての役割


こんなものを歯に塗るなんて体に悪かったのではないか、と想像してしまうが、むしろ逆だったようだ。


タンニンには歯や歯肉のたんぱく質を引き締め、細菌から守る作用があるという。また、お歯黒水の主成分の第一鉄イオンは、エナメル質の主体であるハイドロキシ・アパタイトの耐酸性を向上させるという。また、エナメル質に染みこむ前述のタンニン酸第二鉄にも、歯の表面を覆って細菌が入るのを防ぐ効果があるという。


さらにいえば、歯垢をよく除いてからでないとお歯黒は染まりにくかったので、女性たちはみな楊枝で歯垢を丹念に除去していて、そのことも虫歯予防に効果的だったそうだ。


お歯黒の道具(写真=KKPCW/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

幕末から明治期に来日した欧米人は、お歯黒に染めた女性を見て女性差別だと明治政府を批判したため、政府は華族を対象にお歯黒禁止令を出している。しかし、現実には、お歯黒の風習は差別とは無関係の、日本の美意識にもとづくものだった。そればかりか、欧米人がまだ気づいてもいない予防歯科を、日本人はお歯黒を通じて実践していたのである。


だから、瀬川がお歯黒に染めていても、あの凛とした姿勢が損なわれるものではなかった。とはいえ、私の感想をいえば、黒い歯の瀬川だったら、強く感情移入できたかどうか自信がない。


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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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