断捨離が行き過ぎると「孤独」な未来が待ち受ける…精神科医が「ここ数年急増している」と語る"患者の種類"
2025年5月19日(月)16時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SvetaZi
※本稿は、川野泰周『半分、減らす。』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
写真=iStock.com/SvetaZi
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■実は危険な「捨てる快感」
物が増え、「片づけられない人たち」が増えていることを背景に、2000〜2010年代にかけて、「断捨離」が一大ブームとなりました。
この本も、一見そうした断捨離術を紹介する本なので、矛盾するようですが、あえて警鐘を鳴らしたいことがあります。それは、
「断捨離には、いきすぎてしまう危険がある」
ということです。
物を買うときって、ちょっと気持ちが高ぶりますよね。欲しい物が手に入れば、誰だってうれしいもの。
でも実は、物を捨てるときも気持ちが高ぶることを、知っておられるでしょうか?
バンバン物を買うのも、バンバン物を捨てるのも、同じくらい気持ちが盛り上がることがあるのです。
これにはちょっと注意が必要です。
「中道の精神」を尊ぶ仏教的観点に立つと、「高揚感」に引きこまれるようにして行動してしまうことは、たしなめられるべきこととされているのです。
なぜなら、一時の気持ちの盛り上がりにまかせて行なったことは、だいたいあとで悔やむことになってしまうからです。
■フリマアプリの普及で加速する過剰消費の連鎖
そのことを私は、日々の診療を通しても実感しています。「買ってから後悔する」あるいは「捨ててから後悔する」ことを繰り返してしまう方が少なくないからです。
なかには「買ってから後悔して売る。売ってお金が入ると、また高揚感が出てきて、本当は必要のない物を買ってしまう。それでまた後悔して、また売って……」ということを繰り返しているという方もおられました。
最近ではフリマアプリなどネット上のサービスを使って、個人同士で物を売ったり買ったりすることがすっかり身近になりました。
とても便利で、物を大切に再利用できる画期的なサービスですが、残念ながらこうした便利なシステムが、さらなる過剰消費の連鎖を生んでしまっている現状も見逃せません。
■「捨てる快感」と「手に入れる快感」は似ている
以前クリニックで、「捨てることに快感を覚える、その感覚は、買うことで生じる快感とよく似ている」とおっしゃっていた患者さんがいらして、印象的でした。
高揚した気持ちの勢いにまかせて、要・不要を考えずに捨ててしまい、「あー、あれは捨てなきゃよかった」と後悔して落ちこんでしまう。そんな気分のアップダウンを繰り返す人が少なくないのです。
なかでもとくに気をつけたいのが、ファッション感覚で「ミニマリスト」を自称する人たちの影響です。
「物を持たないのがかっこいい」とのポリシーのもと、極端に物を減らし、なかには人間関係までもスパッと、まるで服についたホコリや糸くずを払うかのごとく切り捨てる人がいます。
写真=iStock.com/Tatsiana Hancharova
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tatsiana Hancharova
捨てることの高揚感から、人間関係においても勢いにまかせ、「つい、やりすぎて」しまうわけです。
でも本当のところは、心が追いついていないことにご本人は気づいていません。肝心なことは、こうした人はミニマリストという言葉を使って、「人と向き合うことをしない選択」をしているということです。
他者と心をこめて向き合うことができない、その背景には自分自身と向き合い、自らの存在をあるがままに認めることへの臆病さが垣間見えるのです。
物や人をどんどん捨てていくことの快感とは裏腹に、ますます孤独感を深め、日々が寂しいものになっていく——。
はたと気がついたとき、本当に一人きりであることを感じた……そんな苦しさを抱えてクリニックにいらっしゃる方が、ここ数年とても増えていることを実感します。
■自分に「待った!」をかける習慣
私たちの心はシーソーのようなもので、気分のいい状態と悪い状態がバランスを取ってゆらいでいます。
精神医学的には、躁状態とうつ状態といいますが、治療が必要なレベルではないにしても、誰しも軽い高揚感や憂うつといった気分のゆらぎを経験しながら生きています。
いつも高揚感と多幸感に満たされて一生を過ごすことができればいいのでしょうが、そうはいかないのが人間の心と脳のシステムです。
大きく高揚したあとには、必ずぐったりと疲れて意欲が出なくなるときがある。それが自然な心のバランスです。
むしろそうして意欲が低下するからこそ、私たちは心と体を休めることができる、と考えるべきでしょう。
しかし、気分の高揚にまかせて物を買ったり捨てたりという、ある意味「あと戻りのできない」行動を取ってしまうことは危険といわざるを得ません。
なかには、
「知人が最近ミニマリストを自称するようになった。SNSにその様子をアップして周囲にアピールしたり、自分にもこんなにいいものだから断捨離をやってみたほうがいいとすすめたりしてくるようになり、どう対応したらいいか迷っていた。
ところがある日突然、連絡が途絶えてしまった。何カ月も返信がないのでさすがに心配になって、その人の親しい友人や親せきにどうしているのかと聞いてみると、うつになって療養生活を送っていた。仕事もやめ、自宅にこもって苦しんでいたことを知った」
というご友人を心配する相談もありました。
高揚した気分にまかせて断捨離とそのアピールに力を使いはたしてしまい、心の不調をきたしてしまったのです。不要な物だけでなく、心のエネルギーまでも断捨離してしまうことは、避けなければなりません。
物を買うときも、捨てるときも、いずれの場合も行動に出る前に、自分自身に「待った!」をかける必要があります。
写真=iStock.com/karinsasaki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/karinsasaki
高揚感にも「句読点」を打つ感覚でひと息入れて、「これ、本当に必要だろうか? もう一度よく考えよう」「捨てるのは、まず半分にしておこう。あと半分は、あらためて検討しよう」などと心のなかで自分に語りかけてあげることが大切です。
単純なことのようですが、実はこういった習慣は、とても大きな助けとなってくれるのです。
■書籍の整理術も、新しい時代に突入
本なども捨てるべきか否か、迷う方が多いのではないでしょうか。
ひと昔前までは「本はできるだけ取っておく、雑誌は古くなったら捨てる」といった明確な基準で整理していたという方が多いでしょう。
しかし最近では本、つまり「ブック」と、雑誌、つまり「マガジン」のいいところを掛け合わせた「ムック本」という形態の書籍が多数登場して、書店などでもムック本が所狭しと並んでいるのを見かけます。
つまり、形は雑誌のように見えるけれど、内容はあるテーマに特化して深く掘り下げる書籍に匹敵する充実度を特徴とした出版形態なのです。
比較的安価で手軽に買えて、大判で読みやすく、かつ専門性も高いという利点を有するこのムック本はとても重宝します。
だからこそ、雑誌のように捨ててよいのか、保管しておくべきなのかの判断がとても難しいという声も。残しておくにはサイズが大きいため、場所をふさいでしまうと感じている人も少なくないようです。書籍の整理術も、新しい時代に突入しているのかもしれません。
そこで私は、本棚のなかを、書籍の「形態」にこだわらず、たとえば薬剤のガイドブックや病気の診断基準をまとめた本など「いつも手元にないと心配になるくらいよく調べる本」と、「いつか時間ができたら読みたい本」にコーナー分けすることにしました。
新書、文庫、ムック本、あるいはこれだけは永久保存版だと思う雑誌と、種類はさまざまですが、だいたいの大きさ順で並べておけば見た目もスッキリしますし、これで特別不便さを感じたことはありません。
急いでいるときには本棚の左半分を、時間ができてゆっくり読書したいときには右半分を探せばいいので、必要な本を見つけるのがとてもラクになりました。
■私の「これだけは捨てられない本」
また「読了した本」で、「何度でも読みたい本」は本棚の奥のほうのコーナーに収め、「たぶん読み返すことはないけれど、捨てたくない本」は段ボール箱に入れて、押入れにしまっています。
川野泰周『半分、減らす。』(三笠書房)
もちろん、これはもう読まないだろうから誰かにお譲りしたいと思った本は、古本を扱う業者さんに持っていくなどして、適宜処分しています。
本というのは不思議なもので、同じ本でも自分の年齢や置かれた環境によって、まったく違う学びや気づきを得ることができたりします。「感動が新たになる」とでもいう感覚です。
私が4歳か5歳だった幼稚園時代に保育士の先生から読み聞かせをしてもらった本に、絵本作家の五味太郎さんが書かれた『がいこつさん』(文化出版局)という作品があります。
肉も皮もない、白骨だけのガイコツが主人公という衝撃的な設定なのですが、なんともほのぼのしていて、それでいていろいろな気づきがあるこの本が大好きで、40代になったいまでも大切に読み続けています。
とはいってもしょっちゅう読んでいるわけではなく、2年か3年に一回、忘れたころにふと手にしてめくってみると、毎回そのときの自分自身に照らして、新たな発見があるのです。
もちろんすべての本を読み返していたら時間がいくらあっても足りませんが、ときとしてそんな「自分だけの名作」に出会えれば、読み返すたびに喜びがある。そのことを知っているので、本ばかりは「読んだからポイ」とはできない私です。
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川野 泰周(かわの・たいしゅう)
林香寺住職、精神科医
RESM新横浜 睡眠・呼吸メディカルケアクリニック副院長。1980年横浜市生まれ。2005年慶應義塾大学医学部医学科卒業。慶應義塾大学病院精神神経科、国立病院機構久里浜医療センターなどで精神科医として診療に従事。禅修行の後、2014年臨済宗建長寺派林香寺(横浜市)住職。寺務の傍ら都内及び横浜市内のクリニック等で精神科診療にあたる。『人生がうまくいく人の自己肯定感』(三笠書房)、『「精神科医の禅僧」が教える 心と身体の正しい休め方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など著書多数。
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(林香寺住職、精神科医 川野 泰周)