「バカな登山者を私たちの血税で助ける」構図は変えられない…「救助ヘリの有料化」ができない法的事情

2025年5月29日(木)9時15分 プレジデント社

美しい富士山だが、冬山に登るとなれば過酷だ - 筆者提供

閉山中の山に軽装で登った登山者が遭難して救助される事例が相次いだことから、救助費用の自己負担を求める声が高まっている。ジャーナリストの小林一哉さんは「有料化には法的な壁に加え、仮に有料化できたとしてもさまざまな運用上の支障をきたす恐れがある」という——。

■静岡、山梨が「救助有料化」を検討


静岡県の鈴木康友知事が5月22日、閉山期の富士山での防災ヘリによる遭難救助の有料化を検討するよう関係部局に指示した。


筆者提供
美しい富士山だが、冬山に登るとなれば過酷だ - 筆者提供

山梨県が地元自治体からの要望を受けて、防災ヘリの遭難救助の有料化の検討をスタートさせたことで、静岡県も足並みをそろえることになった。


鈴木知事は5月13日の定例会見で、「法律で(山岳などの)遭難救助は無料で行うことになっている。国で課題を整理して、まずは国でしっかりと検討してもらいたい」などと富士山の遭難救助の有料化に否定的な考えを示していた。


筆者撮影
防災ヘリの有料化検討を指示した鈴木知事 - 筆者撮影

ことしから富士山では、静岡、山梨両県で、そろって1人4000円を徴収する入山規制がスタートする。ご来光を仰いだあと、その日のうちに下山する無謀な「弾丸登山」への対策を盛り込んだ入山規制に重点を置いたものだ。


■有料化はできない公算が高い


富士山の防災ヘリの遭難救助については、静岡、山梨両県で相互に支援する協定を結んでいる。このため閉山期の富士山での遭難救助の有料化についても、とりあえず静岡県も山梨県と歩調を合わせて検討をすることになった。


ただ法律の縛りだけでなく、静岡、山梨の両県では事情がまったく違い、遭難救助の有料化には非常に多くの課題が山積する。


一部新聞で、山梨県は9月県議会に条例案の提出を目指すと報道されたが、実際には、両県とも課題を整理するだけで、今回の検討を終える可能性が高いとみられる。


■「有料化検討」で伝えたいメッセージ


富士山での防災ヘリ遭難救助の有料化の背景には、平地と山頂の気温差が20度以上もある富士山の過酷な自然環境をまったく承知しないで、安全装備や体調管理などを怠り、気軽に登山する人が多いことにある。


夏山シーズンでは単なる疲労などで体調を崩して、山岳救助隊への出動要請をすることが頻繁にある。


閉山期の冬山となれば、山頂付近は雪交じりの強風が吹きすさび、マイナス10〜20度前後の厳しい環境となり、救助要請を受けた山岳救助隊が事故に巻き込まれる恐れもある。


周囲の迷惑を顧みない無謀な登山者たちへの対応をどうするかが喫緊の課題だが、遭難救助に自己負担を求める以外に何らかの有効な手段が見つからないのが現状である。


防災ヘリの遭難救助の有料化検討で、登山者らに富士山の危険性をあらためて伝えたいのが本音だろう。


■1週間に2度救助された中国人留学生の呆れた言い分


静岡県富士宮市、御殿場市、山梨県富士吉田市の市長らが遭難救助の有料化を訴えたのは、中国人大学生の2度にわたる無謀な登山が多くの批判を浴びたことがきっかけである。


大型連休に入った4月26日、富士山8合目付近で「男性が倒れている。すり傷もある」などと付近にいた登山者から警察に救助要請があった。


静岡県防災ヘリと県警山岳遭難救助隊が出動したが、強風が吹きすさび、防災ヘリでの収容はできず、マイナス10度を下回る悪天候の中、陸路でたどり着いた同救助隊が高山病の男性を無事救助した。


27日未明、同救助隊が富士山スカイライン5合目まで担架で搬送、富士宮市消防本部の救急隊に引き継いだ。


この遭難者は中国人大学生(27)で、4日前の22日にも「滑り止めのアイゼンを紛失して下山できない」などと富士山頂付近から119番通報があった。


静岡県防災ヘリが点検中だったため、協定に基づいて山梨県防災ヘリが出動、大学生を救助した。


当時、5合目から上の登山道は閉山中であり、大学生は登山計画書を提出していなかった。冬山装備をそろえていたが、アイゼンを紛失するなど富士山の危険性を過小評価していた。


再び救助された際、「携帯電話の入ったバッグを置き忘れたので再び入山した」というあまりに無責任な発言もあり、多くの非難が浴びせられることになった。


気軽に救助を求めたが、民間ヘリを使った救助ならば50万円程度の費用負担があり、また民間のレスキュー隊が出動すれば、隊員1人当たり5万円程度の費用が必要となる。生命が助かったのだから、100万円でも安いのかもしれないが、当然、すべて無料である。


■法律で119番、110番は無料と決まっている


2度にわたる安易で無謀な登山を契機に、「救助費用を請求すべき」の声が高まった。これに対して、5月13日の会見で鈴木知事が「法律で遭難救助は無料で行うことになっている」と述べた。


それはいったい、どういうことか?


消防の任務や制度を定めた消防組織法8条は「市町村の消防に要する費用は、当該市町村がこれを負担しなければならない」としている。


つまり、「119番」通報での救助要請は法律上、有料化はできないことになっている。


また警察法2条は「個人の生命、身体及び財産の保護に任じることは警察の責務である」とし、警察官職務執行法3条は「警察官は要保護者を発見したときは応急の保護をなすべきこと」などを定めている。


こちらは、法律上、「110番」通報での救助要請が無料であることを明確にしている。有料化には警察法、警職法を変えるしかないが、それこそ無理な相談である。


■埼玉県は「ヘリ救助5分8000円」を徴収


それでも民間ではなく公共で、防災ヘリの遭難救助を有料化している事例がある。全国で埼玉県のみだが、2018年1月から手数料として遭難者から救助費用を徴収している。先の消防法8条は「市町村の消防に要する費用」であり、都道府県はこれに含まれないためだ。


画像提供=埼玉県
埼玉県の防災ヘリ - 画像提供=埼玉県

だから、埼玉県の事例にならえば、静岡、山梨の両県も遭難救助の有料化ができるのではないかと検討することになったようだ。


埼玉県は2017年3月の県議会で、防災航空隊の緊急運航業務に関する条例を改正した。雲取山、両神山、甲武信ケ岳など6つの山岳地域を定め、その山頂周辺の範囲の遭難救助については、防災ヘリが飛行した5分ごとに8000円を遭難者から徴収できるとしている。


学校の教育活動の一環などでは徴収は除外され、さまざまな減免措置もある。


2018年から2024年までの間に34件の救助を行い、飛行時間の平均が約66分だから、各遭難者が約10万円の費用を支払ったことになる。


埼玉県では2010年7月に山岳遭難救助に向かった防災ヘリが墜落して、県防災航空隊員ら5人が亡くなるという痛ましい事故が起きた。これを受けて、消防防災ヘリの安全確保を図ることを目的に条例改正にこぎつけた。


埼玉県では3機の防災ヘリ、県警ヘリ3機を有して、それぞれの役割分担を決めている。同県内には、消防防災ヘリを有している市町村はない。


県警ヘリが捜索などを行い、遭難者の救助を県防災ヘリが担うなどの連携協定がしっかりとできている。


■119番を有料化しても110番に集中するだけ


一方、静岡、山梨の両県では、埼玉県と事情が大きく異なる。


まず、静岡県の場合、県防災ヘリ1機、静岡市、浜松市の消防防災ヘリがそれぞれ1機、県警ヘリ2機の体制である。


消防組織法8条で、静岡、浜松両市の消防防災ヘリが有料で遭難救助に当たることはできない。静岡県は静岡、浜松の両市との相互協定に基づき、県内各地の事故などに連携して当たっているが、埼玉県同様に同法8条の規定には縛られない。


静岡市は南アルプスという3000メートル級の山岳地帯を有している。また浜松市も天竜川上流部までを広い範囲を持ち場としているから、緊急時以外に管轄地外での活動は期待できない。


消防組織法30条で、都道府県は区域内の市町村長の要請に応じて、航空機を用いて消防防災を支援できるとしている。


このため、富士山を管轄する富士宮市や裾野市、御殿場市などの首長の要請があれば、静岡県が防災ヘリで遭難救助に当たる。


画像提供=静岡市
静岡市の消防防災ヘリ - 画像提供=静岡市

埼玉県にならい、範囲を閉山期の富士山頂上付近に限定すれば遭難救助の有料化は理論上は可能かもしれない。


ただもし、「119番」の救助活動が有料となれば、登山者らは「110番」通報の県警ヘリに集中してしまうかもしれない。


埼玉県の体制と違い、静岡県では県警ヘリ2機と連携を取っているわけではない。それぞれが広い範囲を独自にカバーしている。いまのところ、役割分担を決めるわけにはいかないようだ。「110番」通報に集中すれば、思わぬ混乱が生じるだろう。


■「どの山を有料にするか」の議論も出てくる


山梨県の場合は、県の防災ヘリ1機、県警ヘリ1機で全県をカバーしている。市町村に消防防災ヘリはない。


静岡市が南アルプスを範囲にしているが、山梨県では北岳、間ノ岳などの南アルプスだけでなく八ヶ岳、北八ヶ岳などの山岳地帯を抱え、すべてをカバーしなければならない。


富士山だけを有料化とすれば、不公平感が募り、他の山岳地帯の有料化の議論も巻き起こるだろう。


また、「119番」の遭難救助が有料となれば、静岡県同様に「110番」通報のみに集中してしまう恐れもあるが、1機の県警ヘリだけで対応できないだろう。いずれにしても検討すべき事項は数多い。


何よりも、埼玉県の6つの山々が標高2400メートル程度に対して、標高3776メートルの富士山頂上付近での救助活動は全く事情が違う。


■「有料に見合った救助活動」を求められないか


2013年12月1日、富士山の御殿場ルートの9.5合目付近で男女4人が滑落するという事故が起きた。


静岡県警ヘリが出動して1人を救出したが、他の登山者を救助するために静岡市の消防防災ヘリが向かった。当時、静岡県の防災ヘリが点検中で出動できなかったためである。


その救助活動中に、男性1人を吊り上げて収容しようとしたところ、吊り上げ用具が外れて3メートルの高さから落下、男性は行方不明となり、亡くなった。


男性の遺族は静岡市を相手取り、国家賠償法に基づき、約9100万円の損害賠償を請求する訴訟を起こした。京都地裁は2017年12月、救助活動全般に過失はなかったとして遺族らの主張を退けた。


一方、2009年の北海道の積丹岳遭難救助事故では、北海道警察山岳救助隊の救助活動に過失があったとして、スノーボードで滑落して死亡した男性の遺族の訴えに対して、最高裁は1800万円の損害賠償を認めている。


それぞれの裁判の詳しい中身は避けるが、もし、防災ヘリの救助に費用負担を求めることになったならば、それに見合った救助活動が求められることになる。


■まずはヘルメット着用などを条例化するところから


当然、防災ヘリや県警救助隊は可能な限りの救助を行おうとするが、その時々の気候条件などを踏まえ、すべて完璧とはいかないかもしれない。特に閉山期の富士山の場合、さまざまな過酷な条件が重なり、有料化は現場に負担を強いる可能性が高い。


日本一の富士山に登ることだけが頭にあり、富士山が日本一危険な山であるという認識が登山者にはまったくないのがいちばんの問題である。


富士登山が自己責任である自覚を持たせるには、4000円の入山料だけでなく、さらに実効性の高い厳しい入山規制をつくるべきだ。まずは冬山だけでなく、夏山の富士登山でも安全のためにヘルメット着用などの安全装備を条例化すべきではないだろうか。


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小林 一哉(こばやし・かずや)
ジャーナリスト
ウェブ静岡経済新聞、雑誌静岡人編集長。リニアなど主に静岡県の問題を追っている。著書に『食考 浜名湖の恵み』『静岡県で大往生しよう』『ふじの国の修行僧』(いずれも静岡新聞社)、『世界でいちばん良い医者で出会う「患者学」』(河出書房新社)、『家康、真骨頂 狸おやじのすすめ』(平凡社)、『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太「命の水」の嘘』(飛鳥新社)などがある。
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(ジャーナリスト 小林 一哉)

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