コシノミチコ 日本人の私が英国で認められたのは「だんない」の精神があったから。「実力より少し高めの目標を作り、辿り着くように頑張る」

2025年2月28日(金)12時30分 婦人公論.jp


コシノミチコさん(撮影:下村一喜/『コシノ三姉妹 向こう岸、見ているだけでは渡れない』より)

大阪・岸和田のコシノ洋装店に生まれたコシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさんの三姉妹は、50年以上ファッション業界で世界的な活躍をしています。そんな三姉妹の初の共著『コシノ三姉妹 向こう岸、見ているだけでは渡れない』が、2025年1月10日に刊行されました。そのなかから、三者三様の人生哲学の一部をお届けします。5月23日からは、連続テレビ小説『カーネーション』のモデルになった母・小篠綾子さんとコシノ三姉妹の人生を描いた映画『ゴッドマザー コシノアヤコの生涯』も公開され、ますます目が離せない姉妹です。

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英国ファッション協会に加盟


「だんない」は、岸和田弁で「大丈夫」の意味。なにか困難があっても、イヤなことがあっても、私はいつも「だんない、だんない」と思ってきました。

外国人、それもアジア人ということでの差別はいくらでもあることなので、「だんない」と思って気にしないに限ります。気にしたところで疲れるだけですから。そして私は、そこからもう一歩先に行く。学生時代は勝ち負けの世界で生きてきましたから、「絶対、負けへんで」と気合いを入れるんです。

負けていないことを示すためにも、私は絶対に英国ファッション協会(British Fashion Council)に加盟してみせると目標を立てました。英国ファッション協会は、世界に向けてイギリスのファッションを発信するための団体で、年に2回、ロンドン・コレクションも開催しています。

加盟しているのは、たとえばバーバリーなどイギリスで名高いブランドだけ。イギリスのデザイナーにとってもハードルが高い団体なので、普通だったら日本人の私が入れるはずがない。でも私は、絶対ここに加盟しようと目標を立てたのです。

そのために必要なのが「世の中にないものを作る」だったし、それをヒットさせることでした。幸い次々と新しいものを発表でき、イタリアなど海外でも高い評価が得られたので、その成果が認められて87年に英国ファッション協会に加盟できました。

ロンドンで初めてパターンを作る仕事をしたとき、できるかどうかわからないけれど、「2週間で20体」と高いところに目標を置きました。そうやってまず、実力より少し高めの目標を作り、辿り着くように頑張る。それが私のやり方だし、パワーの源です。

たぶんそうしたやり方は、テニスを続けるなかで身につけたんだと思います。絶対に日本一になってみせると、ちょっと無謀な目標を立てて、そこに向かっていきましたから(編集部注:ミチコさんは短大時代に軟式テニスの全日本学生選手権大会のダブルスで優勝)。

すると目標に辿り着くために、練習法や試合の戦略、手強い相手の攻略法をものすごく考えるし、「やったるで!」と元気も出ます。その精神を持ち続けたからこそ、この歳までイギリスを拠点にデザイナーを続けていられるのだと思います。

ファッションの家に生まれた自負


イギリスで活躍しているデザイナーの多くは、有名なデザイナーを輩出してきた大学や大学院を卒業しています。一方私は、ファッションの学校を出ていません。でも、そのことで引け目を感じたことはないの。私は姉ちゃんたちと違って絵を習いに行ったこともないけれど、デザイン画は自然に描けるようになった。

イギリスのデザイナーたちに対しては、「あの人たちと私とでは、持ってるものが違う」と思ってきました。私はファッションの家に生まれて、小さいときからその環境にいたから、まったくそうした環境に身を置いたことがなく、大学に入ってアカデミックな勉強をすることからスタートした人とは、根本が違うという自負がある。


『コシノ三姉妹 向こう岸、見ているだけでは渡れない』(著:コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコ/中央公論新社)

逆に学校に行っていないことが、強みでもあるとも思います。学校ではファッションの流れについても勉強するけれど、そうすると、この色が流行ると翌年はこんな色が流行るといった具合に、ついそのセオリーに当てはめがちです。

でも私はセオリーとは関係なく、自分の感覚を信じて「一発かましたれ!」精神で、「誰も作ったことのない、みんなを驚かせるものを作ろう」と思ってアイデアで勝負してきました。

もちろん、現場で学んだこともたくさんあります。プレスの人から「流行と逆行してるよ。もっと研究したほうがいい」と言われて、自分なりにファッションの流れとはどういうことかを考えたこともある。

ファッションの世界では、常に3年後を考えて作り始めないと間に合わないのですが、3年後に照準を合わせるには、今流行っているものを打ち消さなくてはいけないということにも気づきました。人から教えてもらうのではなく、経験のなかから自分で方法論を見つけて掴み取るほうが身につくし、結果的にそれが力になると実感しています。

デザインを盗用されても


デザインを盗用されたこともあります。ロンドンのファッションウィークでは、全員イギリス人のなかで日本人は私一人。その私のブースに、イタリアからバイヤーが大勢やって来るわけです。

近くのブースのデザイナーが「よく売れてますね」とか愛想のいいことを言っていたけれど、その後シワ加工を真似され、しかもPRの人たちが「イギリス人が初めて開発した」と宣伝したの。

大きな会社に真似されたら、私のカンパニーみたいな小さなところはひとたまりもありません。何万枚も作れるところが、結局ビジネス的には勝利を収めるんです。オリジナルは私だとみんな知っているけれど、真似した技術で有名になっていくデザイナーや、儲ける会社もあるわけです。

でも、それは仕方ありません。だったらもっと新しいことをやるまでです。「まだなんぼでもアイデアあるわ」と気持ちを切り替えて、前に進みます。

これもやっぱり、テニスで培われた考え方なんかな。40対30のマッチポイントで決着がつかなくても、絶対チャンスはあるはずだと信じていたから。そんなとき、わーっとファイトを出すと、ツキが回ってくる。

そういう経験があるから、真似されたときも、「これ、マッチポイントで取られたときの気持ちやな」と思うと、「やったる!」「絶対、負けへんで!」と力が湧いてくる。そうなるとツキが回ってきて、形勢がガラッと変わる。その瞬間が、なんかわかるんです。

他人の嫉妬は気にしない


2013年には、イギリスのヴィクトリア&アルバート博物館で行われた「クラブからキャットウォークへ ロンドン1980年代のファッション」という展示で、日本人として唯一、私の服が展示されました。しかも入り口からすぐの場所のど真ん中。

イギリス人デザイナーのなかには、「ノット・フェア(不平等だ)!」とすごく怒った人もいたし、私を見る顔つきも不満げで、プイッという感じの人もいました。なんで外国人の服を一番に出すんだ、おかしいじゃないか、ということでしょう。要は嫉妬です。

でも私は気にしません。「あんたらも、とてつもないもの作ったらええやん」と思っていますから。

※本稿は、『コシノ三姉妹 向こう岸、見ているだけでは渡れない』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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