「怖いんだと思いますね、いつまでも同じところにいるのが」最初は1本の約束だったのに…それでも三國連太郎が「釣りバカ日誌」に出演し続けた理由
2025年4月19日(土)7時20分 文春オンライン
今月14日に行われた13回忌では400名ほどの参列者を集めた日本を代表する俳優の三國連太郎さん(2013年没、享年90)。同会では、映画「釣りバカ日誌」シリーズの朝原雄三監督が「三國さんが『釣りバカ日誌』に20本も出演されたのは、西田さんという天才に勝ちたかったから」という秘話も披露したが、当の三國さんはどんな思いだったのだろうか。
三國さんと30年来の付き合いで、最晩年まで取材を続けたノンフィクション作家の宇都宮直子氏の『 三國連太郎、彷徨う魂へ 』(文春文庫)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

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「こんなに長く続けるつもりはなかった」
「思いつきはするんですけど、なかなか。時間も、十分には取れませんから」
実際、彼は最近、ずいぶん忙しかった。
2008年、新作映画の公開が近づいていた。1988年から始まった人気シリーズ「釣りバカ日誌19」。三國の役柄は、「鈴木建設会長、スーさん」である。
居間に下りて、映画の話をした。
彼はコーヒーを飲み、京都から届いた和菓子を食べている。部屋には妻の好きな音楽が流れている。少年の透き通ったソプラノが、その場をミサのような雰囲気にしていた。
「『釣りバカ日誌』も、もう20年ですか。ずいぶん早かった気がします。もともとは、こんなに長く続けるつもりはなかったんです。一本という約束で始めたものでしたし。
僕は飽きっぽい性分でして、どんなに才能のある監督との仕事でも、3本くらいで『もういい』と思ってしまうんです。怖いんだと思いますね、いつまでも同じところにいるのが」
なぜ「釣りバカ」に出演し続けたのか?
では、なぜこのシリーズを続けてきたのか。その理由として三國は、まず「社会からの共感」を挙げる。
「僕は、鈴木建設を現代の縮図のように捉えてきました。『釣りバカ日誌』の背景には、さまざまな社会問題、痛みがあります。それが、世間に受け入れられた要因ではないかと思うんです。
単に、笑わしてやろうでは喜劇にはなりません。しっかりとした視点、根っこがないと喜劇は成り立たない。
そういう意味では、チャップリンと同じような自覚というんでしょうか、社会に針を刺すような姿勢を、常に持っていなければと思っています」
そのために、三國は「新作に入るとき、自分の思うところを先に聞いていただく」ことも辞さない。
映画関係者によれば、それは穏やかだが、火のように熱く、迫力のある「意見」だ。
さらに、彼は一切の妥協を許さない。他者にではなく、己に、である。
「僕は、常にわからないものを探しています。映画は何回やっても、『違う』という思いの繰り返しです。
撮り終えたシーンを翌日、撮り直してもらうこともあります。そうすると、苦虫を潰すような顔をされる方もいますが、苦虫は何べんだって潰すべきなんです。
フィルムは無駄にしたほうが、勝ちだと思います。反感を買うこともありますが、人のために仕事をしようとは思わないです、僕。絶対に、思いません。
自分が納得できる芝居がしたい。そういう思いを理解してくれた監督は、これまでで5、6人しかいなかったですね」
〈 「アドリブが多すぎる」「もっと相手を考えた芝居をしてくれないと…」三國連太郎が「釣りバカ日誌」ロケ中に西田敏行を注意した日 〉へ続く
(宇都宮 直子/文春新書)