“氷河期世代の最後の生き残り”ヤクルト・石川雅規(45)の24年連続勝利を支えた“ライバルも驚く希少性”とは「巨人だったら200勝までの道は…」

2025年4月21日(月)12時0分 文春オンライン

 プロ野球の現役最年長選手、ヤクルトの石川雅規投手(45)が4月9日に甲子園で行われた阪神戦で5回3失点と好投し、24年連続勝利のプロ野球新記録を樹立した。


 ルーキーイヤーの2002年の12勝を皮切りに、昨季には工藤公康投手(元西武)、山本昌投手(元中日)、三浦大輔投手(元横浜=現DeNA)の従来の記録に並んでいた。
大目標に掲げる通算200勝には残り13勝。近年は5勝に届かない年が増えているが、着実に200勝に前進しており、大記録も夢ではない。


 石川は1980年の早生まれ(1月)で、プロ野球界ではもちろん最年長。いわゆる「就職氷河期世代」の最後の1人でもある。今季初勝利の後には「同年代の友達とかから『本当に元気をもらった』という言葉をかけてもらった。僕もうれしかった」と語っている。



史上初の24年連続勝利を記録した石川雅規 ©時事通信社


「失われた30年」のまっただ中で就職もままならず、職に就けても待遇に恵まれなかった不遇の世代。同世代を勇気づける歩みを可能にした“サバイバル術”とは何だったのだろうか。


 同学年のプロ野球選手には井川慶投手、能見篤史投手(ともに元阪神)や五十嵐亮太投手(元ヤクルト)らがいた。1学年下は、松坂大輔投手(元西武)をはじめ有力選手がきら星のごとく存在した「松坂世代」だ。その世代も昨季限りで和田毅投手(元ソフトバンク)が引退したことで現役選手はゼロになった。石川の選手生活の稀有さがあらためてわかる事実だ。


 今季までのプロ24年での報酬は28億7150万円。年平均で換算すると1億円を超える。氷河期の同世代の平均年収が500万円そこそこであることを考えれば、さすがプロ野球選手と言わざるをえない。しかし契約更改の度に緊張を強いられる姿はプロ野球選手もまた人であることを再認識させる。


「野球にささげてきた日々の積み重ねを思うと、頭が下がります」と語る選手も


 石川の球速が最後に140kmを記録したのは10年以上前のことだ。並外れた身体能力を持つわけではない石川の“長寿”の秘訣は、左投げであることをはじめとした「希少性」だろう。プロ野球投手の平均身長が約182センチという中で、石川の167センチはひときわ小柄だ。


 メジャー1年目から15勝を挙げたカブスの今永昇太投手の活躍の理由に投球の低い軌道が挙げられるが、NPBでも石川の軌道は打者にとって慣れることが難しい。


 さらに、24年の長きにわたって第一線で先発ローテーションに食い込む力を維持することも並大抵ではない。「無事これ名馬」の言葉を引くまでもなく、大きなケガを避けながらマウンドに立ち続けてきた足跡は球史に残る。


 中日、横浜などでプレーし、現役時代の晩年に対戦した中村武志氏(韓国プロ野球起亜タイガース・コーチ)も「24年も続けて1軍のマウンドに立つだけで途轍もないこと。その上、勝ち続けるとは……。野球にささげてきた日々の積み重ねを思うと、頭が下がります」と率直に語る。


 中村氏は、石川の投球スタイルが「本格派ではなかった」ことも息の長さにつながっているとみる。


「アバウトに真ん中辺りに投げて空振りを取れる球威はないぶん、一球一球の『失敗は許されない』という集中力が群を抜いていました。あとは、ヒットを何本打たれても要所でのホームランだけは打たれないようにする意識が人一倍強く、何よりもバッターの方が根負けするほど粘り強かった」


 加齢とともにどうしても衰える球速に頼るのではなく、プロ入り時から技巧派として試行錯誤してきたことも、石川の独特の投球スタイルを磨き上げた。中村氏は、自身が中日時代にバッテリーを組み、石川も尊敬してやまない通算219勝投手・山本昌に特長を重ねた。


「威圧感がないから、バッターは何とかなると思えてしまいます。打てそうで打てないのはいい投手の証し。リリースの時は体がバッター側に飛んでくるように見えるのに、腕は遅れて出てくる。タイミングを取るのが難しく、身長の違いはあっても同じ左腕のマサさんとダブります」


「巨人だったらここまで長く現役を続けることは…」


 石川のプロ入りは、大学生、社会人であれば自由に希望球団を選べる「自由獲得枠」だった。石川は巨人入りが内定していたが、巨人側の事情で覆ったことは有名な話だ。


 巨人入りが白紙になった後に近鉄も名乗りを上げたが、球界を代表する捕手・古田敦也にボールを受けてもらうことを夢見てヤクルト入りを決断した。


 当時の近鉄関係者はこう述懐する。


「結果的には、ヤクルトに入ったことで、今のような長い現役生活を送れていると言うしかありません。近鉄は2004年限りで球団が消滅しましたし、巨人だったらここまで長く現役を続けることは許されなかったでしょう。シーズンを通してローテーションを守る力がなくなれば肩たたきに遭うでしょうから、200勝への道も途絶えていたことになります」


 優勝を義務づけられた名門球団ではなく、選手のキャリアに寛容と言われるファミリー球団でこそ芽吹いた石川という投手。ナンバーワンではなく、オンリーワンのスキルを磨いてきたこととともに、“業界トップ”でなくても自らの力を最大限に発揮できる環境に身を置くことの重要性という点でも、石川の選手人生は示唆に富んでいる。


(「文春オンライン」編集部)

文春オンライン

「ヤクルト」をもっと詳しく

「ヤクルト」のニュース

「ヤクルト」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ