「僕は仕事では負けたくないんです」キャリア5年目で市川崑監督に反発したことも…三國連太郎が「扱いにくい役者」であることを自覚していた理由
2025年4月30日(水)12時0分 文春オンライン
〈 「遺体が運ばれてきても、涙は出なかった」現実の戦争は“映画とは大違い”…三國連太郎が生前に語った「強烈な戦争体験」 〉から続く
ときには同業者から「扱いにくい俳優」に思われたことも…日本を代表する名優・三國連太郎(2013年没、享年90)が決して曲げなかった「役者としての優先順位」とは? 三國さんと30年来の付き合いで、最晩年まで取材を続けたノンフィクション作家の宇都宮直子氏の『 三國連太郎、彷徨う魂へ 』(文春文庫)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 最初 から読む)

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どんな監督であろうと「自分の意見」は伝える
「『ビルマの竪琴』は、たいへんやりにくかった。いろんな場面で、『違う』と思ったことを覚えています。
監督とも、ずいぶん話し合いをしたんじゃなかったかな。もうだいぶ前のことで、詳しくは覚えていませんが」
市川崑は驚いたかもしれない。デビュー五年目のまだ経験の浅い役者が、臆せず重ねる提言に。
「市川さんに限らず、他人がどう思うかなんて、僕はこれっぽっちも気にしません。一度も気にしたことがない。自分の信じるところと違えば、それがどんな監督であっても、意見を聞いていただきます。
僕はエゴイストなんですよ。他人が失敗するのは一向に構いませんが、自分が失敗するのは許せない。言い争いも、しょっちゅうでした。こだわりのある、頑固な連中が多かったですからねえ、あの時代は。
生意気なようですが、監督は、作品に自分の首を賭けなきゃならんと僕は思うんです。それは決して難しいことじゃありません。やろうと思えば、誰にだってできる。
それに、これは本心から言うんですが、優れた監督、優れた脚本家と認めた人により反発していました。それが癖なんです、僕の」
むろん、三國は自身にも強く求めた。芝居にできうる限りの真実を重ねよ。お前にしかやれない芝居をしろ。できないのなら、そこにいる価値はない。さっさと辞めてしまえ。
「僕は仕事では負けたくないんです」
「僕の人生には、絶対に動かせない優先順位があります。常に『役者、三國連太郎』。映画はやはり、それくらいの良心を持って創らないといけないんじゃないでしょうか。
僕のことを『扱いにくい役者』っていう方がいますけどね。僕はそれを、僕に対する『評価』だと考えます。
ただ、それが陰口として伝わってきた場合、その方の作品には、もう二度と出演しません。意味がないですからね。僕は仕事では負けたくないんです。
勝ち負けっていう観点から言うと、くだらない作品に出演してしまったときの敗北感といったらない。ものすごいショックを受けます。
だから、次作では、どうあっても前作を上回らないと気が済まない。上回るまで闘います、自分と。のたうちまわりながら、闘ってきました。それはもう残酷なくらいにね。
昔は、よく映画館に行きました。後ろのほうの席に座って、二本立ての映画を観るんです。
そうやって、自分の演技のだめなところを探しました。同じ作品に出ている役者に負けていると思えば、今度は必ず勝とうと思いました。
負けない努力はしたつもりです。
数えきれないくらいの舞台を観ました。『あんなに芝居を観ているのは、才能がないからだ』って思われないように、こっそりと。
突然、新劇に出たりもしました。新劇の中にあるものを知り、そこから学びたかった。もっと自分を訓練しなくちゃいかんと思ったんです。素踊りなんかでも、自前で習いに行きましたからね、浅草に。芸者衆をあげて、遊んでいるふりをして練習しました。
本をたくさん読んだのもそう。役者にとって、文学ほど有益なものはありません。成長させてくれる、唯一無二の栄養です。なにより、大切だと思っています。
うんざりするほど、僕は探しました。自分に欠けているものは何か。そればかりを追求してきた気がします」
(宇都宮 直子/文春文庫)